『ここにいるだけで』【前編】 / わたしの

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『ここにいるだけで』【前編】
わたしの

後部座席でさっきまで一人でおしゃべりしていた娘が、急に静かになった。

ルームミラーで確認するとチャイルドシートに座ったまま、首はこんなに柔らかく曲がるものかというくらい真上を向いて眠っている。

夜の高速道路。やかましかった車内は静まり返り、エンジンの音とタイヤがつなぎ目を超えるときの定期的な振動音だけが聞こえた。

東京へ向かって車を走らせる。

一人きりで運転していると、次から次へと様々な想念が頭に浮かんでは消えていくものだ。

子どものころの記憶がふと蘇ってくることもある。

父と母は幼い私を車に乗せて、時々都心方面に連れて行ってくれた。

横浜や千葉に親戚がいたということもあるが、新しもの好きの父は1983年にできたばかりの頃のディズニーランドにも連れて行ってくれたし、1985年のつくば万博(国際科学技術博覧会)にも連れて行ってくれた。

その他にも、羽田空港、原宿などに行った記憶がかすかだが残っている。

そこへ行く道なのか、帰り道なのか。

幼い私は、暗闇の中を流れていく高速道路のオレンジ色の光を、車の後部座席から眺めていた。

時にはタオルケットに包まって、シートに横になりながら、まどろみの中で光が後ろに流れていくのを見上げていた。

父と母がいるその空間に安心しきって、身をゆだねていたのである。

車内は暗かった。カーエアコンの独特なにおいがしていた。

三十数年のときを超えて、カーエアコンの独特の匂いを、私は確かに鼻先に感じたのであった。

特定のにおいが、それに結びつく記憶や感情を呼び起こす現象を、二十世紀を代表するフランスの作家の名前を冠して「プルースト効果」と呼ぶが、逆に記憶の中の古い光景を思い出すことで、そのときの匂いを思い出すことを何と呼ぶのだろうか?

娘が眠って静かになった車中で、私はハンドルを握りながら考えていた。

そして、こんなことも思った。あのとき父もこうやって運転していたのか。こんな風景を見ていたのか。

娘が生まれてから、なぜか自分の父親のことをよく考えるようになった。

料理人だった父は仕事が忙しく、平日は勤めていたフランス料理の店をしめた後の23時ごろ帰宅していたし、仕込みがあると言って朝早く出かけていったので、あまり関わり合いがなかったように記憶している。

小学校が休みの土日も仕事だったので、一緒に出掛ける機会も少なかったはずだ。

だからこそかもしれないが、年に1~2回まとまった休みが取れたときは、遅い時間からでも車を走らせて都内や海などへ子どもを連れだしてくれたのである。

しかしながら、それ以外ではあまり父親との記憶がない。

家の中では母親との記憶が多いが、それ以上に多く、色濃いのは祖母と過ごした時間であった。

弟が年子で生まれたために、幼い私の面倒は祖母が見てくれた。

祖母は穏やかな人で、優しく、明るく、いつも笑っていた。

自分が失敗したことが面白いらしく、ドジな自分をいつも笑い飛ばしていた。

普段から着物を着て過ごし、日本酒が好きで、煙草も吸っていた。

着物を着た祖母がセブンスターを咥えて散歩している姿は日常の光景だった。

私が慣れ親しみ、いつまでも大切にしている思い出の多くは祖母と過ごした時間だ。

ところが、娘が生まれてから思い出の中に父がよく顔を出す。

忘れていたような記憶も、ふと思い出すようになった。

「最近、父親のことをよく考えるんだよね」と同僚に言ったら、

「それは槌橋さんが父親になったからでしょ」とあっさり言われ、

それはそうだ、と思った。

「今度、自分の父親に話を聞いてみてはどうですか?」と何気なく同僚が言った。

「やだな」その一言しかない。

「インタビューしてみようかと思うのですが・・・」と数日前、私は父にメールした。

「了解」すぐに返信が来た。

分かっているのか、いないのか。

だいたいインタビューって何だ?何を聞くんだ?何に使うんだ?とか疑問に思わないのかね?と思う。あきれる。

いつもそうだ。すぐに「分かった」とか言って、実際は何も分かっていなかったり、ズレたりする。

このズレがなかなか解消されないが、それで困っているのは子どもの方だけで、父は「だからどうした」という感じでまったく気にも留めていない。

「話したい内容は①子どものころの夢②一番幸せだったこと③最近楽しいこと④歳を取るということの実感⑤これからやりたいこと今度実家に帰ったときに聞きますので、考えておいてください。よろしくお願いします」

そうやって送ると、やっぱりすぐに返事がきた。

「考えておきます」一文だけ。

父親に改まって話を聞くというのも照れくさい。

しかし改まって話ができる状況を作らない限り聞くことができない内容であることは確かだ。

(自分からインタビューを提案しておいて、こんなことを言うのは失礼なのだが、正直気乗りがしない。鬱陶しい)

父は普段から口数が少なく、あまり多くを語りたがらない。

それは美学なのかもしれないし、恥ずかしがり屋の面もあるのかもしれない。

ただ、(親子だから直感で分かるのだが)もう一つは単に不精で、面倒くさがりという理由もある。

特に真面目な話が苦手で、人と向き合って真剣に話すことにエネルギーをかけることに苦痛を感じていると推測される。(少なくとも家庭内では)そのような姿を見たことがない。

楽天的で、いい加減で、自信満々で、自己肯定感が極めて強く、あまり多くは説明せず、対話を重んじず、だいたい物事をひとりで決めて、好き勝手やっているような人だ。

そんな父が何を考えているのか、あまり関心をもったことがないのも事実だ。

それは自分の反省点だが、言い訳させてもらえれば、最初は気持ちや言動の理由などを聞こうとしたかもしれないが、どこかで対話不能と判断し、あきらめた部分もあるような気がするのだ。

父親とはこういう存在なのだ。よく分からないし、理由の説明もないのだ、と。

父親ってのは、そんなものなのかな。

【中編】につづく
①子どものころの夢②一番幸せだったこと③最近楽しいこと④歳を取るということの実感⑤これからやりたいこと

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■ 中編はこちら
⇒【 ここにいるだけで』【中編】 / わたしの

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