『クライアントインタビュー』松目玲香さん(ホームケア土屋鹿児島)【前編】

目次

ふと出かけたパン屋の先に、諦めていたディズニーランドがあった。みんなと楽しむ私がいた。
~ 行ってみたいんだからしょうがない。難病・障害でふさぎ込むすべての人へ。ALSを罹患して、泣いてばかりいた私より。~

“クライアント”と一概に言っても、それぞれの歩み、生き方、それぞれの暮らしがあります。

今回、お話を伺うのは鹿児島在住の松目玲香(まつめれいか)さんです。
2018年にALSに罹患し、現在は旦那様の和己さん、3人の息子さんと在宅生活をされています。

2023年、重度訪問介護の制度を使ってご家族とアテンダントと出かけたUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)への旅を皮切りにはじまった玲香さんの“冒険”。

常にワクワクしながら準備をし、旅やコンサート等さまざまな場所へ出かけ、夢を形にしてきました。

一緒に笑ったり、怒ったり、涙したりーーさまざまな思いを共有してきたご家族と、そしてアテンダントと。

人とともにある玲香さんの日常と旅の記録を訪ねます。

▸zoomインタビュー参加者

松目玲香さん(クライアント)
松目和己さん(まつめかずみさん/クライアントの旦那さま)
川畑梨里さん(かわばたりり/ホームケア土屋鹿児島 コーディネーター)
武原千絵さん(たけはらちえ/ホームケア土屋鹿児島 アテンダント)

~ 日常と玲香さんらしさ ~

▸ 最近嬉しかった出来事、日々の中で楽しんでいることはどんなことですか?

玲香さん

最近嬉しかった出来事は長男次男が就職し、社会人になったことです。

私が発症した時、長男次男は中学 3 年と 1 年でした。

この時、私は長男次男が就職するまで生きられるなんて想像もつかなかったです。大きくなりました。

新生活を楽しみにしてるようでよかったと思っています。

頑張った長男次男と長男次男を支えた和己さんは苦しかった時も多かったと思います。

父親、私の代わりの母親役まで頑張ってくれて感謝しています。

日々の中で楽しんでることは、サポートスタッフの方との会話です。

何気ない会話から外出につながることもあるし。

楽しい面白いという番組を一緒に見て感想を言ったり。

私の推し活に付き合ってもらっています。

和己さん

長男・次男がちょうどこの4月、同じ時期に就職だったので、玲香さんにとって「ふたりが社会人になれた」ということが嬉しかったのかなと思います。

ここに書いてあるように、「この子たちが大きくなる過程をどこまで見れるのかな」「家族5人でこの子たちが家を巣立つまでは一緒に過ごせたらな」という思いがあったので、

それが就職っていう形で、家を離れるところまで送り出せたこと、その過程をずっと見れたのは嬉しかったんじゃないかな、と思います。

インタビュアー

―就職に関しては、息子さん達から相談はあったのでしょうか?

和己さん

多分、子ども達は子ども達なりに、僕らに「心配をかけないように」という思いもあってか、あまり相談されることはなくて。

ふたりともどんどん決めていくタイプなので。

長男は教師になりたいという夢が途中から出てきて、一生懸命、頑張っていましたし、次男はいつの間にか就職先にインターンとして行っていたり。

僕らもなかなか聞いてあげられない、声かけもしてあげられない状態で、自分達で会社を選択してきたので、

「両親として深く関わってあげられたのかな」とは思いつつ、そういうところも我が家なりのやり方でなんとかなったのかなと思いますね。

インタビュアー

―「楽しんでいることはサポートスタッフの方との会話」と書かれていますが、今は何名ぐらいの方が玲香さんに関わられているんですか。

川畑さん

ざっくりですが、土屋だけで10人ほど、他の事業者の方を合わせると、4、50名ほどのスタッフが関わられています。

インタビュアー

―「何気ない会話から外出に」とも書かれていますね。

川畑さん

さっきも長男さんが新しい車を納車されて、「その車に乗ってイオンに行こう」という話になりました。

それくらいラフな感じで、私たちから「どこどこ行きましょう」と声かけする時もありますし、玲香さんが夜ご飯を考えて材料を買いに出かけたりもします。

インタビュアー

―番組や映画は、どんなものを一緒に見られているんですか。

川畑さん

アニメもスポーツも音楽もドラマもーー本当に幅広いんです。

優しいので、私たちに合わせてくれるところもあって。

一緒にいろんなことを共有しあって、「これいいよね、あれいいよね」っていう話をします。

玲香さんの好きなものが後で出てくるんですが、B’zや福山雅治のライブ番組を一緒に見たりしてますね。

和己さん

福山雅治のライブは日にちまで決めてあるんです。チケットも無事取れました。

川畑さん

ライブは9月末にあって福岡まで行くんです。
逆に私はお出かけがない時の方が心配になります。

「玲香さん、どこも行かないんですか、今月は?」って(笑)。

和己さん

ケアマネさんも「来月はどうされますか、どこに行かれますか」と外出の人員や時間調整もあって、先に聞いてくださって。

それくらい浸透してますね。

我が家の流れでいうと、玲香さんがひらめいたものを皆さんがサポートしてくださって、「チケットが取れました」とその段階で僕に報告が来ます。

それまでの過程を聞いていない間に物事が決まってて、「この日は○○に行くよ」みたいな感じが日常です(笑)。

▸和己さんとのやり取り、ご家族の関係性がとても素敵です。ご家族が円満でいる秘訣やルール、大切にしていることはありますか?

玲香さん

和己さんと出会ってから27年目になります。

家族のルールや円満の秘訣は分かりません。

息子達は嫌だったかもしれませんが、子供部屋を作らず、リビングにいるようにしましたし、

小さい頃からお風呂、ゲーム、ソフトボール何でも 3 人兄弟で取り組むようにして、買い物、映画、スポーツ少年団の応援、ライブも家族で行きなるべく家族で過ごすようにしてきました。

大切にしていることは、会話を家族みんなですることです。

和己さんと息子達が良く会話をするように心がけてきました。

インタビュアー

―27年になるんですね。

もともと、おふたりとも理学療法士さんでいらしたと聞いています。

職場で出会ったんですか?

和己さん

そうですね。

玲香さんは、僕がその職場に入る何年か前から働いていて、そこで出会いました。

水族館に行くデートが初めてだったんですけど、「一緒に行ってみようか」って。

そこからですかね。

玲香さんが僕にアプローチがすごかったので。

川畑さん

えーっ、そうなんですか!

和己さん

どうですか(玲香さんに)?「合ってない」と言ってます(笑)。

インタビュアー

―「子供部屋を作らず」というのは、玲香さんの中でオープンな雰囲気をつくりたいという思いがあったんでしょうか。

和己さん

そうですね。

その思いは強かったので、子どもと親が部屋を分けるという考えはまずなかったのと、

玲香さんは玲香さんなりに子育ての本がすごく好きで読んでいて、参考にしてた部分も多かったのかなと思います。

子ども達もお母さんが大好きで、病気がわかって玲香さんがお風呂に入りにくくなってきた頃まで一緒にお風呂に入ったり。

そういう過ごし方をしてきたのも、子どもと母親との距離感というところでは「楽しい雰囲気が保てたのかな」と思ってます。

それから、少年団の活動に家族5人揃って行くことがほぼ毎週の出来事でした。それも家族の団結が深まる1つのイベントでしたね。

▸日々の中で「たからもの」だと思うもの、ことはどんなことですか?(お母様として/妻として/ご自身として)

玲香さん

お母さんとして妻としてのたからものは、これまでに妻としてお母さんとしていさせてくれる和己さん優人、慶太、悠希と過ごした時間です。

(夫婦 2人から)息子達が私たちのもとへ選んで来てくれた時から泣いたり笑ったりありましたが素敵な時間です。

いつでもいつまでも帰ってきたい家でありたいと思っています。

自身としてのたからものは、ご縁を頂いている事です。

土屋さんが介入したばかりの頃、川畑さんと一緒に土屋の広報誌『土づくり』を読んで「すごいね」と話し、「私にはこんなすごいことは無理」って思ってましたが、

サポート頂き、『土づくり』に掲載して頂き、こんな貴重な経験をすることが出来ました。

私の力だけでは出来なかったと考えます。

和己さん

玲香さんの子育てに僕も共感できる部分が多かったので、そこは玲香さんメインでいく部分が強かったです。

そして、玲香さんも本当におおらかというかーー怒ったことがほとんどなくて。

怒り役は僕の役目で、玲香さんは場をまた元に戻す役割でいてくれたことも大きかったのかなと思いますね。

1回だけ、怒ったことがありましたね。

長男が気管支喘息気味だったので、毎晩、錠剤を何錠かずつ飲まないといけなかったんです。

子どもに薬を渡して、僕と玲香さんは飲んでると思っていたんですがーーある日、篭の中から山のように錠剤が見つかって、相当な期間、実は薬を飲んでいなかったことがありました。

子どもは子どもなりに飲みたくない薬だったと思うし、僕らの管理の仕方もあったと思います。

でもその1回だけは、すごく涙して怒ったっていうのが、あったよね(玲香さんに)。

▸玲香さんにとっての「自分らしさ」とはどんなところにありますか?(子どもの頃から変わらない部分/毎日の習慣/考え方や人と関わるときの姿勢など)

玲香さん

自分らしさ難しいですね。
今でも答えを模索中ですから。

子どもの頃から変わらない部分の自分らしさは、不器用なので何事にも人の倍の時間がかかりました。

でも私は達成するまでに時間をかけることには苦にならないので今のパソコン作業も達成するためのワクワクしかないです。

毎日の習慣の自分らしさは、推しに対しての探求心でしょうか。

ディズニー旅行ではあらゆる方法を使って情報を集めて計画しました。

考え方や人と関わるときの姿勢などの自分らしさは、前の仕事の影響でしょうか?とりあえず「何でもやってみる」と自然に考えます。

また、罹患した頃、主人に「泣いていても 1日、楽しく過ごしても 1日、どうせ過ごすなら楽しくね」とよく言われ心掛けています。

だから旅行ではアテンダントさんと一緒に楽しみたいと見たり行ってみたり聞いてみたりしたいとアトラクション、ショー、レストラン、ショップに行きました。

ありのままの自分を飾らないようにしています。

無理をしてもばれますから。

インタビュアー

―新しいことに挑戦する姿勢は、出会った頃からずっと変わらず玲香さんの中にあったんでしょうか。

和己さん

そうですね。

1回だけ、ボール競技が得意ではないのになぜか友達に誘われて、バレーボールに行ったことがありました。

それまで球技をしたことのない玲香さんにとっては「バレーだけはどうしても追求できない」と。

心が折れてやめたことはありましたね(笑)。

リハビリの学校に行ってる時も、日常的に話す中でも、勉強熱心なのは伝わってきてましたね。

インタビュアー

―和己さん、そして普段から関わられている川畑さん、武原さんから見える“玲香さんらしさ”についても聞かせてください。

和己さん

玲香さんの朗らかな部分、元気がある部分、他の人とのコミュニケーションの取り方は彼女じゃないとできない部分だなっていうことは感じますし、

何事に対しても挑戦したい気持ちーー「ポジティブに臨もう」という思いを感じていました。

だからこそ病気がわかった時は、ネガティブな部分が目立つところはあったんですが、もちろんそれは病気によるものだったんだろうなとは思います。

本当にポジティブ思考で、僕らを引っ張って導いてくれるのが、松目家にとっての玲香さんらしさ、玲香さんの存在ですね。

川畑さん

そうですね。

すごく前向きで、「なんでもやってみよう」っていう明るいところがあるんですが、

クライアントとアテンダントとしての関係性でいうと、細やかな気配りをしてくださる繊細さも持ち合わせていらっしゃるんです。

ただ自分のやりたいことやしてほしいことを伝えるんじゃなくて、相手の立場も考えて発言されてるところを知っているので、そこに優しさが表れてるのかな、と思います。

「この優しさは、玲香さんだからだよな」っていうことはすごく感じますね。

武原さん

私たちアテンダントのことも「一緒に楽しもう」とか「一緒に何かをしていきたい」っていう気持ちがあって、自分のことだけじゃなく、「楽しませてあげたい」って思ってくださってるんです。

この後に出てくるスプレッドシートの提案も、もともとは私たちのために考えてくれたことですし、わからないことやつまずいたことも次の支援に入った時には完璧にできてる。

すぐなんでもクリアしていくところが、「すごく玲香さんらしいな」っていつも思ってます。

~ U S J へ、そして東京ディズニーランドへ ~

2023年、縁あって鹿児島市内へ引っ越した松目家。

そこからホームケア土屋との関わりが始まります。

「どうせ無理だと思いながら『パン屋に行ってみたい』と言ったら、びっくりするぐらい早く『Yes』の返事に驚いた」と話す玲香さん。

サポートを受ける中で、「これ食べたい」「そこ行ってみたい」と気持ちを言えるようになったと言います。

その後、2023年末には2泊3日のUSJの旅へ、2024年には新幹線と京葉線を乗り継いでの東京ディズニーランド(以下、ディズニー)への2泊3日の旅……と羽根を広げ始めた松目家。

そこには玲香さんが日々つみ重ねてきた“自信”と“野望”があったようです。

▸パン屋さんへの外出からその後、どんなところへ行かれましたか?また、その“小さな冒険”から、USJ/ディズニーへの旅行という“大きな冒険”へはどんなふうにつながっていったのでしょうか?

玲香さん

初めての小さな冒険に味を占めそれからは、毎週木曜日に近くの寿司、ピザ、カレーライスなどのテイクアウトを買いに行くようになりました。

今では和己さん息子達が楽しみにしてくれて嬉しいです。

毎週の外出からのステップで、私の誕生日に家族とアテンダントさんも一緒に映画を見に行きました。この時初めて外出先での注入をしました。

この注入をしていただいてから私の心が動き出したのを覚えています。

その後すぐに和己さん川畑さんに外出の相談をしました。「三男との約束を守りたい」「ディズニーへ」と考える私と、「私の身体の負担を考慮すべき」という考えがあり、USJ 旅行と決まりました。

USJ 旅行を経て、電車にもサポート頂ければ乗れる経験から、アテンダントさんたちと私で旅行以外の買い物に出かけられるようになりました。

この電車は三男が通学で使用しているのでしたから、乗れて様子も知ることが出来て、三男との会話が増えた事に嬉しかったし、三男から通学の様子を話してくれる機会が増えました。

また、USJ 旅行から無事に帰ってきてから直ぐに、やり切った達成感と USJ が近くに思えてからは、「ディズニーに行けるよ、行けるっ!」とわからない自信が湧き出てきて、「やっぱり三男との約束はディズニーだし行くしかないよね」という思いからでした。

ディズニー旅行計画が始まりました。

小さな冒険を積み重ねていくうちにアテンダントさんとの口文字もスムーズさが増し、和己さん息子達の好みも知ってくれて、

加えて息子達がいつも私に「車椅子に乗ってるだけよっ」と言い、「アテンダントさんのおかげよ」と「感謝しなさい」と。

「今日はどこまで行ったんですか?」って、「うまいッ!」など家族とアテンダントさんとの会話がどんどん生まれています。

素敵な時間を過ごさせてもらっています。

インタビュアー

―近くにいらして、玲香さん自身の変化やそれを受けて周りも変わっていくようなところを感じられていましたか。

和己さん

一番は、表情が全く変わってきたことですね。

外出できる曜日が決まってるので、その曜日が待ち遠しい感じで、その曜日が来ると嬉しそうに表情が明るかったり、雨の予報だとちょっと表情が曇ったりとかはありましたね。

今までは、僕が玲香さんの洋服を出先で見つけた時に購入して、「これどう?」と尋ねては、たぶん玲香さんも仕方なしに「いいよ」って言ってくれてたんです。

でも最近は、外出できることに味を占めて、僕が服を買ってきて「どう?」と言った時に「自分で買うからいい」と言われたことがあって。

その時は「これは外出の自信、楽しさ、『自分で何がしたい』っていう思いが高まってきていていいことだな」と感じることができました。

今までの「買ってきて、見せて、着せてもらう」っていうパターンから、自分で見て、「自分で選びたい」「こういうイメージで……」っていう気持ちが強くなってくれたことがこちらにとっても嬉しいことです。

川畑さん

この話に出てくる、パンを最初に買いに行った時に支援に入っていたのが私と武原さんだったんです。

その時は若干小走りで(笑)、片道15分ぐらいかけて行きました。

お家に帰ってきた時に「すっごい楽しかったな」「こんな関わり方が重度訪問介護はできるんだ」と私自身もすごく嬉しく思いました。

そこから積極的に玲香さんに「ここ行きましょう」「これやりましょうよ」って声かけをさせていただくようになって、今では玲香さんの家で爆笑しない日はないぐらい。

玲香さんはもともと明るかったと思うんですが、パン屋さんへの外出をきっかけにリミッターが外れたというか(笑)、「とことん楽しもう」っていうところまで一緒に行けたような気がします。

外出にはリスクも伴うし、いろいろ前例があるからこそ、スタッフ側も含め不安や恐怖があると思うんですが、

外出するようになってからはそういったリスクも「一緒に乗り越えている」と感じられるようになりました。

和己さん

外出の距離もーー多分、皆さんがイメージされる近場の距離ではなく、ひと駅歩くぐらいの距離があったりするので(笑)。

アテンダントの方に本当に申し訳なく思うのと、子どもたちからは「お母さんは座ってるだけなんだよ」「皆さんは歩いてくださってるんだよ、荷物を持ってくださってるんだよ」っていう会話がいつも出てきます(笑)。

川畑さん

パン屋さんに行った時は夕方ぐらいで、「あと何分かでパン屋さんが閉まる」っていうので「頑張っていきましょう」ってサササーッて武原さんと3人で行きましたよね(笑)。

帰りはゆっくり帰ってきたんですが。

でもそれがあったからこそ、「もうどこまででも行けるんじゃないか」って私は思ってしまったんです。

玲香さんとの関係や距離感も、そこからすごく変わりました。

仲良くいろんなお話できるようになったなと思います。

私はもともと病棟看護師をしていて、重度訪問介護に携わるようになって3年ほど経ちます。

松目様の支援現場はコーディネーターになって初めての時に立ち上げた現場だったんです。

それまでは、正直なところ、ここまで深い関わりをしていたクライアントさんはいなかったので、松目様のお家で初めて体験することがすごく多かったんです。

武原さん

パン屋さんへの外出から始まったんですが、そこから外出する距離も伸びました。

あと当時、玲香さんは鹿児島の薩摩川内市から鹿児島市に引っ越されてきたばかりで、家の周辺の土地勘がそんなになかったので、一緒に探索するというかーー目的があってどこかに行くのではなくて、

ちょっと道を外れてみたり、「あっちから帰ってみようか」「今日は向こう方面に行こう」ってその日の気分で行きたいところを決めたり。

「こんなお店があったよ」なんてお互いに近所のお店を調べては、一緒に見つけていく楽しみがあって、それがご家族との会話が増えていったきっかけにもなったと思います。

〜「ディズニー旅行を実現には」 その1〜 玲香さんが作成されたパワーポイントの資料より

“大きな冒険”に向けた準備と経験を通して、ご家族やアテンダントと共に考え、実践した事例や具体的なアイデア、気づきが丁寧なまなざしで記録されています。

旅行を計画するにあたり、まず玲香さんが行ったのは「心を躍らせて」みること。

ディズニーへの旅行では「ディズニー旅行中にコミュニケーション機器を使用して楽しかったことを共感する」「パークで夜まで遊ぶこと」「ディズニーホテルに泊まる」という3つの“野望”を胸に、「皆さんに協力を頂くにはどうしたらいいのか?」という問いを立て、行動へと移していきます。

<後編>クライアントインタビュー・松目玲香さんの“野望”と“冒険”

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