石塚智代さん(樹里さんのお母さま)・あさ子さん(おばあさま)へのインタビュー
『 樹里は「生きてる」を楽しむーー歌と言葉が湧き立つところ 』
後半のインタビューでは、石塚樹里さんのお母さまである智代さん、おばあさまのあさ子さんにご登場いただきます。
樹里さんは「二分脊椎症」という障害で、お尻の骨が外に突き出た形で生まれました。
生まれてすぐに手術をしますが、水頭症の合併症を起こし、その影響で小脳が脊髄の方にまで下がり呼吸がしづらくなったことから1歳前に気管切開をします。
手術を繰り返し、1年ほど入院したのち、在宅での生活となりますが、下半身に力が入らず歩行が難しく、幼い頃から車椅子を使うようになります。
就労するまで「娘の介護はほぼ家族でしてきました」と話す智代さん。
今でいう“医療的ケア児”だった樹里さんの当時の状況や就職までの歩みをお聞きしつつ、“ラッキーガール”と呼ばれる所以を尋ねます。
1.歌うことが好きな子
▸生まれた時のこと
―樹里さんが生まれた時のことを聞かせてください。
智代さん お腹にいる頃から障害があることはわかっていました。
心の準備はあったということもありますが、どういう状況で生まれてくるかは想像がつかなかったんですね。
生まれてすぐに10時間ぐらいの手術をしたので、「丈夫に生きていけるのかな」っていう心配はありましたね。
水頭症の合併症を起こしていたもんですから、頭に水圧が上がって頭が痛かったのかーーよく泣く子でしたね。
―お母さまは小さい頃の樹里さんと、どんなやり取りをされてきたんでしょうか。
智代さん 気管切開するということは最終的に声を失うことになるので、一般的に考えると人とお話ができなくなるーーそんなイメージがありますよね。
でも小さい頃からコミュニケーションを取るにあたっても、こちらが特別意識するようなことはありませんでした。
耳は聞こえていたので、「こちらが言うことは多分理解できるだろう」と。
3つ上のお兄ちゃんがいたこともあって、同じようにテレビを見せたり、歌を歌ってあげたり。
兄妹で特に変えたことはなかったかな。
今、娘は舌と歯を使って、「ちぇ、ちぇ」という音を出しながら話すようになっているんですが、これは娘が自分で開発した喋り方で、特別誰かが教えたわけではないんです。
―おばあさまは、小さい頃の樹里さんとのやり取りで印象に残ってることはありますか?
あさ子さん 特別、この子に何かをしてるということはなく、やっぱりお兄ちゃんと同じように接していました。
最初の頃は、私はお勤めをしていて、日中はお母さんが主に見てたもんで。
私は夕方に帰ってきて顔を伺うくらいだったんですが、学校に入ってからは仕事を辞めて、樹里ちゃんと携わる時間が多くなりました。
―樹里さんが「ちぇちぇ」というお話の方法を開発されたのは何歳ぐらいの時ですか?
あさ子さん 何歳でしたかね……こども療育センターの小児科の先生から「自分で工夫をして、舌やお口の中を使って声を発してる」ということは小さい頃から聞いていました。
智代さん 幼稚園の頃ですね、きっと。
今みたいに言葉にはならないけど、「ちぇちぇちぇちぇ」って言いながら、みんなと一緒になって喋ってる状況は、幼稚園のあたりからあったと思います。
ただ、まわりは理解しにくかったので、私が代弁して「樹里はこういうことを言ってるんだよ」って伝えたりしていましたね。でも、本人の中では“喋ってました”(笑)。
あさ子さん その頃は、家族にはわかるって感じだったね。
智代さん 喋ってるというよりも、最終的には歌を歌っていました。歌うことからの言語発達だったみたいです。
―音楽には小さい頃から関心があったんですね。
智代さん そうですね、童謡とか。
ほら、よくボタンを押すと童謡が流れるおもちゃがあるじゃないですか。
そういったおもちゃを娘に預けていたので。
ボタンを押すと、流れてくるメロディーに合わせて1人で歌ってましたね。
歌は赤ちゃんの頃から大好きでね。
気管切開の手術をして1年ぐらいは入院生活をしていたんです。
病院ですから音を大きくはできないんですが、絵本や童謡を見たり聞いたりすることも遊びの一つだったので。
ずっと歌を聞いていた影響で今も歌が大好きなのかなと思います。
2.思い出に残る樹里さんのすがた
▸印象に残っている出来事
―樹里さんが小さい頃のことで印象に残っている出来事はありますか?
智代さん 私たちは冬によくスキー場に行っていました。
お兄ちゃんはスキーがしたいもんですからね。
娘に「一緒に連れてってほしい」って言われて連れていったことがあったんですが、スキーの板には乗れないのでソリに段ボール製の座席みたいなものをくっつけて、そこに樹里を縛りつけて、山の中腹ぐらいまで運んでいってーーそこから「エイッ」て、ソリ乗りをさせたんですよ。
そしたら加速がつきすぎてしまって、山小屋にぶつかりそうになったことがありました(笑)。
慌てて後ろから追いかけたけどね。
ソリの方が早いから猛スピードでーー「危ない危ない危ない!」って。山小屋に衝突する寸前で止まってね(笑)。
それはもう衝撃的な出来事でしたね。
―(笑)。樹里さんはその時のことを覚えていますか?
智代さん 小さいので覚えてはないんですが。でも縛られて、自分でブレーキかけることもできないから、ただただソリが止まるのを待つしかない状況でした(笑)。
―おばあさまからご覧になった樹里さんは“どんな人”ですか?
あさ子さん 本当にいつも元気で明るい子だからすごく安心してます。心配も少しはあるけどね。
養護学校の看護師さんから「樹里さんって周りにものすごく気を遣ってるんですよ」と聞いたのを覚えてます。
学校の先生や看護師さん、いろんなことを手伝ってくれる大人の方1人1人に気を遣っているんです。
小学生の時には樹里ちゃんから「おばあちゃん、お家に帰ったら少しゆっくりさせてね」と言われたことがあります。
この子なりに、関わる方1人1人をものすごくよく見てるんだな、と思いましたね。
―これまでで印象に残っていることはありますか?
あさ子さん 印象的だったのは、「男の先生にも『先生、髪切ってきた?』とか『床屋へ行ってきた?』なんて1人1人に気を遣って話しかけてくれる」って。
先生方も喜んで、「いつも声をかけてもらえて嬉しい」なんて男の先生が言ってましたね。
学校に行っていた頃は、朝、樹里と一緒に学校に行って、授業が終わるまで私は学校で待機していたんです。
校外授業にも一緒に行きました。
遊園地に行ったり、消防署見学とかーーいろんなところに行って、私もいっぱいお勉強させてもらって。樹里ちゃんのおかげです。
―おばあさまが思われる“樹里さんの好きな一面”をお聞かせください。
あさ子さん すごく優しいんです、やっぱり。
話していても気を遣ってくれるし、歌が大好きなもんで、台所に立っていると、毎日私に歌を歌ってくれて。
お母さんは「お風呂ですよ」って呼んでるんだけど、「もう1曲歌ってから」なんて言って(笑)。
毎日それが楽しいですね。
あとはスマホとかipadとかは私はわからないことも多いので、「わからないことがあったら何でも聞いて」って高校生の頃から言われてます。
誰も教えてないのに、いつの間にかスマホで歌を録音したりしていてーー私は老化するばっかりだから(笑)。
教えてもらってます、いっぱい。
―お母さまはいかがですか?
智代さん いつも「ありがとう」って言ってくれるところですね。
何をしても「ありがとう」って言ってくれるけど……そういえば「言ってください」って催促もされますね(笑)。
「私、してあげたでしょ。なんか言うことないの、ありがとうは?」なんて(笑)。
樹里は誰にでも分け隔てなく接するので、誰とでも仲良くなれるし、社交的なので社会に出てもそういったコミュニケーション力を持っていれば生きていけるかな、という気持ちでいます。
3.就職までの歩み
樹里さんは地元の養護学校に12年間在籍し、高等部を卒業したのが2023年。
高等部を卒業後は「同級生のほとんどが、就職ではなく生活介護事業所に通う」中、智代さんは「運が良ければ就職を」と願っていたと言います。
そんな中、きっかけとなったのは、樹里さんのお父様が勤める那須建設の会長さんと数年前に交わした「将来は(樹里さんの)面倒を見る」という“約束”。
月日が経ち、その言葉を思い出した智代さんは、令和2年からスタートした「雇用施策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」と独立行政法人 高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)の「重度訪問介護サービス利用者等職場介助助成金」の存在を知り、那須建設の会長さんに当時の“約束”をあらためて伺ったところから、事態は急展開へ。
長井市・那須建設・JEED・土屋、そしてご家族が一丸となって、樹里さんの就職に向けて歩み始めます。
―制度を利用して、就職をされるまでにはどんな状況があったのかをお聞かせください。
智代さん 私たちが住む山形県長井市は当初、雇用施策との連携による重度障害者就労支援特別事業という制度を使えなかったんです。
制度があることそのものは市役所の方もご存じだったようですが、まだ誰も使ったことがなかったので「本当に利用ができるのか」――というところからのスタートだったんですよ。
市役所の方も「制度の仕組みや申請も誰も経験がないので、調べます」と。
こちらもわからない、市役所の方もわからない、でも情報だけはあるー―誰もわからない状態からのスタートだったもんで、でも面白いことに全部がトントン拍子で進んだんです。
「これも樹里が持ってる運命なのかな」「もしかしてそういうチャンスだったのかな」と思うぐらいです。
本当にスムーズに、短時間でことが進んだのでこちらの方がびっくりしましたね。
長井市の方が「いいですよ、やってみましょう」と言ってくれたので、みんなの思いや協力が一致したというかーー。
「この人はラッキーガールだな」って私は勝手に思ってるんですが、運がいいんですよ、すごく。
今回も「チャンスに恵まれたな」「そのおかげで就職ができたんだな」とは思いましたね。
―ご自身のことがトントン拍子で進んでいって、実際にお仕事が決まった時は樹里さんはどんなことを感じていたんでしょうか?
智代さん 仕事が決まって、まわりは「わー、よかった!」ってなってましたが、本人的には「お仕事できるかしら」「私は何をしたらいいのかしら」、そういう不安が最初はね。「働くってどういうこと?」みたいなところがあったと思います。
今は不安はないから毎日、続けられていますが、最初はとてもとても不安だったよね。
そうそう、最初は「9時か10時ぐらいからゆっくり始めましょう」なんて言われていたのに、いきなり「8時から働いてください」と言われて(笑)。
最初は2、3時間ほどの仕事のつもりが、いきなり「正社員と同じように働かないと、この制度は使えないんです」と話が違くなっちゃって、びっくりしたね。
「大丈夫かな?本当に働けるのかな」なんて言ってたけどーー大丈夫だったね、意外とね(笑)。
―おばあさまは樹里さんの働く姿を近くでご覧になっていて、いかがですか?
あさ子さん お仕事と休憩時間のメリハリがきっちりしているんです。
例えば10分くらい休憩していて休憩が終わると、「そろそろ時間なので、私、お仕事始めます」ってーー。
仕事の途中で私が話しかけたりすると「今、お仕事中ですから後で聞きます」って言われます(笑)。
すごく真面目なんですよ、お仕事を始めると。
4.外出先で感じること
▸外出の時や日々の中で感じる問題点
―外出された時や日々の中で感じる問題点や、「こういうものがあったらよかったな」と思うものはありますか?
智代さん 外出先で1番思うのは、やっぱりトイレなんですよね。
高速道路等のトイレだと、ユニバーサルべッドみたいなものがほとんど付いているんですが、ショッピングモールやお店等にある多目的トイレには、大体、ベビーベッドぐらいの大きさのベッドしかなくて。
樹里はベッドに横にならないと導尿できないもんですから、トイレを探すのがなかなか大変なんです。
外出しても、“トイレの時間までに帰ってくる”、“短時間で帰ってくる”といった時間の制限があって、どこに行くにもトイレのことを考えて動いてるような感じですね。
ユニバーサルトイレがどこにでもあるようになってくれたら嬉しいですね。
―外出先が限定されてしまいますね。
智代さん そうなんですよね。
車椅子で入れるお店や宿泊先はだいぶ増えてきたんですがーー泊まりがけで行く時は、バリアフリーの宿を見つけないといけないですし、優先順位の1番が樹里なので。
樹里が行けるところでないとみんなでも行けないので、そういう場所を探すのが大変ですね。
でも、トイレが1番かな。
5.「私も樹里さんのようになれるかもしれない」
▸これからの未来や社会に願うこと
―今の樹里さんをご覧になって、どんな思いを持たれていますか?
また、これからの未来や社会にどんなことを願っているかをお聞かせください。
智代さん 障害を持って生まれまして、「健康だったらどうだろうな」っていう人生も途中で考えたりもしましたが、今はそういうことはないですね。
現時点で楽しく過ごしてる樹里の姿を見ていると、「このまま人生を謳歌してほしいな」っていう気持ちでいっぱいです。
実は、樹里が就職することを頑張ったことが、養護学校の生徒の方たちにも勇気を与えたんだそうです。
「もしかして私も樹里さんのように働けるかもしれない」って思った生徒さんが数多くおられたそうで、就職するにあたって「養護学校のみんなのこれからにも貢献してくれた」と先生方に褒めていただきました。
やったことないことをやってみることで、誰かに勇気を与えたーーチャレンジすることによって夢を広げられた。
これからの人にも勇気を与えたいし、自分ももっと飛躍したいし、生きている限りいろんなことにチャレンジしたい、と。
そんな風に思って、親としてはサポートしていきたいなと思っております。
―おばあさまはいかがですか。
あさ子さん 樹里ちゃんは20歳近くになった頃から、活発に物事を進めたり、考え方もすごく大人びました。
ヘルパーさんや看護師さんに家に来ていただいて、いろんな方とお話する機会も多いので、話の内容も大人っぽくなりましたね。
将来的に本人が望むことで、私に話してくれたのはーー自宅の近くに道の駅があるんですよ。
そこに、「1人でお買い物に行って、お買い物をしてみたい」と私に言ってます。1人でそれができたら、本人もすごく嬉しいんだろうなと思ってます。
―最後になりますが、樹里さんはお母さまやおばあさまのお話を隣でお聞きしていてーーどんなことを思われますか?
樹里さん 自分で歩けないので、車椅子を使って行けるところを増やして。
1人で行けるように。1人で行けるところを増やしたい。
智代さん でも困ったら誰かに助けてもらわないと。その時、まわりの人に『助けてください』って言えますか?
樹里さん もちろん言える。
智代さん そうね。これからもチャレンジいっぱいしてください。
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<樹里さんへのメッセージ>
▸荒木友子さん(ホームケア土屋山形アテンダント)からのメッセージ
樹里様の人柄は、誰に対しても平等で笑顔で接し、その場を太陽のように照らし和やかにしてくれる方です。
これからも、仕事のサポートは勿論、人として成長していく樹里様を見守っていきたいです。
▸髙橋由紀さん(ホームケア土屋山形アテンダント)からのメッセージ
私達が普段何気なく数秒で行う作業を何分もかけて一生懸命やろうとする樹里さん。
出来た時に見せてくれる「出来た!みて!」と喜ぶ満面の笑顔には、心を揺さぶられます。
▸穂積淳子さん(ホームケア土屋山形アテンダント)からのメッセージ
樹里さんのモットーは「一人で」。
強い意志で努力を重ね、一人でできる仕事を着実に増やしていく樹里さんに、私の方が感動と勇気をもらっいます。
学校の後輩達にとっても、樹里さんの就労の姿は理想的で、明るい希望と目標です。
たくさんの人を幸せな気持ちにさせてくれる樹里さん、ありがとう。
これからもずっと応援させてくださいね。
▸佐藤志津子さん(ホームケア土屋山形オフィスマネージャー)からのメッセージ
『ひとりでやりたい!』と何度も挑戦する姿に目頭が熱くなりながら支援しています。
たくさんの笑顔とパワーをいただけることに幸せだと心から感謝しています。
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<インタビュー協力>
山形県長井市役所福祉あんしん課
那須建設株式会社
<コーディネート>
佐藤志津子(ホームケア土屋山形オフィスマネージャー)