愛あるところに、愛が集う。愛ある男(と、おばあちゃん)、ここにあり
ホームケア土屋大阪のクライアントである清水直基(しみずなおき)さん、24歳。
“クライアント”と一概に言っても、それぞれの生き方、生活のリズムがあります。何気ない日常や、家族やアテンダントや友達とのやりとり、その中で考えていること、これまでの自分と今の自分――。
清水さんは、どんな日々を送っているのでしょうか。クライアントの目線で日々をたどるインタビューです。
愛・優しさ・笑い from Osaka to Everywhere!
頚椎損傷という障害を持つ清水さんは普段、人工呼吸器をつけてお話をされます。
インタビュー中、zoom越しにお話される清水さんの「声」、そのリズムや息づかいは、ゆっくりと小さな声で、だけれども、しっかりとこちら側へ届いていました。
記事では、読む方にもそのリズムを感じてもらえるよう、清水さんの発言箇所は、息継ぎのペースで改行をし、句読点や文字として置いています。
そして、インタビューに併走し、普段の様子を伝えてくれたのは、ご家族やアテンダント、コーディネーターの皆さんです。「彼のまわりにはいつも人が集まる」「アテンダントにも、友達といる時のように気兼ねなく接してくれる」といわれる清水さん。
どちらかが支えるのでも、支えられるのでもなく、同じ目線に立つからこそ生まれる笑いや、人と人として出会える愛のあふれる場が、重度訪問介護の仕事にはあるのです。
その輪のなかに入るように、清水さんの「声」、そして清水さんの存在がつくる「場」にぜひ、耳を傾けてみてください。
*土屋では、本来、クライアントに「様」をつけてお呼びしていますが、このインタビューでは、清水さんがつくる場のアットホームな雰囲気を感じていただくために、アテンダントの“直基くん“という呼び方や会話のやり取りをそのまま掲載しています。
zoomインタビュー参加者
清水 清水直基さん(クライアント)
祖母 本田順子さん(ほんだじゅんこさん/直基さんの祖母)
北山 北山亜希さん(きたやまあき/ホームケア土屋大阪・コーディネーター)
山村 山村美志さん(やまむらみゆき/ホームケア土屋大阪・コーディネーター)
1.清水さんの今とこれまで
▸動画鑑賞やカラオケや買い物や――こんなふうに一日を過ごしています
―清水さんはどんなふうに一日を過ごされているんでしょうか。
自宅で過ごしている時は、アマゾンプライムビデオとか。ネットフリックスを見て過ごしてます。
もともとカラオケが好きなので。最近はリハビリを兼ねて。自宅でほぼ毎日、カラオケもしています。
あとは週一で外出をして。買い物とかを楽しんでます。
―カラオケはどんなふうに?
アプリがあって。マイクを持っているので、家で歌ってます。
―よく歌われる曲はなんですか?
「愛は勝つ」。
―他にご興味があるのは、どんなことですか?
アニメ鑑賞やゲーム実況のユーチューブ。
ジブリのグッズを集めることです。
―ジブリは何の作品がお好きなんですか?
「千と千尋の神隠し」。
―グッズは、どんなものを集めてらっしゃるんでしょうか。
部屋のこっち側にジブリコーナーがあるんです(ジブリのフィギアなどが壁一面に飾ってある)。他にもいっぱいあるんですが、ここ一帯がジブリコーナーです。
―すごく綺麗に飾られてるんですね。アニメ以外にも映画は見られますか?
ホラー映画をよく。怖いのが好きです。胸がゾワゾワするアニメとか、映画が好きです。
―ゲームの実況中継も怖いものを見るんですか?
怖いものも見るけど、(ゲームは)笑える方が多いです。
▸初めての1泊2日旅行へ、そして同じ境遇の人との出会い
―外出されることも多いとお聞きしてます。旅行にも行かれるんですか?
去年の6月ごろ。
泊まりで旅行に挑戦したことがあって。1泊2日の旅行で、三重県の鳥羽に。
―どなたと行かれたんですか?
家族とヘルパーも含めて数人で。
おばあちゃんも一緒に。
―旅行先の鳥羽は、清水さんのご希望ですか?
……
―固まってました?今(笑)。
えっと……おばあちゃんの希望だそうです(笑)。
―家族会議の結果ということですね(笑)。
けいそん連絡会(全国頚椎損傷連絡会)という、頚椎損傷の方々が主催するイベントに参加されることも多いと伺いました。
けいそん連絡会では、どんなことをされたり、お話されるんでしょうか?
どうしてみんな怪我をしたのか、とか
どうして障害を持つことになったのか。っていうお互いの話をしたり。
どういうふうに生活をしているのか、っていう情報の共有だったり。
どんな病院に行ってるか。
病院に行って、怪我した人たちを元気づける活動だったり。
普通にみんなで集まって、ご飯を食べるっていう時間を設けたり。
―そこではどんな出会いがありました?
(自分は)まだ経験が浅いから。
経験は浅いけど、自分と同じ境遇の人たちが笑顔でいる。
みんな笑顔だから。
自分を見て笑顔になってくれるから、勇気と自信がもらえる。
相手もきっと、そうだろうなって感じられる。
▸やんちゃな子でした
―子どもの頃は、どんな子でしたか?
子どもの頃は、家よりも公園で、手打ち野球したり。
本当にちっちゃい頃は自転車に乗ったり。山登りをしたり。
―わんぱくな子ども時代だったんですね。中学や高校時代はどんな風に過ごされてましたか?
中学は情報研究部に入ってた。パソコンで調べごとしたりとか。
あと、かくれんぼしてた(笑)。
―かくれんぼですか?
情報研究部の部室で。小規模にやってた(笑)。
―情報研究部はその時、惹かれたものがあったんですか?それともなんとなく……
なんとなく(笑)。
高校は陸上部に入って。国体の選手に、選ばれて。
―すごい!なんの競技ですか?
短距離です。
―高校時代は部活に力を入れていたんですね。
勉強はダメ(笑)。
―10代の頃よく見てた映画や音楽は、今好きなものとはまた違いますか?
ユーチューブはよく見てた。やっぱりゲーム実況も見てたり。今とあんまり変わらず。
アニメも、ジブリじゃない、その時の流行りのアニメを見てた。
―ユーチューブを見て、やってみたことってありますか?
清水 メントスコーラ(笑)。
(※ペットボトルのコーラにメントスを入れると、噴水のようにコーラが噴き出す「メントスコーラ」という動画)
―やんちゃな子だったんですね(笑)。
2.アテンダントから見た“直基くんと、家族”
▸“直基くん”のまわりに、人が集まる
―普段から一緒にいらっしゃるお二人にお聞きします。まず、北山さんから見た清水さんは、どんな方ですか?
清水様ご本人がすごくしっかりしてるので、ヘルパーの問題だったり、これからどういう支援をしていくかっていう問題にぶつかった時は、
自ら「こういう支援がいいんじゃないか」という提案や意見を出してくださるんです。
すごく前向きに、ポジティブに物事を捉えてくれる――会議で発言する時には「あぁ、しっかりしてるな」という印象を持っていました。
―清水さんのお家は、ご本人もご家族も、とにかくあたたかな雰囲気で……と伺ってます。
ご家族とのやり取りで、印象に残っていることがあったら聞かせてください。
それは、ほとんどおばあちゃんの話になるかもしれないですね(笑)。
今もそうなんですが、おばあちゃん、私にもすごくよくしてくださって、いろんな話をしてくださるんですよ。
だからこの場所に居ると、アットホームに感じるというか――。緊張感なくその場に居させてくれる。
そういう雰囲気をおばあちゃんがつくってくれてるんだな、と思えて、ありがたいです。他の支援現場ではあまり経験できないですね。
―山村さんは、どんな印象を持っていますか?
初めてヘルパーとして現場に入った時に、「人に囲まれてる人やな」って思いましたね。
ヘルパーさんにしても、おばあさんにしても、友達にしても。
直基くん自身にしゃべりやすい雰囲気があるのかもしれないですね。人を集める力があるというか。
―今まで、山村さんが一緒にいる時にも、友達が訪ねてくることもあったんでしょうか。
初めてヘルパーとして現場に入った時に、「人に囲まれてる人やな」って思いましたね。
ヘルパーさんにしても、おばあさんにしても、友達にしても。
直基くん自身にしゃべりやすい雰囲気があるのかもしれないですね。人を集める力があるというか。
―今まで、山村さんが一緒にいる時にも、友達が訪ねてくることもあったんでしょうか。
はい、一回ありましたね。友達が急にピンポーンって来て。他の事業所のヘルパーさんが、帰り道に急に来たりもありましたね。
お友達が来て、直基君とゲームをしてることがよくあります。
そのお友達と私は全く面識がなかったんですが、直基くんがゲームの4人対戦の一人に私を入れてくれたーーということもありました。
「ヘルパーやから横で見といて」じゃなくて、一緒になって友達の輪の中に入れてくれるのは、やっぱり直基くんの性格やな、と。
直基くんらしいところだなと、すごく思いますね。
―清水さんと関わる方は皆さん、清水さんのことを「直基くん」って呼ばれるんですね。
そんなところからも、アットホームな支援現場の雰囲気が伺えます。
3.出会ってきた仕事と人
▸仕事――なんとなく、ものづくりが好きだった
―高校を卒業されてからは、どんなお仕事をされていたんですか?
物流倉庫で仕事をしたり。
その後、家具の製作会社に転職したり。
―倉庫での仕事は、どんな内容を?
スーツの仕分けをしたり。
主にスーツを発送する店ごとに、仕分けする仕事が物流倉庫での仕事。
家具製作会社はソファーとかを、つくる。
ラウンジにあるような椅子をつくってたね。
―実際に椅子を製作するところに関わってたんですか?
ソファの組み立て作業に関わってた。
―家具製作の仕事に転職したのはどうしてですか?
それも、なんとなく。
でも、ものづくりが好きだったから。
―元々、技術系の学校で学ばれてたんですか?
高校は福祉園芸課に通っていた。
園芸課では、野菜。畑をやってた。
勉強して、野菜をつくれる畑で。
野菜をつくって、提供する。
文化祭で、授業でつくった野菜を「大根一本50円」とかで保護者に安く売ったり。
福祉と園芸が一緒になった学科で、それぞれ勉強をしてたね。
―入学当時から、野菜を育てることには関心があったんですか?
全く興味なかった。どっちも。福祉も興味がなかったけど。
最初は、ものづくり課のある学校に行こうとしていた。
最初はその高校で、福祉を勉強する福祉科とものづくりを勉強するものづくり科で悩んで。福祉の方を選んだ。
それも決定打があったわけでなく、その時に福祉の方に気持ちがいったから…っていう感じで選んだ。
―その高校を選んだのはどうしてですか?
先生から「その学校はすごくいいよ」って、教えてもらったから。
―高校を先に決めてから、どの科に入るかを選ばれたんですね。
▸“ヘルパー”という存在と出会って
―20歳の時に事故に遭われたとお聞きしています。事故には、仕事中に遭われたんでしょうか。
貨物用のエレベーターに首を挟まれるという事故にあって、
怪我をして。
そのあと、肩から下は動かなくなってしまった。
―頚椎損傷という障害を持った時、清水さんを支えてくれた人やものはありましたか?
友達。
一番はやっぱり家族の支え。
友達とか、ヘルパーさんに支えてもらって。
いつも感謝しています。
あと、看護師さん。
病院で。恋バナしたりして。
―その頃のお話、北山さんはお聞きしたことはありますか?
怪我して入院した後、一回転院したことがあると聞きました。
転院先の病院で出会った看護師さんと恋バナしたり、リハビリの先生とアニメの話をしたりして、辛い気持ちが紛れたそうです。
そこが心が楽になっていくターニングポイントやったみたいです。
あと病院食が口に合わなかった(笑)。
おばあちゃんが。週に2回、ペペロンチーノを持ってきてくれて。
怪我する前から週2回はペペロンチーノを食べていたそうなんですが、入院してからもずっとおばあちゃんがつくって病院に持ってきてくれて。
それがとても美味しかった、と聞きました。
―病院を退院されてから、重度訪問介護の制度を利用されるようになって何年ほどですか?
(利用し始めてから今で)ちょうど3年くらい。
―最初、清水さんはヘルパーさんの存在をどんな風に感じられてました?
言葉が悪いですけど。何も思っていなかった。
“ただのヘルパーさん”って思ってて。
そこから徐々に関係が増えていって。すごく感情が湧いてきて。
「こんなに思って、やってくれるんだ」と感じて。
感覚的には友達に近いようになっていった。
―おばあさまにお聞きしたいんですが、ご家族として、アテンダントを迎え入れることにはどんな思いがありました?
思ったよりはすごくよく入り込んで、やってくれた。
最初、本当にね、ここまでやってくれるとは思わなくて。家族にやってもろうてるみたいなーーいや、家族よりええんちゃう(笑)?
最初はね、どんな人か、どんなことしてくれるのか、わからへんから警戒もするしね。
でも私、変な人やから、ヘルパーさんはやりにくいと思うよ(笑)。
―(笑)。おばあさまとしては、こんな雰囲気をつくろう――という思いはあるんですか?
特にない。
―何かするわけではなく、素の状態でいらっしゃるんですね(笑)。
おばあちゃん、そのままで本当に素晴らしいものをお持ちなんです(笑)。
4. 人と出会い、人と関わりながら広がっていく自分と未来
▸「将来、どうする?」――結婚とか、仕事とか。
すっかり場があたたまってきたところで、北山さん、山村さんにもインタビュアー役になってもらい、インタビューを進めていくことになりました。
“アテンダントとクライアント”という関係だからこそ普段は聞けないことがあり、同時に、“友達”のような距離で関わることもできる二人だからこそ尋ねられることがあり――
仕事として接する緊張感と、人として接する安心感の間で、これまで清水さんとの関係性を育んできた二人が、じわじわと清水さんの「これから」に迫ります。
―お二人から、この機会にお聞きしてみたいことってありますか?
そうですね。山村さんとも話していたのは、直基くん自身、結婚願望があると言っていたので――
どんな家族プランを持ってるのかな、とか、理想の家族像を聞いてみたいです(笑)。
―清水さん、困った顔してますね(笑)。「こんな人と結婚したい」という理想はありますか?
年上。
―断然、年上なんですね(笑)。
包み込んでくれる人。
落ち着いた感じで、安心感がある。
子どもは欲しいとは今は思ってない。
―「奥さんとの関係や距離感はこうありたい」という理想像はありますか?
(奥さんに介助は)そんなにさせたくはないと思ってる。吸引とか、もちろん今、家族がやってくれてる範囲はやってほしいけど。
料理つくったり、ご飯の支度したりとか。最低ラインでいい。
―ヘルパーとしてではなく、家族としてありたい――という感じでしょうか。
はい。
仕事については、今後、どんなふうに考えてるか聞いてみたいです。
仕事には今後、就いていきたい。
―仕事については、「ただ働きに行って帰ってくるのではなく、人と人との繋がりが広がるような仕事をしたい」と仰っていたとお聞きしてます。
それは今も変わらず思っていますか?
はい。
―他に聞いてみたいことってありますか?
あと、普段は聞きにくいことなんですが――
基本的に直基くんはポジティブに話をしてくれるというか、明るく接してくれるんですが、もしかしたら無理をしてるんじゃないかな、という時がたまにあって。
私たちにはそんなに「しんどい、辛い」みたいなことはあまり言わないけれど、どこかで直基くんがアテンダント側に気を使ってるのかな、と思うこともあるんです。
もし「普段、こういうところを我慢してる」という思いがあったら教えてもらいたいです。
自分で処理できる。
ネガティブな感情とかを自分の中で消化することができる。
もちろん感じないわけじゃない。
イラっとしたりとか。辛いとか不安だったりとか。
限界はあるけど、ある程度は自分の中で処理して消化している。
消化して相手に伝えている。
感情的に、じゃなくて。ある程度、柔らかく伝えられるように。
もやもやだったりとかを、表に出すようにしている。
……すごく大人なんですね。
それをアテンダント側に感じさせないのは、やっぱり直基くん自身の優しさやと思う。
―清水さんはずっとそんなふうに自分と向き合ってきたんですか?
全然全然。
めちゃくちゃキレてた(笑)。
怪我して。考える時間が増えた。
その時間で「こうやったらいいかな」とか。
いろいろ考えるようになって。性格が変わったかなと感じる。
▸今のあたりまえを変えたい。何の不自由もなく行きたいところに行ける未来へ
―これから挑戦してみたいことはありますか?
いつか連泊の旅行に行ってみたい。
次は2泊3日で。どんどん増やしていって。
北海道に行くことが今の目標。飛行機も取らなきゃいけないし。
そういう計画を立てること自体も、飛行機に乗るっていう挑戦もしてみたい。
―行き先の北海道では何を?
北海道の美味しいものを食べに行きたい。
―ちなみに海外は?
ハードルが高い(笑)。
今は。
―「将来、こういうことをしたい」というような、大きな目標はありますか?
もうちょっと人との関わりを増やしていきたい。
今は障害者は働けない。重度の人は働けないから。そのルールを変えたい。
24時間仕事をしていても、ヘルパーを使えるようにしたい。
―清水さんは、「今のルールを変えていく活動をしていきたい」という夢があるんですね。
政治家やな。
そうですね。そのための第一歩として、「人と人との関わり、人脈を広げたい」ということを直基くんは常日頃から言ってます。
まずは身近な人に、広く自分を知ってもらう。知り合いを増やす――というところを、一歩一歩、頑張ってはります。
―ぜひ、頑張ってもらいたいです。未来のことをもう少しお聞きしたいんですが、たとえば「10年後」と言った時、
「自分はこういう仕事をしてて、家族がいて、こんなふうに生活できていたらいいな」
という想像をお聞きしたいです。
医療の技術がどんどん進んで。
完全じゃなくても。動けるようになったり。
もっと日本がバリアフリーになっていて、自分たちに何の不便もないぐらいに進んでいたらいいなと。
バリアフリーが進んで、自分が何の不自由もなく、行きたいところに行けるような未来、みたいな。
10年後は。そんな感じの未来が理想。
―これから生きていく中で、働いていく中で、大切にしていきたいことはどんなことですか?
それはもう。変わらず人との関係。
新しい出会いを大切にしていきたいという積極性は持っていたい。
―逆に、「今、ここに不安や問題を感じてる」「将来的にこういうところを解決していけたらいいな」ということはありますか。
人の目。周りの人が。親切な人もいっぱいおるけど、中には、あんまり障害者の、理解がない人がいたり。
外に出たら見られたりとかあるから。そこがもうちょっと。
気にしないようになったらいい。
▸変わっていく中にある、変わらないもの
―「清水さんにとって、障害を持っても変わらない部分ってどんなところですか?」という質問を用意していました。
体とか、ものとか、見えるものではなく、清水さんの中にあるずっと変わらない部分ってなんでしょう?
思いやりがあるところ。優しいところはずっと変わらず持ち続けてる。
あと勉強ができないところ(笑)。
―そこは変わらないんですね(笑)。同じ質問をおばあさまにもお聞きしてみたいです。
本人も言ってたけど、「優しい」。特に小さい子、それと障害者には、怪我する前、小さい時から優しかった。
学校に特別クラスってありますでしょう。この子ね、特別クラスに算数と国語の時間に入っとったんかな。
重度の知的障害とか、ダウン症の子どもたちがおったけど、その子たちとすごく仲良く遊んであげてた。
今も昔もずっと変わらず優しい子だなって思ってる。
―そういう記憶が残ってらっしゃるんですね。おばあさまの中に。
早くに母親を亡くしてるから。ずっとね、一緒に住んで、見てきたんで。優しさは今も変わらへんよね。
ちょっと、ばあちゃんには冷たいけどね(笑)。
―(笑)。
だって、「お前」とか言うたり(笑)。でも本当に、根は優しいな。
―ちょっと質問を広げてみて……
もしお金も介護技術も、何にも制限がないとしたら「こんなことをやってみたい」ということはありますか?
でかい株を動かしたい(笑)。
(笑)。ではお金はもちろん、技術の進歩で体も動かせて、「言ったこと何でも叶えられる」となったら、どうでしょうか?
病院の先生。病院の先生になりたい。
勉強でけへんのになぁ(笑)。
勉強はでけへんけど。
なんの制限もなければ、大きい病院の先生になれるぐらいの、努力をして
先生になりたい。
―病院の先生は子どもの頃からの夢だったんですか?
ない、こうなってから。病院の先生って偉大だなって思うようになった。
―では、清水さんが病院の先生になられて、病院や介護事業所を経営されたとしたら、「こんな病院にしたい」「こんな人が働いてる病院にしたいな」という願いはありますか?
優しい、思いやりがある人たちで構成されていること。
相手を尊重できる医師、もしくはヘルパーが揃っていること。
他は特に気にしない。し、求めない。
ただ、相手のことを思いやる気持ちが一番。そういうヘルパーさんがたくさんいる事業所。
だから介護技術じゃなくて、人柄でヘルパーさんを集めたい。多少技術はつたなくてもいいから、思いやりのある人で(病院や事業所を)つくりたい。
5.生活は、もっと楽しくなる
▸当事者・家族・介助者が日々感じる「なんでやねん!」
―清水さんは、先天的に障害を持って生まれたわけではなく、怪我をされてから今の生活になり、だからこそ不便さを感じられたことも多かったのでは……と思います。
普段の生活の中で「おかしいな」と思うこと、困っていることはありますか?
電車乗ったり、出かける時、二人介助を使ってる人が珍しい。
直基くんは外出する時、二人介助で出かけるんですが、電車に乗る時にヘルパーの割引が一人までしかきかないことがあるんです。
電車によって違ったりする。近鉄は二人までいける。
「◯◯ではいいけど、△△では違う」みたいなルールがあって、ややこしいな。
市町村によっても違うし、せめて大阪だけでも統一してほしい。
あと、介護タクシーが高すぎる。
料金がめっちゃ高いところと、サービスが手厚いところがある。
タクシーによっては時間制で料金が決まる会社と、車の大きさで決まる会社があって、それも一律にしてほしいね。
しかもタクシー使う時、ものすごい迷う。
介護タクシーは、例えばいつも使っているタクシー会社が使えなくなって、「どこ呼ぼう?」ってなった時にも金額設定が違いすぎて簡単には選べないんですよ。
もうちょっとリーズナブルに使いやすくなったらいいんですが。
―あぁ、なるほど。他にも「なんでやねん!」って思うことありませんか?
家。家を借りる時に。もうちょっと車椅子にやさしい賃貸が増えたらいい。
まだ少ないから探すのが大変。
多いのにね、今、車いす乗ってる人。
―北山さんもきっと清水さんの横にいて、「なんでやねん!」って思うこと、ありますか。
そうですね。もう少し車椅子に配慮した仕組みに社会がなってもいいんじゃないか、とは思います。
電車に乗って買い物に行く時も、旅行並みに計画を立てなきゃいけないのが現状なんです。
乗り換えがあると「駅ごと、鉄道会社ごとに連絡しておかなきゃ」とか、「エレベーターがあるか」「車椅子に対応しているか」を確認してから出かけなければならない。
直基くんの車椅子は大きいですし、荷物も多いので、本当に毎度、数日前から準備しなければならないんです。
前準備は必要だったとしても、せめてクライアントが「明日出かけよう」って思ったら、ちょっと準備すれば出かけられるーーぐらいの体制が整ってほしいとは思います。
うん。
―先ほど、お家の話が出ましたが、清水さん自身は「一人暮らしをしたいな」という思いはあるんですか?
清水 あるのはある。
でも……ばあちゃんが死んでからかなぁ(笑)。
▸自分と同じ境遇の人へ
―最後に、この記事を読んでる方へ、清水さんからのメッセージを聞かせてください。
自分と同じ障害の人。同じ境遇の人にまず見てもらいたい。同じ障害の人たちに勇気を持ってもらいたい。
自分はこういう生活してるけど、楽しくしてる。まわりの人も、呼吸器つけてる人もそうだけど。旅行行ったりもできるし。
もっと生活が楽しくなるよって伝えたい。制限があるように感じるけど、違うよと。
自分で楽しいことを見つけられるよ、自分みたいにって。それが伝わればいいなって。
・・・・
▸ホームケア土屋大阪 コーディネーター・山村美志さん
清水様は私が土屋に入社して初めてお会いした方でした。
本来であればこちらからコミュニケーションを取った方がいいのですが、緊張で同行する先輩との話に頷くことしか出来ていませんでした。
ですが、清水様から色々と質問してくれたので、徐々に色んな話が出来るようになりました。外出支援も清水様が初めてでした。同行初日に近くの小学校ですが、選挙投票に行ったのです。
本当に様々な事を学ばせてもらっています。色んな所へ積極的に外出したいという思いを、サポートしていけたらと思います。これからもよろしくお願いいたします。
▸ホームケア土屋大阪 アテンダント・小川貴代(おがわたかよ)さん
猫、ネットショッピング、美容、ファッション等がお好きな直基君との興味の共通点が多く とても楽しい訪問先で。
ご本人様、おばあ様、ご家族様、また関係する事業所の皆様明るく温かで、アテンダントとして訪問時緊張感はありますが愛のある現場に帰りにはいつも癒されほっこりして帰っている自分がおります(笑)。
皆の癒しのスポットですね。清水家ヘルパーズの一員として携われた事に日々心から感謝しております。
お洒落で美意識の高い直基君のヘアセットを担当させていただく事がありますが、思い描くヘアスタイルになってくれるよう今後もお手伝いさせていただきたいと思います。
これからも宜しくお願いいたします。
▸ホームケア土屋大阪 コーディネーター・北山亜希さん
清水様のヘルパー最初のメンバーとしてずっと支援に関わらせていただいていました。
コーディネーターになってから初めて担当させて頂いたのも清水様です。様々な経験をさせていただきました。
担当になってからは外出を一緒にする事も増え清水様の活動を知ったり、遊びに行ったり、楽しい時間を過ごさせていただきました。アテンダントの事をよく考えてくださっていて、とてもありがたいです。ありがとうございます。
自分と同じ方々をサポートする側になりたいという目標に向かって、これからの清水様のご活躍を応援しております。
インタビュー協力・コーディネート:ホームケア土屋大阪 コーディネーター・北山亜希
構成:本社社長室 野上麻衣