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ニーチェを笑わせろ【後編】 / わたしの

ニーチェを笑わせろ【後編】 / わたしの

ニーチェを笑わせろ【後編】
わたしの

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ニーチェを笑わせろ【前編】/わたしの |ホームケア土屋

土橋(聴き手):前回の続きからニーチェについて聞いていきましょう。

ニーチェと内海さんの「幸せ」がどうつながってくるんですか?

内海(ウツミ):僕は哲学に詳しいわけじゃないよ。

ニーチェの本を読んだことがないわけじゃないけど…さっぱり分からなかった(笑)。

高校生の頃、学校の図書館が好きでよく通っていたんだけど、世界の哲学全集っていうのがあったの。

オレンジ色の、手触りが布みたいな感じの大きな本で、厳かで、そこに黒い明朝体で「ニーチェ」とかさ「カント」とか名前が書いてあって滅茶苦茶かっこいいのよ。

内容はまったくちんぷんかんぷんでよく分からないんだけど(笑)、その本が図書館の棚の中で暗い光を放っているの。

本の存在だけですでにかっこいいってことってあるんだよね。

だからはじめに断っておくと、自分は哲学の専門家じゃないし、難しいことはよくわからない。

ニーチェという人の本を自分で読み解いたわけではないから、それが間違っているとか解釈が足りてないとかご指摘を受けるかもしれない。

そこはご了承いただきたい。

正確なことは本当によくわからないんだけど、哲学素人の僕は、ある時、ニーチェの解説本の一文に出会った。

一言一句正確には思い出せないけれど、そこにこういう風な内容が書いてあった。

「どうして人を殺してはいけないか?」

という問いに対して、ニーチェならどう答えるか?

「殺してもかまわない」と答えるだろう。

いや、「かまわない」どころか「是非殺すべきだ」と答えるだろう。

当然、殺した後、逮捕されれば刑務所に入るということを考慮に入れた上で、それでももしその方法でしか自分が「幸せ」を見いだせない、救われないのだとしたら、是非そうするべきだとニーチェなら答えるだろう、とその解説書には書かれていた。

土橋:おー。

内海:その一文を読んだときにすごい怖かった。

土橋さんの言葉を借りるところの「極私的な幸せ」のためなら他者を蹂躙したり犠牲にしたりしてもかまわないという内容は非常に胸くそ悪かった。

だとしたら無差別テロ、自爆テロも、虐待も、凶悪な殺人事件も、あの事件も、この事件も肯定することになるんじゃないか?赦すということになるんじゃないか?

何を言ってるんだこの人は!って思った。

土橋:確かに嫌な気持ちになる言葉です。

内海:自分は不勉強だから、ニーチェはそんなこと言ってないよと思う方もいるかもしれないから、そこはすみませんって謝るしかないんだけど…。

だから正確なことを言えばニーチェさんは横に置いておいて、ただその本に書かれていた

「幸せのためなら他者を犠牲にしてかまわない」

というメッセージが胸に突き刺さっちゃったのは事実なんです。

嫌な気持ちになって最初はそのメッセージに対して不機嫌になっていたけれど、その言葉が頭から離れなくてしばらく考えていくうちに、自分がそこまでおびえているのはなぜかって言うと「それは本当なんじゃないか」ってどこかで考えてしまっている自分を見つけたからなんだ。

つまり考えれば考えるほどその言葉はある種、正しいよな、否定できないよなって思っている自分がいたってことです。

土橋:凶悪な事件を肯定するのか!っていう単純な抗議だけではなかったってことですね。

内海:そう、この人の言ってること「本当だ」って、思っちゃって…。

ようするに自分の中にニーチェがいることを知った。

それで怖くて怖くて、どうこの「本当」に対して向き合っていけばいいんだろうって思った。

凶悪な犯罪くらい極端なことではなくてもさ、例えばさ、おいしいご飯が食べたいっていう自分の欲を満たすために、手っ取り早くレストランからテイクアウトしたり宅配してもらったり最近するんですよ。

そうするとプラスチックのごみが大量に出るわけ。

今、マイクロプラスチックで海洋生物はじめ、環境を犠牲にしている問題があるじゃないですか、いずれは人間にしっぺ返しがくることだとは思うけれど、プラスチックのせいで苦しんでいる生き物がたくさんいるじゃないですか。

それを考えると自分がやってることも同じじゃんって思う。

何かを犠牲にして「幸せ」になってるじゃんって。

土橋:確かに、子どもの頃、親や先生から教わった「弱いものいじめはやめよう」って言葉と、生物の時間に習った「弱肉強食」の原理。

どちらが「本当」っぽいかって聞かれたら「弱肉強食」だよって答える人は多いんじゃないですかね。

内海:それで僕はこの「本当」をどうしたら打ち破れるのかで悩んでしまって…。

土橋:それでどうしたんですか?

内海:いろんな人に話を聞いてもらった。

ニーチェっていう人がどうも自分の「幸せ」のためなら他者を犠牲にしてかまわないって言ったらしくて、それがどこか「本当」っぽくて、自分もそこを抜け出せないんだけどどうしたらいいと思いますか?って聞いてまわりました。

中学二年生みたいに(笑)。

人と話をする中で、だんだんわかったことは「本当」を否定しようとかかるのではなく、「それは本当かもしれないね」と認めたうえで、だけど人間には「本当のことだけじゃないもの」が大切なんだよってことでした。

ある人はそれを「ロマン」って表現していた。

「弱肉強食」は「本当」かもしれないけれど、でもそれに従っているだけだと単なる動物じゃん。

人間は大切な人を守るために自分を犠牲にすることがあるし、誰かの幸せを願って汗を流したいという気持ちが生まれる。困っている人を助けたい、とかね。

人にはそんな「幸せ」があるんだ。

土橋:極限まで「本当」のことを言おうとするニーチェを受け止めたうえで、それを超えていこうとしていたわけですね。

内海:そんな立派なものじゃないけどね。

ニーチェに向かって、おまえの考える「本当」は「嘘」だ!とは言えなかったんだ。

「本当」を見つめていたニーチェは寂しかったんじゃないかなーって思った。

だからニーチェの言葉を負かしてやろうとか覆そうなんて思えなくて、ニーチェが思わず笑っちゃうような冗談を言いたいなって。

これからはニーチェを笑わせるような「幸せ」を求めていきたいなって思ったんだ。

ニーチェを笑わせろって。

土橋:うんうん。

内海:でも、ニーチェのおかげで救われた人はたくさんいると思う。

そんな極限の「本当」ってどこか優しいっていうか、実行するのは別として、ああ、こう考えてもいいんだな、自分と同じことを考えている人がいるんだなって、なんか楽になるじゃん。

ある思春期の子どもがいて、その子は知的発達にハンデがあったんだけど、結構、壁とかテーブルとか物を壊したり暴言を吐くんだけど…。

ある時「全部壊してやる!」って暴れたの。

今までなら「やめなよ、駄目だよ」って止めていたんだけど、そのときニーチェが頭に浮かんだんだよね。それで、その子の発言、

「全部壊してやる!」

に対して、

「いいよ」って言葉が自然とでてきた。

その子はね「えっ」って驚いてこっちを見た。

「ニーチェって人がいたんだけど、その人なら壊してもいいよって言うと思うよ」って僕は言った。

「それでしか自分を治められないならいいよ。そういうときもあるよ。仕方ないよ」

そんなことを言われたのははじめてだったのかもしれない。

今まですごい暴れていたのに急に静かになっちゃって…。

ニーチェさん、ありがとうって感謝した(笑)。

土橋:(笑)なんかいい話だー。

もっと聞いていたいけどお時間が来てしまいました。

今日は貴重なお話をたくさんありがとうございました!

内海:こちらこそありがとう!

また呼んでください。

プロフィール
わたしの╱watashino

1979年、山梨県生まれ

▼ 音楽・文

050-3733-3443