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【広報土づくり 令和3年9月号】レポート

【広報土づくり】9月号 レポート

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つっちー
みなさま、こんにちは。広報土づくり9月号は、山形在住で脳性麻痺の齋藤直希さんにインタビューを行いました。齋藤さんは行政書士の資格を取り、福祉行政や法律に携わる活動をされています。今回は、多くの困難を乗り越えて養護学校から普通高校へと進まれた齋藤さんに、障害者に関わるさまざまな問題についてお話を伺いました♪

齋藤直希さんインタビュー

【現在の活動】

「一般社団法人 障害者・難病者自律支援研究会」の代表理事です。以前は、「障害のある人ない人と共につくる政策研究会山形」の代表を務めて、いろんな障害をもった方々と、制度や政策について学んでいました。例えば、脳性麻痺者が使える制度や重度訪問介護制度で使える具体的な内容などとかですね。県や市の出前講座も開いて、行政や福祉担当の方からお話も聞いていました。 ただ、参加者の体調や移動手段、制度・政策の難易度、異なった障害をもつ者同士の理解の難しさなどの問題で辞める人が出てきたり、そこに私の個人的な諸事情が起きて動きにくくなってきました。この度、社団法人化した「障害者・難病者自律支援研究会」では、障害の違いを理解し合うこと、そこから、健常者との関係を視野に入れて、健常者と障害者の相互理解の本質について深く考えていきたいです。また、「自律」には自らを自らでコントロールするという意味を込めましたが、自分はこうしたいなど、支援を受けながら自分の生き方を自分で決めるにはどうしたらよいかを学びなおそうと思っています。そして、社会が良くなるよう、法を守りつつ、それを変えていきたいですね。

【子ども時代~父からの虐待~】

私は物心つく前より、父親から言葉の虐待を受けていました。当時の山形では、障害者の親になると、とても大変だったんです。周りからの白い目にも耐えて生きていかなければならない。そうすると、子どもにも色々起こるんです。ごみ扱いされましたね。「なんで生まれてきたんだ」とか、母親には「なんでこのごみを産んだんだ」と。外にも出してもらえませんでした。そういう外からは見えにくい虐待でしたね。それでも父親がいて、母親がいて、だから今の私がいる。マイナスな部分は確かにありましたが、そこから学んだ部分もあったんです。それが逆に私を強くしてくれたと、今は受け止めています。

【世の中には決まり事がある!~法律への興味~】

小学2年生の時、豊臣秀吉の奥方を主人公にしたNHK大河ドラマ「おんな太閤記」を見たのをきっかけに日本の歴史にはまりました。そこで、世の中には決まり事があると知ったんです。もっとも私が一番尊敬しているのは秀吉ではなく徳川家康ですが。彼は小さい時から人質になったりで、すごく苦労してる。でも、どんなに苦労が多くても諦めんぞ、みたいなところが好きで。忍耐と苦労の積み重ねで、江戸時代の礎を築いた人ですね。そこから、大宝律令や御成敗式目、武家諸法度といった法令など昔の決まり事に興味を持ち、それが現代だと法律に当たるのだと分かりました。 私は虐待やつらい経験を色々としていたので、決まり事をちゃんと理解すれば、家族や自分の問題を解決できるんじゃないかと思ったんです。ただその頃は、そうなったらいいなくらいの想いでしたけどね。

【人生の転機~養護学校から普通高校進学への想い~】

法律を学ぼうと思ったのは中学生時代です。私は小学校高学年で手術を受けたんですが、その病院で出会った2人の友人と養護学校で再会しました。そのときに、3人で普通高校に行こうという話になって。けれど、それを母親に言うと、しこたま怒られました。「遊びに行くんじゃない。養護学校から普通高校って、どんだけ大変かわかるか!他の子たちもいろんな夢持って学校に行くんだから、それを邪魔することはできん。大学へ行くために勉強するとか、そういう理由でもなかったら入れんぞ。覚悟はあるか!」って。それで自分の人生を考え直すことになったんです。 そうして、法律を勉強するために山形大学の人文学部法学科に入ろうと。そのために普通高校に行こうと。というのも、養護学校の高等部では、大学に行く教育はしていないという現状があるからです。けれど、普通高校への道のりは大変でした。

【困難を乗り越えて】

普通高校に入学するには、まず学力を証明する必要がありました。私の場合は毎日新聞社主催の読書感想文の全国コンクールで3位相当の賞を取り、それが決め手になりました。その頃、幸運にも養護学校で校長が変わったんです。前校長は保守的でしたが、新校長は考え方が先進的で、成績が良ければ交渉すると。それで英検や模擬テストも受け、その結果、高校との交渉が始まりました。残念ながら一番望んでいた進学校には入れませんでした。ただ今でも覚えているのが、母親はその高校に交渉に行った時、「なんでうちを選んだんですか。高校なんてそこらへんにいっぱいあるべ」と言われたと。校長室で泣いたと聞きました。

【いよいよ普通高校入学へ】

普通高校進学を心に決めたとき、高校側には「求めない、頼らない、責任も問わない」と伝えていました。それは入学を絶対に断られないようにするためでしたが、その分、介護の負担は母親にいきます。でも、母親は「お前が本気で受けるんだったら、頑張る。おんぶしてでも、つきっきりで介護する」と言ってくれて。「でもお前、真冬でも廊下で授業する覚悟あるか。いじめられようがいいんだか」とも言われましたね。 その覚悟の上で先述の高校との交渉だったのですが決裂。ですが山形中央高校は「頑張れよ」と言って下さり、試験を受けました。当時は今よりは手が動きましたが、それでも圧倒的に健常者よりは文字を書くスピードが遅い中、受験しました。ともあれ合格する事ができましたが、高校側は合格通知を出すか否かで真っ二つに割れていたそうです。

【孤独な高校生活】

高校時代は、トイレも移動も母親の介助で、3階までおんぶしてくれていました。なので、同級生との会話は挨拶くらい。というのも、私の方がカルチャーショックが強くて、何を話したらいいのか全然分からなかったんです。声をかけてもらっても、「あ、うん…」みたいな。生活サイクルは違うし、行き来も母親のおんぶで。食事も皆は集まって食べるけど、私は母親に準備してもらい、犬食いみたいな感じで食べていたので。なので、ほんとに無口でした。けれど、勉強しに来たんだからと割り切って、勉強に逃げたんです。 高校3年から大学受験という共通のテーマができたのと、私もようやく慣れてきて、それでやっと話せるようになりました。それまで友人を作らずもったいない気持ちがあったので、山形大学人文学部法学科に入学した時に、そんな自分を変えようと思ったんです。

【思い出の大学生活】

大学も母親の介助で通いましたが、私が入ったことで改善費が国から出て、エレベーター設置等が決まり驚きましたね。そして、法律関係のサークルに入りました。山形大学模擬裁判という、裁判劇の山大公式学生組織です。学生たちが裁判のシナリオを作って演劇として発表します。その時にきちんと裁判の手続きや、各種法律を研究します。例えば刑事事件だったら刑事手続法に則って起訴状を作り、反論や弁論、判決文も書いて最後に現職の裁判官に見てもらい、最終的に公演をします。私の担当はシナリオライターで、過労死や整理解雇を扱いました。大学やサークルの友人とは、今でも緩く繋がっています。

【障害者に対する日本の教育制度の問題】

日本は障害者の教育に対して、ここ何十年もほぼ進歩していません。まず、養護学校から普通高校に進学するのはハードルがとても高い。それは、学習内容の違いが大きく、受験勉強をさせる、させないの裁量権を養護学校側が持っているからです。そして、高校に関しては、養護学校には高等部があるから、そこに行けばいいという認識がある。それに最終的には校長決済です。校長がダメだと言えばダメ。なので普通高校進学はほぼ不可能。 ある特別支援教育関係の方から、私のように養護学校で義務教育をがっつりやって、公立高校に行って、国立大学に行く事例は、今でもほとんどないと言われました。これは、教育制度の改革が全く進んでいないということです。障害者の教育制度がまだまだ整備されておらず、これも大きなバリアです。 一番大事な教育が遅れているというのは、本当に問題だと強く思いますし、もう私の母親のような苦労は誰にもしてほしくないということからも、教育の場で重度訪問介護が使えないのは、本来、由々しき問題だと考えます。教育とは、教育サービスを消費する活動とも言えます。だが、通学には使ってはいけないとなっている。そこが変わるだけで状況は全然違ってくると思います。

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つっちー
介護における人間関係の在り方について、 齋藤さんの考えを教えてください。
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齋藤直希さん
当事者としては、ヘルパーさんにきつく言いたくなる気持ちは正直分かります。やはり同じ人間なので、相性があると思うんです。極論を言うと、嫌いな人には自分の体を触って欲しくないです。
けれど、まず思うのは、ヘルパーさんは仕事で来ているということです。遊びに来ているわけじゃない。同じ人間で、人権があります。障害者だからといって他人の人権を侵害していいのか、感情を大切にしなくていいのか、自分が嫌なことをされたら嫌なんじゃないか、と思うわけです。「相手の気持ちになって物事を頼みなさい」というのが母親の教えでした。私はそれは間違っていないと今でも信じてるし、相手の気持ちは大切にしたい。
もちろんヘルパーさんには経験を通して、障害者のやるせなさや不安とか、そういう当事者の気持ちを理解してほしいです。障害受容とは本当に大変なんです。言い難い、言えない悩みだってある。でもそれをむき出しにしたって仕方ない。だから、こちらも理解してもらう努力をしようという事です。それにヘルパーさんにも、「この人に支援して良かった、時間を共有して良かった」と思ってもらいたいですしね。
ヘルパーさんには支援の質をさらに向上させてほしい。仕事として、支援の本質を考えつつして頂きたいです。介護の専門性を広く持ち、担当の利用者のことなら全部わかるよ、くらいの支援をしてほしいと願っています。相互理解の為にも。
050-3733-3443