【広報土づくり 令和3年7月号】レポート

広報土づくり7月号は、三重のクライアントであり、当社の職員でもある「青木健太さん」の重度訪問介護制度を使いながら働こう!の特集記事でした♪
障害雇用給付金制度の事や、家族あるある「家族以外の以外の介護もやってみた」もご好評頂きました♪

つっちー

青木健太さんの 重度訪問介護制度を使いながら働こう!

【部活中の事故で頸椎損傷に】

高二のとき、柔道の部活中の事故で頸椎損傷になりました。今年の9月で10年になります。

しばらくは何が何だか分からず、「あれ?体動かへん。あれ、感覚ない。」という感じでパニックでした。 首の骨が折れて、神経が切れたら身体は動かなくなるのを分かっていなかった。頸椎損傷という診断を受けたのも覚えてないんです。

受け止めたくなくて、記憶から消しているだけかもしれませんが、この先、身体が動かないという現実と向き合えませんでした。 明日には歩けるようになるんじゃないか、明るい未来が待ってるんじゃないかという想像ばかりして、「今日も身体ぜんぜん動かへんな、明日も動かへんのかな?」という入院生活が、高校を卒業するくらいまでの1年半、毎日続きました。

卒業後あたりから、もしかしてもうこの先、身体は動かないんではと、毎日、身体と向き合うことで分かってきた感じです。

【障害者として】

怪我をするまでは、ずっと柔道をしていました。7歳から始めて、高校も柔道漬けの日々でした。(青木さんは三重県で優勝するほどの腕前)

事故に遭い、2年の入院生活を終えて実家に戻ってからは、ほぼベッドでの生活で、親の介護を受けていました。気管切開をしてカニューレを装着し吸引の必要もあったので、ヘルパーさんや訪問看護、訪問入浴など、いろいろな支援を使っていました。親の負担を減らそうと、週2回、デイサービスにも行ったり、時折、買い物や景色を見に外出もしましたが、カニューレを付けた姿を見られるのが嫌で、「外に出たくない!」と。当時は周りの目が気になって。

そんな私を、親は「誰も見てへん!」と連れ出しましたが、メンタル的にはきつかったです。

そんな中で、一番考えていたのは、一人暮らしをしたいということ。どうしたらできるんだろうと、知人にはよく相談していましたが、実際に一人で暮らしている方が周りにおらず、もやもやした気持ちで5年間、実家で過ごしました。

【夢の一人暮らし~3つのきっかけ~】

家を出るきっかけになったのが、頸椎損傷の会と医師と気管を閉じたことです。

入院中に、同じ事故で首から下が動かなくなった人が会いに来てくれて、頸椎損傷の会を紹介されました。ある時、参加した会合に僕と同じ状態でもカニューレを付けていない方が何名かいて、全員同じ先生に手術を受けていたことが分かりました。そこで、僕もその先生に診てもらうと、「カニューレ取れるよ」と。で、カニューレを取って気管を閉じました。

不思議なもので、以前は1時間ごとに吸引していたんですが、気管を閉じてしばらくすると痰が全く出てこないようになりました。 喀痰吸引が一人暮らしの壁でもあったので、気管を閉じたことで視野が広がり、一人暮らしへの気持ちが強まり、前向きにもなりましたね。

そうして事業所を探し、土屋と出会い、家を探しというように、順序を踏んで一人暮らしを始めました。今でもう2年半くらいになりますが、本当に楽しいですね。

【就職から、重訪を使いながらのお仕事へ】

まだ実家にいるときに働き出し、今年で5年目です。

地元の友人が高校や大学卒業後に就職する姿を見ていて、劣等感を覚えました。自分も働きたい、そしてお金を稼いで「好きなもん食べて、好きなもん買いたい」という気持ちが強かったです。

けれど、仕事を見つけるのは大変でした。車椅子の上に呼吸器も付けていたので、現実的に通勤はできず、在宅勤務の仕事を探しましたが、全く見つからず。障害者就労支援センターや同じ障害をもつ人に相談して仕事を探す日々が1年くらい続きました。

諦めかけていたときに就労支援センターから吉報が。そして、面接・採用に漕ぎつけました。 仕事内容は、パソコンでの事務作業です。キーボードを立てて、口で棒をくわえて、つんつん押して仕事をしています。

ただ、在宅で一人で仕事をしているので、自己管理が重要で、生活と仕事の場を分けています。そうじゃないと、テレビを見たり、漫画を読んじゃいますから。

今はだいぶん慣れて、仕事も増え、寂しいときもありますが、会社の音声通信システムを活用して、会社の人とコミュニケーションを取っています。 今年の1月から四日市市では就労と重度訪問介護の併用が可能になりましたので、今はヘルパーさんに来てもらいながら、働いています。それまでは仕事中は母親に来てもらって、仕事が終わればヘルパーさんと交代してもらう形でした。

【好きな暮らし】

週末は競馬ですね。稼いだお金をすぐギャンブルに使っちゃうという。JRA(日本中央競馬会)の公式HPで過去の成績とかを見ながら予想を立てて、俺流で。

ただ、あまり勝てないんで、お金はなくなっていく一方なんですけど、やらないと震えてきちゃうんで。以前は競馬場にも年に2~3回は行ってたんですが、コロナ禍なのでしばらく行けてません。

あと、最近はまっているのはスニーカー集めです。ハイカットが好きで、飾って眺めてるんですが、家の中でも毎日履いています。買い物好きかな、自分。って思い始めました。

【聖火ランナー】

聖火ランナーは、ネタになるし、記念にと思って、軽い気持ちで応募しました。まさか選ばれるとは思っていなかったので、決まったときはびっくりしましたね。

それからは、トーチを車椅子に取り付けたり、問い合わせしたりで、かなり準備に手間取りましたが、実際に瀬古さんから火をつないでもらって聖火ランナーとして走ったときは、吐きそうになるくらい緊張しました。これほど大勢の人に見られることなんてないので。

でも、自分の周りにいる人たちに応援してもらっている、支えてもらっている。それを改めて感じて、嬉しかったし、ありがたかったです。

【重訪を使って働きたい方へ】

恐らく、重度障害だと働けないだろうという前提で重度訪問介護制度が始まったからサービスを使いながら就労ができなくなったのではと思うんです。

けれど、時代とともに医療や技術が進んで、重い障害があっても働くことが可能になった。

例えば、身体に障害があっても思考力があれば、あとは残された機能で何ができるか、ということになります。僕は口でスティックを使いますが、他にも眼鏡型センサーなど、いろいろ出てきています。

こうした形で働くことができると、そこからは自治体の判断なので、当事者のアクションが必要になると思います。 僕は、周りからのアドバイスで市長に手紙を書きました。僕はこういうことで悩んでいます、こういう制約があるために就労できません、就労中に重訪のサービスを使えず困っていますということを手紙に書いて、市長に近い方にそれを直接渡してもらいました。あとは、市の広報誌にも取り上げてもらいました。

重要なのは、認知されること。

世間の皆さんに、何に悩んで、何に困っているのか、現状を知ってもらい、考えてもらわないと変わっていかないと思います。そのために、当時者はもちろん、周りにいる人たちが声を上げることが必要です。

人に注目されるのは大きなストレスだとは思いますが、そうしないと何も変わらない。 今回、四日市市はこの問題を改善してくれましたが、困っている方は他にもたくさんいると思うので、重訪の制度を使いながら働いている者として、アドバイスできることはしたいですし、相談に乗るなど、お力になれたらいいなと思っています。

現状をすぐに変えることは無理なので、一歩一歩、根気よくやっていくしかないですが、少しずつよい方向に変えていけたらと思います。

【今後の夢】

叶えたい夢は旅行です。それもヘルパーさんと一緒に行きたいですね。

国内だったら北海道か沖縄。海外だったら日本語の通じるハワイがいいですね。きれいな海や景色が見たいです。

北海道には馬を見に行きたいですね。現役時代に強かった馬に会えたらいいなと。

あと、おいしい海の幸を食べたいですね。

↓「広報土づくり」令和3年7月号のダウンロードはこちら

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