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【クライアントインタビュー】宮田育代さん

自宅?施設?それとも……?人生の変化に合わせて福祉サービスをフィットさせるには

状況・環境の変化は常にあるもので、人が暮らし、生きていけば必ず起こることです。その際、利用しているサービスも柔軟に変えていけたら、それに越したことはありません。

北欧の福祉の代名詞とも言える「パーソナルアシスタンス制度」は、日本では全国に先駆け札幌市でのみ導入され、注目を集めています。

他自治体では例を見ないパーソナルアシスタンス制度を含め、ご自身がこれまで、そして今、どんなサポートが必要なのかをじっくり考え、色々な制度をアレンジしながら利用される宮田さんに色々とお尋ねしてみました。

第一部:私と家族と

“障害”について

私は昭和50年、札幌市で生まれました。

母の胎内から出てくる時に、へそが首に巻き付いていたらしいのですが、1歳半の検診で脳性まひの診断を受けるまでは状況が分からなかったと聞いています。

私には兄がいるんですが、いつも兄と一緒にいたので、両親も『女の子だから口数が少ないのかな』と思っていたそうです。

診断後は、母に連れられて週2回ほど札幌市内にある訓練所に通い、リハビリを受けていました。

その訓練所では保育や給食もあったので、1日をそこで過ごしていました。しばらくして、訓練所をやめて幼稚園に移ったんです。

当時は抽選でもらうものだった「車椅子」

小学校に進学する年になった時、本当は病院のある養護学校に行きたかったんですが、空きがなくて、普通の養護学校に入学しました。

私は歩けなかったので、学校には母が送り迎えをしてくれていたんです。片手で私のカバンを持って、片手で私を抱っこして教室まで連れて行ってくれていました。

それで車椅子が欲しかったんですが、札幌では当時、「車椅子は寝たきりの方に支給されるもの」だったんです。床に座れる人には車椅子が当たらない状況だったので、ずっと母と一緒に通学していました。

小学校の途中で2年半の入院生活を送ることになりましたが、そこでリハビリをして歩けるようになったんです。そこからは母に手を引いてもらって、歩いて通うようになりました。

幸せな思い出

小学校を卒業して、そのまま中学に進学しましたが、そこでとっても恰好いい先生と出会って、ずっと憧れていたんです。みんなに人気の先生だったんですが、中学3年の夏休みに先生にこっそりお願いして、小樽でデート?してもらったんです(微笑)。

2人で水族館に行って、レストランに行って、北一硝子という小樽の有名なガラス屋さんに行って。とても楽しくて、30年以上経った今でも心に残る大切な想い出です。

卒業後は、岩見沢市にある養護学校の高等部に行くことになったので、先生とはそこでお別れでした。高等部は寮生活で、初めて家族と離れて暮らすことになりましたが、1学年で45人もいたし、みんな寮生活でいつも一緒だったから寂しさも感じずに暮らせました。

でも高校では単位を取るのに精いっぱいで、中学時代に勝る思い出はないんです。授業を休んでしまうと、その分単位を取るために勉強しなければならなかったので、すごく大変で、単位に追われた高校生活を送っていました。

働き始めたころ

当時は自宅から訓練センターに通うか、施設で暮らすかしか選択肢がなくて、どちらを選ぶか決める必要がありました。そこで家の近くにある小規模作業所に1週間通ってみて気に入ったので、そこに決めちゃいました。

それで卒業後は自宅で生活しながら、毎日9時半から17時まで作業所に通いました。作業所では、午前中はお掃除したり、午後は紙を折ってメモ帳を作ったり、印刷物を封筒とか袋に入れる作業をしていました。

お休みは日曜日だけだったので、その日は母と晩御飯の買い物に行ったり、自分でお昼ご飯を作ったり、ゲームをしていました。札幌は美味しいものが多いので、外食も楽しみでした。

母の入院を機に、始まった一人暮らし

家族と暮らしながら作業所に通う生活をずっと続けていましたが、作業所が閉鎖して別の作業所に移ったり、緊張が強くなってきて通院したり、体調の変化で入院したりと、色々とありました。

歩行も難しくなってきて、作業所に自分で通うこともできなくなってきました。車椅子を使うことが多くなって、デイサービスの利用も始めましたが、そうしている内に、いつも私の介助をしてくれていた母が入院したんです。

退院後は母と暮らしていましたが、ある時3泊4日のショートステイに行くことになりました。ただ、その時の母の体調は一人にしておける状態ではなかったので、小樽にいる叔母さんに預かってもらったんです。

けれど、ショートステイの間に母は目が離せない状態となり、私もそのまま1か月半ショートステイで過ごし、その後、35歳からアパートで一人暮らしをすることになりました。

一人暮らしを始めた当初は、どうすればいいのか分からないことだらけでしたね。この曜日は何人の方に入ってもらえばいいんだろうとか、夕方や寝る前は何をしてもらえばいいんだろうとか、時間の使い方に迷うことも多かったです。

段々慣れてきて、人数や時間帯も落ち着いてきた頃から、日々のリズムや1日の流れを作れるようになってきました。この日は買い物に行こうとか、そういうことも決められるようになってきたんです。買い忘れがあると大変ですけど。

やっぱり、お金はかかるけど、買い物に行ったり、映画館や美術館に行ったり、自分のしたいことを自由にできるのが一人暮らしの醍醐味ですね。

第二部:札幌市の「パーソナルアシスタンス制度」とは?

「パーソナルアシスタンス制度」とは~三浦ブロックマネージャーによるPA制度の解説~

札幌市では、パーソナルアシスタンス(PA)制度を平成22年4月より実施しています。PA制度は、重度障害者の地域生活を支援する札幌市独自の介助制度で、全国でも札幌市が唯一実施しています。

宮田さんも重度訪問介護とともに当制度を利用して、地域生活を送っています。

重度訪問介護PA制度
支給方法1か月に利用できる時間数を決定
→時間数を超えたサービスの利用はできない
1か月に利用できる介助費用を決定
→介助費用の範囲内で、時間数を自由に設定できる
利用方法介護事業所と契約し、ヘルパーの派遣を受ける介助者を自分で募集し、直接契約を結ぶ
介助者資格が必要資格は不要
重度訪問介護との違いから見るPA制度

pazigyousetumisiryou.pdf (city.sapporo.jp)より

札幌市ではPA制度を利用されている方が多くいらっしゃいます。札幌市から重度訪問介護の支給を受けている場合、それをPA制度に振り替えることができるので、大幅な時間数の増加が見込めます。

というのも、重度訪問介護の単価を2400円とすると、利用者がPA制度を利用して時給1200円で介護者を雇った場合、2400円÷1200円=2時間となり、通常の重度訪問介護であれば1時間のところを、2時間の介助を受けられることになるんです。

例:

PA制度を利用すると、時間数をやりくりして長時間の介護を受けられるので、利用者にとってはそこが最大のメリットになります。

一方で、ご自身で介助者を探して面談し、雇ったり、賃金の支払いをする必要はあります。介助者は無資格でも登録できますが、無資格者は医療的ケアを行うことはできません。

ただし、 PA制度にて契約した介助者が有資格者の場合は、双方の合意があれば手続きを踏んで医療的ケアを行うことが可能な場合もあります。

宮田さん!パーソナルアシスタント制度、実際に使ってみてどうですか?

私は自宅で生活している時から、ずっと居宅介護を使っていたんですが、支給時間が当時は月120時間で、毎日来てもらうと、1日4時間しか介助を受けられません。朝と昼の2時間ずつで使い切ってしまうことになるんです。

母がメインで介助してくれていたので、当時はそれでも大丈夫だったのですが、段々自分で食事を取ることができなくなってきて、動くことも難しくなってきたので、母が倒れてからは居宅を外して重度訪問介護の330時間の支給を受けるようになったんです。

一人暮らしを始めてからも、重度訪問介護を利用して日中の介助を受けていましたが、身体の調子が悪くなってきて、夜にも入ってもらいたいと思い始めたんです。でも330時間の支給だと夜勤までは入ってもらえないので、夜も介護を受けるなら、施設や共同住宅で生活するか、PA制度を使って週2回の夜勤を受けるかしか選択肢がありませんでした。

考えた末にPA制度を使うことにしましたが、当時はPA制度が始まって、まだ8か月しか経っていなかったので、泊りで介助したいという登録者の人が結構いて、介助者を見つけるのが難しくなかったんです。

なので、登録者の方と面談して契約して、40時間だけをPA制度に振り替えました。そうすると80時間に増えるので、計370時間を使えることになって、一人暮らしを始めてほぼ1年後から、週2日の夜勤を受けられるようになりました。

PA制度のQ&A

Q:介助者から急なお休みの連絡があると、どうされていますか?

A:まずは穴埋めです。今までで一番多くて8人の方にPA制度で介助してもらっていましたが、そういう時は誰かが入ってくれるので穴埋めはしやすいんです。でも、今は少ないので事業所に頼んだりして、なんとか穴埋めしています。

Q:お給料のお支払いは?

A:札幌市が運営しているので、市役所から介助者に直接振り込まれます。

Q:医療的ケアもPA制度でされていますか?

A:私のところに来ていただいている介助者は吸引はできますが胃ろうができないんです。私は胃ろうをしているので、そこはPA制度を使えません。だから日中は重度訪問介護を利用して、PA制度の介助者さんには主に夜勤と、就寝までのケアをお願いしています。

第三部:これからを見つめて

宮田さん!パーソナルアシスタント制度、実際に使ってみてどうですか?

一人暮らしを始めて、もう14年目になりますが、今は重訪とPAを併せて1日5人くらいの介助者にケアに入ってもらっています。時間数も450時間に増えて、400時間を重訪に、50時間をPAに充てています。計500時間ですね。

ただ、最近具合が悪くなって、胃ろうから点滴に変更したんです。でも点滴だと24時間つないだままなので、外に出るのが難しくなってきました。通っていた生活介護事業所にも行けない状況が続いています。

そんなこともあって、さらに時間数が足りなくなってきて、生活保護の他人介助料を利用して、有償ボランティアの方にも来ていただいているんです。

医療的ケアのある共同住宅なんかも、いいんだよね…

一人暮らしは自分のペースで過ごせるので、いい面もあるんですが、前に一度、「一人暮らしを辞めたいな」と思った時があるんです。「看護師さんがいて、医療的ケアの受けられる共同住宅やグループホームに移りたいな」って。

札幌市にはそういったところがあるにはあるんですけど、重度障害を持っていると、なかなかそこに入るのは難しいんです。介護保険もなかなか使えないし、入所となれば重度心身障害者の施設になってしまいます。

私は朝が苦手なので、そういった所で生活できれば、朝に着替えの準備をして生活介護事業所に行かなくてもいいし、時間数も気にせず安心して暮らせるので、本当は今も医療的ケアのある共同住宅やグループホームに移りたいと思っているんです。

雪が解ければ、また出掛けます

今は10月半ば過ぎですが、札幌はもう雪が降り始めていて、車椅子で外にも行きづらくなってきました。冬になると、子どもの頃は雪だるまを作って遊んでいましたが、今は春になって雪が溶けていくのが楽しみです。「車椅子で散歩できるんだな」って。

ただ現在は、冬のせいではなく、ほぼ一日をベッドの上で過ごしています。ほとんど外出できないので、家でポケモンのゲームをしたり、ドラマを見たりしています。でも体調がよくなれば旅行に行きたいんです。

12年ほど前に、PAさん2人と一緒にディズニーランドに行ったんですが、もう一度ディズニーランドに行きたいし、ユニバにも行ってみたい。小樽にもまた行きたいな。

今はあの頃と違って医療的ケアがあるので、重度訪問介護のヘルパーさんと行く必要があるんですが、時間数の関係で、なかなか遠い所に行くのが難しくなってしまいました。

それでも今年は近代美術館にサンリオ展を見に行ったんです。キティちゃんが好きで、毎月1回届くディアゴスティーニの『HELLO KITTY なつかしのアイテムコレクション』をとっても楽しみにしています。

大変なことも多いですが、やろうと思えば一人暮らしもできるし、好きなところに行くこともできます。

元気で、毎日を楽しく生きていければと思います。


みなさんも一緒に頑張りましょう。


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