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『プライドが自信に変わるまで』~重度訪問、上手くいく人、行かない人~ / 古嶋航太

『プライドが自信に変わるまで』~重度訪問、上手くいく人、行かない人~ / 古嶋航太

『プライドが自信に変わるまで』~重度訪問、上手くいく人、行かない人~
古嶋航太(ホームケア土屋 九州)

私は、介護福祉士と介護支援専門員の資格を取り、高齢者施設で6年ほどの経験を積んだのちに、重度訪問介護の世界に飛び込んできたのですが、「その経験は重度訪問介護ではあまり役に立たなかったな」という印象が今はあります。

高齢者の分野と、障害者の分野は、同じ介護なれど「似て非なるもの」と考えて差し支えないかと思います。

高齢者の分野で豊富な経験があっても、障害者の分野では、それがアドバンテージになるどころか、「固定観念の桎梏(しっこく)」になることすらあります。

実際に、資格と経験を携えた方が、早々と障害者介護と合わずに去っていくのも見てきました。

勿論、重度訪問介護に「合わせること」のできる経験豊富な方もいますし、全くの介護未経験で、広くクライアントから受け入れられている方も多数いらっしゃいます。

それでは、両者の違いは何なのか、というところを今回は分析してみたいと思います。

私の躓きかけた経験も加味して、今うまくいっていない方や、「これから重度訪問介護にチャレンジしたいけれど不安がある」という方の参考に少しでもなれば、と思います。

一番よくある経験者の失敗としては、

・「高齢者のケアのやり方を障害者のケアに当てはめてしまい、障害者の方から反感を買ってしまう」というものです。

認知症高齢者介護にいた方は「ゆっくりと」「優しく」「耳元で」話す癖がついてしまっていることがあり、宥めるように、言って聞かせるような対応になりがちですが、障害者の方は四肢に不自由があっても私たちと何も変わらないどころか「医者やってました」「2か国語話せます」「本出版してます」など、知的な面で顕著な功績を残している方も多数おられ、尚且つ皆さん『頭は変わらず現役』です。

私たちが、子供に言い聞かせるように話されたり、耳元で大きい声で話されたりすることに違和感、不快感を抱くのと同じく、不快な思いを持たれます。

「高齢者ケア」と「身体障害者ケア」、また私はボランティアのみでの経験になりますが「知的障害者ケア」は三種三様、それとはまた別に「小児のケア」「発達障害のケア」「精神疾患の方のケア」など様々な介護もあるとは思いますが、別種の介護に関わっていくことで「介護」というものの「本質」が浮き彫りになり、実感として、わかってくるのではないか、と思います。

「介護」は相手に寄り添うための『介助手段・技術』と思い、間違っている経験者もおられますが、『手段・技術』ではなく『介助の心構え』なのではないかと思います。

技術や知識が先導している方は、介護の他業種に移るときに気を付けた方がいいかと思います。

逆に『心構え』があれば、どんな相手にも『手段・技術』を模索していくことはでき、うまくいくのではないでしょうか。

次によくある失敗は、

・「在宅と施設のルールが圧倒的に違い過ぎて合わせられない」というものです。

施設は、ある程度クライアントのケアの手技をこちらで決めたり、ルーティンを決めたりできますが、在宅にはそれがありません。

圧倒的に主役は当事者の方です。

良くも悪くも私たち介助者は完全な脇役になります(本来の介護はそれが正しいのかもしれませんが)。

経験や知識をもって、「正しいやり方」を在宅で提言すると、これもやはり嫌われてしまいます。

在宅で長年暮らしてきた方にとって、いきなり来た介助者に「正しさ」を理由に在宅生活を覆されるようなことは、たとえ正しくても受け入れ難いものでしょう。

しかしながら、このやり方では事故に繋がるかも、体調が悪化するかも、と経験から予測できたときは、「相手との信頼関係がしっかり構築できてから伝える」と、いいかと思います。

そのときには、感謝されると共に、介護の経験が活きて、二重の喜びが得られるのではないかと思います。

仕事をする上でもそうですが、伝わるか伝わらないかは、相手との関係性と信頼関係が重要です。

最後の失敗パターンは、

・「経験と資格に裏打ちされた『プライド』が、新たな成長を阻害してしまうパターン」です。

これが一番難儀です。プライドの鎧を脱ぎ、真に初心者の気持ちで立ち回るのは、年齢を重ねるごとに難しくなってくるのはよくわかります。

「自分より経験も知識も年齢も下で、ただ別分野に来たというだけで教えを請わなければならない」、ということが受け入れられないと、別分野どころか、「人間としての成長もそこで終わってしまう」かと思います。

慣れたところでずっと同じことをしていれば、失敗はなくなるけれど、「成長の機会も失われている」とも考えられます。

年を取っても、恥をかいて失敗することは、それ即ち「自らが成長していることに他ならない」のではないでしょうか。

恥をかいて削られて、粗削りのプライドが小さく美しい「自信」という球体になるのが成長ということかもしれません。

失敗は皆怖いですが、周りを巻き込んで「自分は目下成長中!」と、共に失敗しながら取り組んでいただければと思います。

プロフィール
古嶋航太 ホームケア土屋 九州

福岡県立修猷館高校中途退学。

アルバイトをしながら音楽活動、子供や障害者のボランティア活動を行う。

詩、哲学、映画、文学、音楽に耽溺。運送業、アパレル業などを経て高齢者福祉に6年半、障害者福祉に3年携わり、介護福祉士、介護支援専門員の資格を取得。

2020年株式会社土屋に入社。

北部九州エリアマネージャー。株式会社土屋リスクマネジメント委員。

妻と3人の子供と5人暮らし。

050-3733-3443