『新たな胎動』〜さらば、わたしの3〜
わたしの
「もしコロナがなかったら、どうだったんだろう?」
地域区民センターからの帰り道で、私は自問自答していました。
「もしコロナがなかったら、変わらないままだったのかな?」
全ては自分の不甲斐なさゆえです。
◇
2022年、8月に行うはずのバンド「わたしの」の音楽練習が新型コロナウィルス感染症第七波の影響で2ヶ月連続で中止をやむなくされ、やっと10月に開催することができました。
音楽練習はコロナ禍になる2020年春以降は行えていませんでしたから、最後のLIVEから数えても約3年ぶりの集合になる予定でした。
いつの間に、3年が経ったのだろう。光陰矢の如し。
3年も経ったという実感が私にはまったく湧かなかったのですが、指折り数えてみると確かに過ぎています。信じられません。月日が流れるのはあっという間です。
これは私だけに限ったことではないはずですが、社会全体がこの数年、何かに追われて過ごしてきました。
何をしてきたという訳じゃないですが、振り返ることも忘れただただ一生懸命前を向いて走っていただけなのでしょう。
その間に、私は東京都の知的障害者支援従事者のリーダーという非常に責任の重いポジションの任期(2年)を終え、職場では現場をフィールドとして働くポジションからマネジメント中心の役割へと移り、引っ越しをし、子どもの保育園を探し入園させ、仕事の前後に自転車で送り迎えをしてきました。
介護と育児と仕事を無我夢中で行ってきました。チャイルドシート付電動自転車で爆走してきた3年でした。
そんな歳月を経て、久しぶりの練習を行う予定でしたが、当日になってばたばたと休みの連絡が入り、参加できる人も少なかったので、練習という雰囲気でもなくなっていました。
そこに参加していた人はみんな子ども連れできていて(この3年の間に子どもが生まれて父親や母親になっているメンバーもいて)、音楽練習室の床が絨毯敷きになっていたので子どもをハイハイさせながら、子守りの束の間楽器を触るという感じで過ごしていました。
「これはカスタネット」「これはトライアングル」誰かが持ってきてくれた楽器をひとつひとつ床に並べていた子どもが「これは何?」と聞けば、「これはギロって言うんだよ」と持ってきてくれた人が丁寧に実演をしつつ子どもたちに説明してくれています。ギロギロと音が鳴ると子どもたちが笑う。
もうすぐ一歳になる赤ちゃんを、私の四歳の子どもが「お世話したい」と言ってお菓子をあげるのを手伝ったり、緊張しながら抱っこのまねごとをしたりしていました。
一生懸命あやそう、お世話しようと向き合っています。そんなうちの子の駆けっこに今度は別の小学2年生の女の子が付き合って遊んでくれています。
こうして子ども同士が遊びながら、親は近況を話し合ったり、時折自分自身が夢中になって楽器で遊んだりしていました。
「みんなそれぞれ忙しくなったよな」つくづくそう思います。
「もうちがうのかな・・・」
自分の力が及ばなかったな、と反省します。
コロナのせいにして、本当は全部自分の足りなさなのです。
なんとなく活動をはじめた2017年は、仕事帰りに夜の公園や、人気のない商店街で練習していました。
スタジオに通ったり、その後は居酒屋で打ち上げして・・・。あれからだんだんとみんなばらばらの職場に散らばったり、子どもが生まれたり、大きくなったり・・・それぞれの活躍をしています。
それだけが誇らしい。
◇
バンドというのは練習を重ねて、LIVEで演奏します。演奏自体は30分ですが、その前には音を合わせる練習があり、さらにその前には個人で練習する時間が必要です。
LIVE自体より、私はみんなで合わせる練習が楽しいと感じていました。
意見交換し、様々なアイデアを提案し試してみて一番ふるえる演奏をみんなで目指していくことは、とてもクリエイティブで興奮する瞬間でした。
しかも私にとってはやることが決まっていて、フリートークではないことが安心でもありました。
集まってただテーマのないことをしゃべるだけという場所や機会は苦手で、苦痛です。相当気心が知れている相手ではないと私にはできないことでした。とても難易度が高い。
その点、音楽というやるべきことがあると、毛布に守られているような安心がありました。うまい、下手はちょっと脇に置いておいて。
さて、バンドという形態の「LIVEを目指して練習を重ねていく」という構造の中で、その練習時間が取れないというのはバンドにとってどういう状況だと理解すればよいのだろう?
私は、そんな疑問に向き合うことになりました。
終わりなのか?
これは危機的な状況なのだろうか?
しかし、危機なんて大袈裟にとらえる必要もないだろうとも思います。
そういうときに「バンドは練習を重ねるべきだ」とか「練習しなければバンドじゃない」と考えるよりはどちらかというと
「練習しないバンドがあったっていいじゃないか」
あるいは
「練習ができないということを逆手に取って、逆にそれだからいいと効果的変えることができるようなバンドの形式を模索しよう」
と、発想するタイプではありますが、今回ばかりは自分の不甲斐なさも合わせて、もうちょっと考えてみると「バンド」という形式(いれもの)そのものが何かそぐわなくなっている、さなぎのように固着したかたまりとなり、窮屈になっているように思えてきました。
「これは、もしかしたら・・・」
新たな形への変容のときなのでしょうか?
新しい「わたしの」の形へと変わるときなのかもしれない、と私は直感的に思いました。
寂しい・・・。
しかし、そのとき、 音楽室を駆け回り、楽器を鳴らして遊ぶ子どもたちの声がしていました。無邪気な笑い声が聞こえてきました。
その声が、「わたしの」の新たな形の「胎動」のような気がしたのです。固着した窮屈なさなぎの中で小さくても確かに聞こえる「心音」のように感じたのです。
それは希望のような、心躍る予感のようでした。何だろう?まだ全然分からない。はっきりとしたビジョンは見えてはいません。
ジョビンの『三月の雨』のような、嬉しい季節の到来を待ちわびる気持ちが、気づくと私の中に芽生えていたのでした。
でも、まだ分かりません。思い過ごしだけで、ただみんなばらばらになり、私だけが一人時間の中に取り残されてしまうのかもしれません。
自業自得で、もう何も見つからず、そのまま終わってしまうかもしれない。怖い。孤立なのかも・・・。
まだ、分かりません。