ステップアップ講座『明日は何曜日?』 急
わたしの
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【 ステップアップ講座『明日は何曜日?』 破 / わたしの | 重度訪問介護のホームケア土屋 】
〜こだわりとは何か〜知的障害者支援〜
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自閉症の方や知的障害のある方に関わっていると「こだわり」という言葉をよく耳にします。
また、そのような方は「変化に弱い」ともよく聞きます。
例えば週の真ん中に祝日が入って、通所施設に通うリズムが崩れたとき、パニックになったとか、不調になったとかよくあることです。
イレギュラーなことがあると、先の見通しが立ちにくくて、不安になるなんて言います。
ある方は、番組の改変期になると不安定になるそうです。
それはいつもやっていた番組が変わってしまったり、そのシーズンにしかやらないスペシャル番組が放送されて、日常に変化が訪れる時期です。
だから、周囲の人々は「変化に弱い」と言いますが、その一言で片づけてよいのでしょうか。
これもまた、「概念」が関係しているのではないかと思います。
つまり、先の例でも示しましたが、まだ曜日の概念が分からない子どもが「月曜日」を「お布団にカバーをかける日」と覚えるように、知的に障害があり、曜日の概念をうまく理解できない状態にある方は、別の何かを使って自分の安定をはかろうとするのではないでしょうか。
時空の座標を手に入れようと、自分なりに工夫し、発見するのではないでしょうか。
「月曜日」は分からなくても、「〇〇という番組がやる日」というように。
番組によって、「今がいつなのか」を知ろうとするのです。
曜日という概念にすがるのではなく、番組にすがるのです。
その番組がある日、変わってしまうということは、我々が考えているよりも深刻なことです。
月曜日の次に火曜日がくると思っていたら、水曜日がきてしまった感じかもしれないし、スペシャル番組がはじまるのは、急にまったく知らない銀曜日がきてしまうような感じかもしれません。
(本人が銀曜日なんて知らないよ!おかしいよ!と声にならない声で叫んでも、周囲は何を言ってるんだ?と取り合ってくれません。金曜日の次は銀曜日に決まってるじゃないか!、と)
もう本人からしたら、今日が何曜日なのか、まったく分からなくなってしまう恐怖や混乱が訪れるのかもしれません。
「変化に弱い」とは言うけれど、自分たちも曜日が変化したら怖くなりますよ。
繰り返しになりますが、私たちは「曜日」という概念にしがみつくことでなんとか安定して生活しているのです。
曜日が分からないということは、ただそこへの理解がないということだけではなく、自分の存在の不安定さに直結してしまいます。
だからこそ、曜日の概念がなかなか手に入れられない人たちはそれに代わるものを必死で見つけようとします。生き抜く知恵として。
自分が理解できる「手持ちのもの」をフルに活用して、存在を安定させようと努めるのです。立派なサバイバルをするのです。
◇
ある方は、施設の送迎車の出発時間を気にします。
1号車と2号車が同時に出発するのですが、3号車は30分後、4号車はさらにそこから10分後に発車します。その発車を見届けないとその場を離れることができず、いつまでも帰ることができないのだそうです。
これもまた日常の中で「時間」に代わる「法則性」「概念」をその人なりに見つけた結果です。その人の中では4号車が出発したら自分が帰る時間になるのです。
彼にとってみれば分かりやすい合図です。
実は送迎車の出発や戻ってくるタイミングはもっと複雑なのですが、そのタイミングを彼は全部覚えていて、時計代わりに使用しているようなのです。
よくその法則に気づいたなと感心してしまいます。
あるとき、お休みの方が重なって4号車の運行がなくなった日があったそうです。
その日、その人はその場を動けず、職員が説得してもなかなかその場から離れられなかったそうです。
それを知的障害支援に関わる人間は、ついつい軽率に、彼は車に対する「こだわり」が強いと言ってしまいがちですが、やっぱりこれもその一言で済ませてはいけないはずです。
もし「こだわり」というのなら、私の方がよっぽど「曜日」や「時間」などの概念に「こだわっている」のかもしれません。
今日は間違いなく水曜日のはずなのに、みんなが口をそろえて木曜日だと言ったらパニックになると思います。
オリンピックの影響で祝日が移動することもありました。
誰かの意向一つで、祝日だって簡単に動いてしまうものなんです。
そもそも曜日や時間、カレンダーは社会的なお約束にすぎないのですから。
週の真ん中に急にお休みが入ることは、カレンダーを理解している人であれば難なく乗りこなせるさざなみのようなものでしょう。
しかし、カレンダーを理解しきれていない人にとってみれば、唐突にやってくる大波です。天災のようなものかもしれません。
◇
最後に、「法則」にまつわるエピソードをひとつ。
知り合いの女性がこんなことを言っていました。
「江口洋介が出ている映画やドラマを見ることにしている」
知らない方はいないのではないかと思うのですが、江口洋介さんは日本の俳優です。
私が「江口洋介のファンなの?」と聞くと、
「いいえ」と彼女は首を振って否定しました。
「じゃあ、どうして?」と聞くと、
「江口洋介の出ている映画やドラマは面白い確率が高いという法則があります」
私はそれを聞いてその思考方法に感心しました。
いい法則を聞いたなと思いました。
「それで見た映画やドラマは面白いの?」
「面白いのもありますし、面白くないのもあります(笑)」
面白いものを見たいという気持ちには変わりはない。
だけど数多くある作品の中からどれを選べばいいか分からない。全てを見ている時間的余裕はない。じゃあ、何を頼りにすればいいのか。
ジャンルを限定する人もいるでしょう。
好きな俳優や女優が出ている作品を選ぶ人もいます。
監督で選ぶ人もいるでしょう。
どんな賞をとっているかで選ぶ人もいます。
彼女は「江口洋介」で選ぶ。
好きだからではなくて、面白い確率が高いから。
その法則の正否は問わないとして(本人も五分五分と言っている)、基準としては面白いと思います。
法則も人それぞれ、すがって、頼っているものも人それぞれ。
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間主観的なかかわりとは「同じように見る」ことではなく、「同じものを見て、それぞれが感じたものを交換し合うこと」。
「ちがいを、感じ合うこと」
それができたら、とっても楽しい。
おわり