小さな成果を積む歩みの先に大きな成果はやってくる
古嶋航太(ホームケア土屋 九州)
自分の人生に於いて、まだ『成果』といえるほどのものを生み出したとは言えない未熟な人間だが、飽くまで私の中で、これを達成すると成仏できそうだな、という観点から『成果』とは何かと考えたとき、大きく3つの方向性というか種類に分けられそうである。
ひとつ目は、会社の経済的及び社会的な成長をあげたい。
株式会社土屋は現在全国に1000人以上の職員を抱える企業となり、その成長とともに私自身も成長してきたと感じている。
つまりは、会社の成長と自分の成長を重ねることは難しくなく、会社の成長が自己実現の一端を担っているとも言える。
なので、自らの力を注いで会社の経済的、社会的成長に貢献することは、自分自身のアイデンティティや矜持に与する部分は多分にあると感じている。
会社の成長は、反面で私自身の成長のグラフにもなっている。
ふたつ目は、社内に於ける職員の満足度の向上である。
これは私に『部下』と呼べる存在ができてから次第に増幅してきた想いである。
ひとつ目に挙げた会社の成長を優先しすぎれば、ともすると職員は労働力と見做され、使い捨てになってしまうと思っている。現代に於いてはその色は未だ濃い。
社会変革などというと大仰なので、まずは社内からその風潮を消し去りたい。
共に働く職員に遣り甲斐と楽しさを感じてもらえたなら、これほど素晴らしいことはないのではないか。
ひとつ目とふたつ目が共にうまくいけば、これは自分の中で『成果』といえるかもしれない。
最後に、自分自身の人生に於ける目標の達成である。
具体的に、と言われると明確に答えられないほど朧ではあるが、家族や友人の幸福だったり、何かしら形になるものを生み出したり、とかそういうことかも知れない。
欲望や虚栄心を満たすことではないことは確かである。
まだまだこれについては更なる考察と思慮が必要だし、死の際にあって初めてそれと発見するものなのかもしれない。
会社を成長させつつ職員の働きやすい環境を作りながら、自分の人生を満たすこと。
これら3つの『成果』を生み出すために何をすればいいのか、何をしてはいけないのか。
巡り巡って些か形而上なものになってしまうのだが、私の考えた最終的な結論は『成果』を生み出すためには刹那的な『成果』に執着せず、長く深く広く捉えることが大事なのではないかというものである。
というのも瞬間『成果』に見えるものが、時間の経過で腐敗することもあるし、その逆に小さな『成果』が大きな『成果』の呼び水にもなりえると思うからだ。
それは歴史が証明しているし、偉人たちが証明してきた事実でもある。
だから今私にできることは、常に小さな『成果』を弛まず生み出していくことにあると考える。
つまりは、今現実で関わっている人に愛情と敬意をもって接すること、組織を形作る人を信頼し思い遣ること、そういったことが諸行無常の世の中でも確かなものとして生き続け、新たな希望を生み出し、確固たる信念と思想へと繋がっていくのではないか、そう考える。