「心に光を」① 時明かり(ときあかり)
片岡亮太
皆さん、初めまして。
この度こちらのブログで新たに連載をさせていただくことになりました、片岡亮太です。
僕は、地元静岡県の三島市を拠点に、和太鼓奏者、パーカッショニスト、そして社会福祉士として活動しています。
また、弱視で生まれて10歳で失明した全盲の視覚障害者でもあります。
昨年来のコロナ禍の影響を受け、舞台が激減するなかで始めたオンライン配信番組がきっかけで、株式会社土屋の最高文化責任者である古本聡さんの「こもちゃんTV」に出演させていただいたご縁で、このような機会をいただけることになりました。
初投稿となる今回は、自己紹介を兼ねて、僕、片岡亮太の種々の活動についてお伝えしながら、この連載への思いを書かせていただきます。
社会福祉を専攻していた大学時代に、
「音楽と言葉を伝えていく仕事をしよう」
と決意し、やりたい活動をどうにか具現化したくて、何の当てもなかったにもかかわらず、事務所や演奏団体などには所属せず、気持ちと勢いだけを武器に、手探りで歩き出してからもうすぐ15年。
多くのご縁に恵まれ、気づけば多様なお仕事をさせていただいています。
主軸は演奏活動。
子供のころから続けていた和太鼓を中心に、各国の民族打楽器や歌、独学で身に着けた、モンゴルで「ホーミー」と呼ばれている、一人で二つの声を同時に発声させる特殊な歌唱法など、様々な音を組み合わせた独自の音楽で、国内外のコンサートやイベントなどに出演しています。
比較的まれな、完全独奏のスタイルで舞台に立つことが多いですが、これまで、和太鼓はもちろん、篠笛(しのぶえ)や津軽三味線等和楽器の奏者、フルート、クラシックのオーケストラ、タップダンス、ジャズバンドやファイヤーパフォーマンス等、ジャンルを問わず様々な演者の方々とご一緒してきました。
近年は、2011年に、障害のある若者が海外で研鑽を積むことを支援している、ダスキン愛の輪基金の「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」の第30期研修生として単身渡米し、1年間ニューヨークで生活していた際、ジャズのセッションで共演していたことがきっかけで、公私ともにパートナーとなった、ジャズホルン奏者で作曲家の山村優子と二人で結成した「Ajarria(アジャーリア)」としても演奏しています。
また、2017年より非常勤講師をしている、筑波大学附属視覚特別支援学校の音楽科をはじめ、視覚特別支援学校(盲学校)や、聴覚特別支援学校(ろう学校)での定期指導、保育園・幼稚園でのワークショップ、和太鼓サークルへの楽曲提供等、指導にも力を入れています。
もう一つ片岡亮太の活動において、大きな柱となっているのが言葉による発信。
社会福祉士としての専門知識を有する、視覚障害当事者としての独自の目線から、実体験や社会への思い、日々感じていることを、演奏の合間のトークや、講演の中で語ったり、文章として綴ることを当初から続けてきました。
在米中、コロンビア大学の教育学専攻大学院である、ティーチャーズ・カレッジで、「障害学」の講義を受講していた経験を活かし、多様性やユニバーサルデザイン、差別や偏見、人権などを切り口に、大学の授業や、市役所等の職員さん、福祉従事者の方に向けた研修会などでお話をさせていただいたり、障害に関連する雑誌へ寄稿することもあります。
そういった活動が実を結び、いくつかの自治体において、公共のトイレに点字のシールを付与することや、希望者に対し役所からの送付物を点字化して郵送する仕組みの構築が決定したり、視覚障害児に対する支援がしたいと相談してくださった団体と、地元の視覚特別支援学校とを繋いだことで、学校への学習支援機器の贈呈が決まるなど、僕の言葉が具体的な行動や変化のきっかけになることも増えてきました。
メルマガやblog等、インターネットを活用した発信も積極的に行っています。
昨年は、新型コロナウイルスの感染拡大によって仕事の機会が減少したアーティストに向けて実施された、文化庁の「文化芸術活動の継続支援事業」について、申請サイトが、僕のように全盲の視覚障害者には一人で作業をしづらいことや、障害のあるアーティストに対する支援をするという名言があったものの実際には機能していなかったことについて、SNSに、独白のつもりで思いを投稿しました。
その文章が多くの方に拡散され、HPや事業全体がアクセシビリティに配慮されていないことを問題視していた方たちの目に留まり、改善要求をする上で僕の投稿を引用したいというお声がけをいただき、結果、早急に文化庁が対応を改めてくれたということもありました。
一人の障害者の経験則のみに基づく発言ではないことを、名実ともに信頼していただくためには不可欠と思い、在学中に資格を取得してはいたものの、福祉の現場で働いているわけでも、研究や制度改革を専門にしているわけでもない、いちミュージシャンである僕が、「社会福祉士」と名乗るべきではないと考えていたこともあります。
ですが、ボランティアで演奏や利用者さんへの和太鼓指導に伺っている地元の福祉施設の施設庁さんが、
「ソーシャルワーカー(社会福祉士)にとって大事な役割の一つは社会変革に寄与することで、亮太はそれを実践しているのだから、社会福祉士って名乗っていいと思うよ」
と、背中を押してくださったことがきっかけで、数年前から、肩書としても社会福祉士と書くようになりました。
そのような心境の変化が呼び水となったのか、時を同じくして、お世話になっている企業の社長さんから、社員の皆さんの心の健康維持のサポートのため、電話での悩み相談への対応や、短いスピーチの配信などをしてほしいとお声がけいただき、3年前からお手伝いをしています。
その他、、2014年からは、母校である静岡県立沼津視覚特別支援学校の学校評議員(現、学校運営協議員)として、学校教育についてアドバイスをさせていただいたり、NHKラジオ第2の「視覚障害ナビ・ラジオ」という番組で、半年に一回程度、「亮太が行く!」という、体験型リポートコーナーも担当しています。
と、ここまで2000文字以上を費やして現在の僕について書いてみましたが、読者の皆さんには、まとまりのない活動をしているように届いてしまったかもしれません。
実際、かつては、何を専門としているのかがわからないと否定的に言われたこともありました。
ですが、太鼓や福祉、障害など、持ちえた全ての要素をフル活用して社会に向けて発信すること、それが僕の目指す活動のあり方です。
そのような歩みを進めるうえで、大切にしたいと思っている言葉があります。
それは、「人が集い、音が響き、時が輝く」です。
僕が発する音楽も言葉も、受け止めてくださる方がいて、初めて「表現」足り得る。
誰かと響き合って、一つの表現が生まれる瞬間、そこにはきっと、時間に宿る暖かな光が輝いていると僕は信じています。
手段も内容も形式も、媒体も問わず、時に明かりをともすこと、僕がやりたいことはそういうこと。
本記事のタイトル「時明かり」とは、夜明けの頃、東の空に現れる柔らかな光や、雲間から見える陽光を指す言葉です。
徐々に感染状況が落ち着きだしてはいるものの、演奏や講演活動を停滞させざるを得ない期間が続き、「明日」を描きづらくなっている中で始まるこの連載。
「過去」を振り返り、「今」を見つめなおすことで、僕の中に新たな「時明かり」をともすため、和太鼓との出会いや失明した時のこと、社会福祉の道を志そうと思った時のことなど、最近は、お客様にフラットな印象で音楽や講演を聞いていただきたくて、あえて語ることを避けていた出来事に焦点を当てて、記事を書いてみようと考えています。
そのような試みから僕が見つけ出すメッセージを通じて、読んでくださる皆さんの心にも光が生まれる、そんな連載にできますように。
どうぞよろしくお願いします。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。