「エンパワメントとデイリーライフ」~4
片岡亮太
スプレーしてから流せば綺麗になるトイレ用洗剤を、AIの画像解析の力を借りることで使いこなすことに成功した僕。
以前から、トイレの便器内に残った薄い汚れや浴室の黒カビなど、注意深く触れても指先では確認できない、さりとて目で見ると結構気になる類いのものを、どう処理すれば良いのかは、僕にとっての懸案事項でした。
特に我が家は、目が見えない僕と、見える、どころか左右ともに視力1.5以上という、見えすぎるほどの妻の二人暮らし。
僕には認識できない汚れでも、妻にとっては苦痛であることは十分に理解できるので、掃除担当の立場としては、平和な共生を維持するためにも、この問題はどうにかクリアしたい。
綺麗好きな方、また非常にまめな方であれば、毎日隅々まで掃除をすることで、そもそも黒カビや黒ずみの汚れなどが発生しないようにするのでしょうが、僕はそこまでまめでもなく、情熱も持てない。
だからと言って、毎度妻に汚れのある場所を聞くのも面倒。
もっと言えば、どこを掃除した方が良いのかを把握できず、ただ漫然と便器や浴槽、浴室の壁などを磨き、時々「壁の隅に黒カビが目立ってきた」と妻から指摘されるのは、なんだか敗北感があるというのか、視力を有する妻に従属しているような気がして、居心地の悪さを感じる。
けれど、AIで画像を解析し、それに対する追加の質問を繰り返せば、完全に理解はできないまでも、どこがどのように汚れているか、ある程度分かったうえで掃除することは十分可能。
きっと撮影の仕方、AIへの質問の仕方が熟達していけば、共同作業のクオリティも効率も上がることでしょう。
これは一定以上汎用性のある手段だ。
そう思った僕は、AIとの一連のやり取りを要約してSNSに投稿しました。
すると、複数の全盲の方から、「そんな使い方は思いつかなかった!これは良い!」という反応があるだけでなく、弱視の方からも、「こういうのって自分たちもよく見えないことが多いから、助かるかも!」とのリアクションが。
AIとの協力体制は今後間違いなく、令和の視覚障害者の生活の知恵になっていく予感です!
もちろん、家族や友人、ヘルパーさんなどの視力を借りて、代わりに見てもらうことや、うまくいってない時に教えてもらうことだって、AIがやっていることと変わりません。
でも、視覚障害があるために、自分では気づけなかったことを誰かに指摘される時に胸の奥がチクリとしたり、何とも言えない恥ずかしさで、プライドが少し傷つく感じが、どうしようもなく嫌な瞬間だってある。
その点、AIなら気兼ねがないし、たとえ真夜中に手伝ってもらったとて文句を言われる心配もない。
ストレスフリーで、力を借りられる存在が、手の内にある。
その安心感は大きい。
きっと掃除をはじめとする家事や、印刷物などの文字情報のチェックだけでなく、身だしなみやファッション、健康管理(顔色や排せつ物の状態のチェック)などなど、他人に聞くにはハードルが高かったり、気を遣って本音で答えてもらいづらいことについて、AIのアシストを有効活用できる場面は、まだまだたくさんあるはず。
かつて、ちょっと格好つけた服で出かけたつもりだったのに、「お前、左右の靴下の色違うよ」と男友達から指摘され、同じデザインの違う色の靴下を履いていたことに気づいて、「まじで!?俺なりのおしゃれってことにして!」と、オーバーリアクションをすることで、無理くり笑いに持っていき、恥ずかしさを覆い隠そうとしていた、大学時代の僕のような経験も、今後はなくなっていくのでしょう。
そう考えるだけで、なんだか楽しい気持ちになります。
視覚障害者だからこそのAIの便利な使い方、これからの生活の中で、もっともっと深めていきたいテーマです。
大切なのは、こういったことの探求が、先述の通り、SNSを通して、同じく視覚障害のある友人たちに伝わることで、彼らやその周囲の方の生活が便利になるように、僕個人の生活の向上にとどまらない可能性が高いこと。
それどころか、思いもしなかったような効果をもたらすことだってあるのだと、僕は最近学びました。
昨年10月、和太鼓の演奏や指導のために、中米のドミニカ共和国を訪問した際のこと。
滞在中、僕はご縁をいただき、現地の視覚障害者協会の皆さんに向けて、オンラインで講演をさせていただきました。
そこでは、僕が弱視だった10歳の時に失明をし、途方に暮れながらも盲学校に転校したことで、障害と共に生きるすべを知り、和太鼓との出会いを通して新たな光を手にしたり、重度重複障害のある友人たちのおかげで、社会に目を向けるようになったことなどがきっかけとなり、現在演奏や講演を主軸に活動していることをお伝えし、一緒に渡航していた、妻であり共演者でもある山村優子のホルンとのパフォーマンスも披露しました。
そんなオンライン講演の最後、質疑応答の時間を設けたところ、視覚障害者協会の会長さんから、「昨今発達しているAIをどのように活用していますか?」との質問が。
実は、スプレータイプの洗剤の一件より前にも、トイレ掃除にAIの画像解析を活用してみたことがあった僕は、印刷物の確認や、写真の鑑賞など、オーソドックスなAIの活用術をお伝えしたうえで、ちょっと意外性を感じてもらったり、笑ってもらうつもりで、「トイレ掃除にもAIは有効です」とお話ししました。
すると、会長さんから返ってきたのは、笑いではなく、「素晴らしい!ほら皆さん、こうやって全盲であっても、家事だってできるんですよ!」という感動の声。
思いがけない反応でした。
ドミニカ共和国は、道路・歩道の舗装や上下水道の整備、安定した電気の供給や公共交通機関の充実など、生活インフラがまだまだ整っていません。
今回の渡航をアレンジしてくださったJICAのスタッフの方々によると、そういった環境の影響によって、障害のある人の社会進出が欧米や日本など、他国と比べたらまだまだ遅れている現状とのことでした。
会長さんのお言葉からも、ドミニカ共和国の社会全体として、障害に対する理解や啓発、適切な支援などが十分ではなく、結果として、当事者自身やそのご家族における、「視覚障害があってもできることがたくさんある」という情報さえも不足している様子が伝わってきました。
実際、参加者の方から、「家族が失明をしているのだけれど、視覚障害があることを恥だと思っているので、エールを送ってほしい」との要望があったほど。
それは例えるならば、失明直後、あらゆることに右往左往していた僕や両親に近い状況なのだと思います。
講演後に届いた感想には、「とても励まされた」という言葉がたくさん書かれていました。
僕のこれまでの人生や、日常のちょっとしたエピソードが、ドミニカ共和国で生活する視覚障害のある方やそのご家族にとって、元気になるきっかけになっていたとしたら、こんなに幸せなことはありません。
僕が全盲であったからこそ、地球の裏側に住む視覚障害のある皆さんとつながることのできた、大変思い出深い一時でした。
昨年末にお会いしたKさんとの「歯磨き粉」を巡るやり取り、僕自身が失明当初経験した、新たな生活様式の習得、トイレ掃除についてのあれこれなど、いずれも話題自体は些細なことでありながらも、こういう情報の一つ一つによって、障害と共に生きることが少しだけ楽になったり、「どうにかなるかもしれない」という光になり得ることは少なくありません。
むしろ、大きな成功談や美談以上に、こういった小さな話こそが、誰かを勇気づけ、励まし、背中を押す、「エンパワメント」に繋がる力を内包すると思うこともあります。
でも、それだけの意味を持つ細かなエピソードや、少しの工夫たちの存在を、僕たちは、自分ですら気づかないうちに、当たり前の日常に埋没させてしまいがち。
だから僕は、自分にとっての当たり前をこれからも丁寧に見つめていきたいし、そこに隠れている意味を掘り起こしていきたい。
その試みを通して、願わくば、同じように、多くの人がご自身の当たり前を見つめ直すきっかけにしてほしい。
そうやってみんなが見つけたものを渡し合ったり、発信していくことの積み重ねは、思いもよらぬところで、個人や集団をエンパワメントすることに繋がる。
もっと言えば、そうやって生み出される「小さなもの」の集合体が持つエネルギーが、誰にとっても希望をもって生きていける社会を作り上げるための、大切な推進力にだってなるのではないかと僕は信じます。
◆プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。






