見えにくい中での妊娠・出産・子育て⑦/ 水島恵

見えにくい中での妊娠・出産・子育て⑦
水島恵

次男はついに、1996年9月から保育園への通園が始まりました。
初めのうちは慣らし保育ということで、給食後に迎えに行っておりました。

クラス担任とは別に専任の保育士をつけていただき、慎重な対応でした。

次男は生活リズムや環境の変化に大きなストレスはない様子で、専任の保育士さんにも怖じけづくことはありませんでした。
次男のための慣らし保育というより、保育士さんが慣れるための期間のように感じたほどです。

当時、次男は2歳半でしたが、歩くこともできず、発語もあまりありませんでした。

食事についても、離乳食を始めたばかりのような状況で、ほぼミルクでの生活でしたが、通園が始まって3ヶ月ほど経つと、徐々に口に入る種類も量も増えていきました。

1997年4月に3歳児クラスになり、担任も交代しました。
次男専任というよりは副担任という形で、新任の保育士さんが入られました。

クラスの子どもたちも次男の手助けをしたり声をかけたりして、関係を築いてくれるようになっていきました。

4歳児クラスになった時、転任の保育士さんが担任になりました。
その保育士さんは障害児拠点園からの転任で、視覚障害や重複障害児の保育経験はありませんでしたが、軽度の障害児の保育経験はお持ちでした。

少しでも障害児保育の経験がある保育士さんを配属しようと、保育課が努力しているのを感じました。

その保育士さんが、4歳児・5歳児の担任として2年連続で関わってくださることになりました。

担任の保育士さんは「見えないことがどういうことか」を理解するために、ご自宅でアイマスクをして夕食を食べたり、部屋を移動してみたりされたようでした。

また、クラスの子どもたちにも、次男がどんな感覚で生活しているかを味わって理解してもらうための工夫をしてくださいました。

ある時、子どもたちが廊下や階段で走ることが多く、「走ってはいけません!」と言ってもなかなか守れませんでした。
それを機会に、子どもたちに目をつぶって階段を歩かせたり、その横を走り抜けさせたりして、「どう感じるか」を体験させたのです。

その体験から走る子どもは減り、走っている子がいたら「危ないやろ!」「他の人が怖いやろ!」と、子ども同士で注意し合えるようになったそうです。

私は報告をいただいた時、担任の保育士さんの実行力と、それを許可された園長さんにも感心しましたし、感謝もいたしました。

保護者からもクレームはなく、有り難かったです。 保護者の中には、「次男さんと関わることで、我が子が優しくなっていることに気づかされる」と伝えてくださる方や、「A君が上手にてびき(誘導)をしているのを見て、僕も上手くやりたいけれどできなくて悔しい、と息子が言うのよ」と具体的に伝えてくださる方もおられました。

思い描いていた園生活が実現していることが、とても嬉しいものでした。
周りの子どもたちや保護者、保育士さんたちに影響を与えた次男自身も、逞しくなっていきました。

そして私も、勇気を持ったり人を信頼したりすることができるようになっていきました。

次男が年長クラスの時には、保護者会の役員を務めることもできました。
この後、小学校時代のお話に移りますが、それは次号に続きます。

◆プロフィール
水島恵

水島 恵(59歳)
岡山市在住
視覚障害(先天性緑内障)
岡山県UD推進アンバサダー
指圧・あん摩・マッサージ師
着付け1級(認定)
趣味は編み物、料理(特にスイーツ)、カラオケ、旅行、和装、講演・講座巡り

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