見えにくい中での妊娠・出産・子育て⑤
水島恵
1995年4月、次男の満1歳となった直後に入園を希望して申請しましたが、予想どおり受け入れ拒否の結果通知が届き、まず支援者を探すところから始めました。
共生・共学の考え方を持ち、支援活動や情報共有を行っている「障害児を普通学校へ全国連絡会」の事務局が東京にあるので連絡し、岡山市在住で支援してもらえる人や団体はないのか尋ね、岡山市の女性を紹介していただきました。
その女性の知人で、教育委員会や公務員の内情に詳しく、人脈をお持ちの男性も加わってくださり、入園・入学に向けて動きはじめました。
その男性は、私たちと同じ視覚障害者の方だったので、「支援者」というより「仲間」という意識を持つことができ、親近感が沸きました。
最初に申請した時の保育課長は、「話は聞く」という態度ではありましたが、「前例のない事を自分が課長の間に絶対許可したくない」という思いを感じました。
「保育課長が替わらなければ、園長や保育園の気持ちも変化しないだろう」と気持ちが沈みがちでしたが、程度が違うとはいえ、同じ障害者夫婦の子どもなのに、入園できる長男とできない次男というのは、「差別以外の何ものでもない」と腹立たしさは膨らんでいきました。
そこで、1996年4月に向け、再び申請書を出しました。これは通園児も含め年度変わりに申請がオフになるからです。
そんな中、2月頃だったと思いますが、テレビを視聴していたら、岡山市内の保育園の園長さんが地域の保育について考えを話されていて、当時の園長さんも気配りのある温かい方ではありましたが「こんな園長さんが転任してくれたらいいのになー」と思いました。
それよりも、保育課長が替わってくれることが一番の願いでした。
4月になり、長男は同じ保育園の年長となり、そのまま引き続き通園できましたが、次男の状況は変化がありませんでした。
それでも、私には嬉しいことが2つもありました。
まず保育課長が替わったのです。前の課長よりも前向きな方でありますようにと願いました。
そして園長さんも替わられました。
前任の園長さんとの別れは寂しかったのですが、その寂しさが吹っ飛ぶくらい転任の園長さんに歓迎でした。
それは、2ヶ月ほど前に視聴していたテレビに出ていた園長さんでした。
私が「転任してくれたらいいなー」と思っていた方です。
「こんなことって有るんだ」と、奇跡的な出来事に感激しました。
「有り難い」とは、こういうことをいうのか、とも思いました。
驚いたことに、我が家と同じ町内の方である、ということも少し後で知りました。
他にも有利になりそうなことがありました。
支援者の知人で市議会議員だった方が、我が家の町内会の顧問だったことが分かり、支援者として関わってくださることになりました。
さらに、その市議会議員さんと新たに着任された保育課長が、以前同じ職場で働いていた同僚だったこともあり、なんとなくいい雰囲気で相談や交渉が進みそうな予感がした私でした。
続きは次回へ
◆プロフィール
水島恵
水島 恵(59歳)
岡山市在住
視覚障害(先天性緑内障)
岡山県UD推進アンバサダー
指圧・あん摩・マッサージ師
着付け1級(認定)
趣味は編み物、料理(特にスイーツ)、カラオケ、旅行、和装、講演・講座巡り






