見えにくい中での妊娠・出産・子育て②/ 水島恵

見えにくい中での妊娠・出産・子育て②
水島恵

長男の出産は1991年1月4日、予定日どおりの出産でした。
妊娠中は一度逆子になったことを除けば、母子共に大きなトラブルもなく、無事に出産の日を迎えました。

当日もお腹の張りはなく、出すのが少しかわいそうに感じました。

実は、誕生まで性別を知らない楽しみを味わいたくて、健診時にはあえて聞きませんでした。

でも7ヶ月健診だったでしょうか、知りたいかどうかの確認もとらず、エコー画像の説明時に男の子と判ることを発言した医師に、ちょっとムッとしてしまいました。

出産については母たちに協力してもらいにくい環境もありました。
妊娠報告を喜んでもらえなかった時から親に頼るのは止める覚悟をして、寂しさみたいなものには蓋をしました。

出産準備を2人の母に頼らず自力でできたのは、今思えば、当時は色が見えたり、書店の本がルーペでなんとか読めたりできる視力があったからだと思います。

それでも出産時には両家の両親も病院に集まりました。
当然かもしれませんが、長男の目のことを心配していました。

実母に「神様はいるんやな、あなた方の目になってくれるな」と言われて、私は「私たちの“目助け”のために子どもを持ったわけじゃないんだから」と不愉快な気分でした。

3人での暮らしが始まり、すべてが初めての体験でした。
おむつ替えにドキドキし、ベビーバスにお湯を入れるのもワクワク。

寝返りをしたり、座ったり、立ち上がったりするたびに、大きな喜びを感じました。

ただ一方で気になっていたことは、公園デビューのように外で遊ぶことや、お友達作りができずにいたことです。

砂を口に入れたり虫を掴んだりするのがわからず、危険を回避できないことの不安から外遊びをさせる勇気が出ませんでした。

岡山市の1歳半健診で言葉数が少ないのは、環境の影響もありそうだと保育園の利用を勧められました。

私は幼稚園年齢までは家庭で育てれば良いと考えていましたが、保健師さんが言われるように、環境を変えてあげることで、家庭で親がしてあげられないことを経験でき、友達関係から発育していくことが増えるのは間違いないので、私のこだわりを手放して2歳児クラスから保育園に入園させました。

ところが、入園から3~4か月たったころ、園長先生から「いくらかは経験不足だったものが解消されたように感じますが、言葉がなかなか出ないのは全く変化がないので、発達検査をしてみてはいかがですか?」と提案されました。

発達検査の結果、軽度知的障害と自閉スペクトラムと判明。
それから就学時まで、月1回のペースで訓練に通いながら保育園も卒園まで通いました。

岡山市には障害児の拠点園というものがありますが、転園は勧められませんでした。
仮に言われても通うのは難しかったと思います。

その後の小学校入学に関しても、もちろん在住地域の小学校へ入学させるつもりでした。

就学時健康診断というものがあり、支援者から「義務ではない」と聞いていたので受けませんでした。

学校説明会と物品購入のためだけに出向き、教育委員会との大きなもめ事もなく、学校長と入学前に要望などを話し合っただけで済みました。

入学後の話は、次回のコラムでお伝えします。
通学のこと、授業時の支援、参観日などでの私への配慮についても触れていきます。

◆プロフィール
水島恵

水島 恵(59歳)
岡山市在住
視覚障害(先天性緑内障)
岡山県UD推進アンバサダー
指圧・あん摩・マッサージ師
着付け1級(認定)
趣味は編み物、料理(特にスイーツ)、カラオケ、旅行、和装、講演・講座巡り

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