「我慢と僕」~1 / 片岡亮太

「我慢と僕」~1
片岡亮太

先日、夫婦間で小さな口論が勃発しました。

きっかけは、本当に些細なこと。

頼まれごとがあって会いに行った友人と別れ、帰ろうとした際、渡し忘れたものがあったことに気づいた時に妻が発した「私が行ってくるから車で待ってて」という一言です。

「えっ、どうして?」とお思いになる人がほとんどでしょう。

その日、気温は30度以上。日差しも強く、ちょっと外にいるだけで汗ばむような陽気でした。

だから、僕を涼しい車で待たせ、自分一人で友人の元に戻ると提案してくれていた妻。

今書いていると、わざわざ言葉にされずとも彼女の気遣いは容易に想像がつきます。

けれど、あの瞬間の僕はそこに思いが至らず、こう考えてしまったのです。

「なんで置いてくの?一緒に行かせてよ」と…。

急いで引き返し、忘れ物を友人に渡しに行ったとて、そこで生じるやり取りなんてせいぜい、「これ忘れてた!」「あっ、ありがとう!!」「それじゃあまた~」程度のもの。

大した会話が発生するとは思えない。

でも、そこに自分が立ち会えないことがいやだったのです。

また、無意識のうちに妻の中で、「一人の方が早い」という思考が働き、そのために一人で行く選択がされているであろうことが悔しくもありました。

もっと言えば、「俺行ってくるから待ってて」と僕がスマートに言って、友人のもとに戻れたらいいのにという憧れもあったのでしょう。

いろんな気持ちがない交ぜになって飲み込めなくなり、僕はちょっと強情なまでに、妻に同行することを求めていました。

しかも、こういう場合僕は、さも自分の発言が正論のように語り、妻を論破するような話し方をしてしまいがちなので、ほぼ間違いなくこの時もそうだったはず…。

結果、一緒に友人の元へ行き、無事忘れ物は手渡せたものの、車に戻ったあたりから雰囲気は険悪に。

純粋な思いやりと、時間的な効率を重視して一人で行こうとしていた妻からしてみたら、いきなり僕から、「二人で行かせてくれよ!」と自分を悪者のように言われ、一方的に立腹されたのだから、頭にくるのは当然。

こうやって、あの日のことを再現していても、僕自身、妻に加勢したくなります。

でも僕は、こちらの意向を聞かずに「僕を置いていく」選択をされたことに、疎外感を抱いていた。

「なんで気を使ったのにあんな風に言われなきゃいけないの!」と妻は言い、「一緒に行きたいと思う気持ちを理解してくれよ!」と僕は語気を強める。

完全に僕の方が視野の狭い思考をしていたと思うので、書けば書くほど自己嫌悪が高まるばかり。

幸運だったのは、言い合いをしている最中、「なんでこんなに怒っているのか?」と不意に冷静になることができ、「あれっ?これは、今日のこの出来事自体に怒りを感じているのではないかもしれない」と気づけたこと。

一気にクールダウンした頭の中でぐるぐると考えた結果見つけたもの。

それは、心の奥にあった「我慢し続けた寂しさ」でした。

生まれつき視力が低かった僕は、10歳で失明して以後はもちろん、弱視の頃にも、「配慮」や「効率」を理由に、「待っててね」とか、「代わりに行ってくるね」のような言葉をかけられる経験を数えきれないほどに重ねてきました。

のみならず、自分から、「僕はここで待ってます」と伝えることも少なくありません。

カフェやレストランのセルフサービスのドリンク、フードコートの食べ物、みんなで運ぶ大荷物、目の前を通り過ぎた人が落としたと思わしきハンカチ…。

何気ない日常の中で、「ちょっとそこまで」何かを取りに行く、あるいは渡しに行く行為はたくさんあります。

それぞれシチュエーションは無数に考えられますが、ぱっと行って戻ってこようと思った時、僕を誘導していない方がスピーディだし、手間も軽減するであろうことは想像に難くない。

もちろん、自宅や、構造を把握している場所であれば、僕自身が率先して動いて、誰かの分も飲み物を持って行ったり、大きな身体を生かして、荷物を運んだりすることは可能です。

けれど、知らない場所、混雑している場所などではそうもいかない。

だから僕は、いつもじっと待ってきました…。

僕を残して遠ざかっていく人たちが、楽しそうに会話をしている様子を寂しく思ったり、行った先で何かがあって、思いのほか長時間一人でいる時に、孤独を感じながらも、そうするしかないと耐えてきました。

つまり、あの日の妻への怒りとは、長年、当たり前のように我慢してきたことから、いつの間にかため込んでいたストレスによる八つ当たり。

そのことを伝え謝罪したところ、妻も、そこには思いが至らなかったと謝ってくれたため、この件は一件落着。

実は、人生のパートナーである妻との間では、しばしばこういうことが生じてしまいます。

その理由はきっと、これまで、たくさんの人に対して重ねてきた遠慮とか我慢のタガを、妻に対しては外しているため、素のままの心情が表面化し、ずっと押し込めてきた本音が怒りとして噴出してしまうからなのでしょう。

そういう時には、切なさなのか情けなさなのか、悔しさなのか憤怒なのか、なんだかよくわからない感情の暴走に翻弄されながら、「ああそうか、僕って我慢してたんだ」と気づかされ、ため息とともに涙があふれてしまう。

それは安心して感情を吐露できる場所がある幸福の裏返しなのでしょうが、胸の奥がきしんで痛みを感じる瞬間でもあります。

つづく

◆プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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