「大学/友達/恩返し」~1
片岡亮太
2月末、母校上智大学の同窓会が企画してくださった卒業15年を祝う式典に出席してきました。
都心在住の人はもちろん、僕を含め地方からも、多くの同級生が大学に「帰って」来たので、その日は一日、再開の喜びに心が震えっぱなし。
SNSやLINEで時折連絡を取り合ってはいながらも、コロナ禍の影響や、住まいが遠いことなどの理由により、数年来会えていなかったという友人もいましたが、中には、卒業後めっきり連絡もできずにいた人も。
皆で、在学中を懐かしく思い出しながら話していると、気分は学生時代にタイムスリップしたかのよう。
度々書いていますが、僕は、学生時代に演奏家としてプロになることを志したことがきっかけで、現在の活動を始めています。
併せて、「音楽だけでなく、社会に対する思いを発信していきたい」という志を持って歩き出せたのは、僕自身が全盲の障害当事者であるというだけでなく、大学で学んでいた社会福祉学の視点があったから。
また、20代前半の駆け出しの頃、全く実績がなかったにもかかわらず、僕の言葉に、多くの方が耳を傾けてくださったのは、卒業目前に受験した国家試験に合格し取得できた、社会福祉士の資格あってこそだったことは間違いありません。
さらに、今でも当時お世話になった教授や、社会福祉士の国家試験を受験するために必要だった社会福祉施設での実習(教育実習やインターンシップのようなもの)の際にお世話になった方々とは連絡を取り続けており、そういった様々な意味において、僕の現在とは、大学時代と直結しています。
だから、気持ちの上では、学生だった頃の日々は、今も手を伸ばせば届く場所にある、そんな感覚。
けれど、15年と言えば、0歳だった子供が中学を卒業してしまうほどの月日。
実際、「今年から子供が中学生だよ。」と話している友も複数おり、いつの間にか、学生時代からずいぶん遠く離れたところに立っているのだなあと、懐かしい友人たちの声を聞きながらしみじみ感じました。
僕は、当時の上智大学にとって、約15年ぶりの全盲の学生でした。
僕の前に在学されていたのは、仏文科卒で、現在エッセイストや絵本作家としてご活躍の三宮麻由子さん。
「あなたも三宮さんのように頑張って」
入学に際し、視覚障害に対するサポートを依頼するために大学との打ち合わせに出向いた際、最初にそのように言われ、偉大な先輩と、学科は違えど、同じ大学に入れることに誇らしさを抱いた一方で、大きなプレッシャーを感じたことをよく覚えています。
十年以上全盲の学生が入学していなかったため、当時の上智大学は、視覚障害に対する対応のノウハウが皆無に等しい状態。
幸い、大学側もそのことを認識し、「だからこそ、一緒に良い体制を作っていきましょう」というスタンスでいてくれたため、高校時代を過ごした、筑波大学附属盲学校(現 筑波大学附属視覚特別支援学校)の先生方にご協力いただき、視覚障害のある学生にとって必要となり得る支援についてご説明いただいたところ、全て了承。
「他にもいろいろなことが必要になるだろうから、それはその都度相談し合いましょう」と言っていただけたときの心強さとありがたさは、筆舌に尽くしがたいものがありました。
一般的には知られていないことかもしれませんが、こうやって、支援学校の教員が進路先の大学に生徒と共に出向き、入学後のサポート体制について話し合いを重ねることは、視覚障害に限らず現在も度々行われていることです。
例えば聴覚障害のある学生さんが、(昨今は文字認識に特化したアプリもあるから状況は異なるのでしょうが)そういった話し合いの中で、手話通訳や、パソコンなどを使って教授の話を要約する「ノートテイク」など、授業を受けるにあたっての様々な環境を整えることもあります。
初めてこういった交渉ごとの場についた高校時代の僕から見ても、上智大学とのやり取りは、大変スムーズなものだったのですが、そういう対応は、当時稀なことだったようです。
約20年前は、授業の内容等において、十分なサポートが不可能であるとの理由から、全盲の学生の入学を拒否する大学は決して少なくありませんでした。
ずいぶん改善はしているでしょうが、残念なことにそれは今も言えること。
また、障害への配慮についても、「○○はできるけれど、○○は不可能」と突っぱねられてしまうこともざら。
事実、大学に対し、必要な支援を求めたところ、断られて困っていると、愚痴をこぼしていた高校時代の同級生が何人もいました。
そんな中で、上智大学は異例だと、交渉に同行してくださった先生から言われたことが印象的でした。
推薦入試で合格していたこともあり、ずいぶん早い段階から大学との打ち合わせを勧められていたこともあり、入学前には大まかな支援体制が整っていたことは、今思い出しても幸運だったと感じます。
具体的に大学にお願いしたのは、以下のようなものでした。
・ 音声読み上げ機能や専用のワープロソフトなど、視覚障害者が使用できる状態になっているパソコンを一台、図書館内に設置してもらうこと。
・ 学内の掲示板等に掲載される情報のうち、知らないと困る、授業の登録や、健康診断などのスケジュールをメールで教えてもらったり、必要に応じて書類等の作成のサポートをしてもらうこと。
・ 僕が受講する授業を担当する先生方に対し、大学の事務から、全盲の学生が履修することをあらかじめ伝えてもらい、障害に対する配慮を求めてもらうこと。
(例えば、板書する際には、内容を読み上げて欲しいとか、定期試験の時には、大学が窓口になって点字訳するから、速めに問題を持ってきてもらうか、あるいは、試験に相当するレポート課題に変更するなど、代替手段を講じて欲しいこと、また、配布資料は、できうる限り電子化し、メールにて事前に直接僕に送付していただきたい等々)
こうやって書いていて気づきましたが、サポートのほとんどが、学習面に関することに集中していたようです。
確か大学側からは「学内の移動についての支援は必要ないか?」「教室移動の誘導要員が必要なのではないか?」等、移動に関する提案を頂いた記憶がありますが、上智大学のキャンパスは、さほど広くなかったので、おそらくどうにかなるだろうと、あえてお願いはしませんでした。
幸い、その予感は的中することになります。
プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)
静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。
2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。
同年よりプロ奏者としての活動を開始。
2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。
現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。
第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。
Blog: http://ameblo.jp/funky-ryota-groove/
youtube: https://www.youtube.com/user/Ajarria