『誰かの幸せを考える幸せ』2
わたしの
前回『誰かの幸せを考える幸せ』1はこちら↓
【 「誰かの幸せを考える幸せ」1 / わたしの | 重度訪問介護のホームケア土屋 】
桃:そうなんです。
何回かやっていくうちに、はじめて満席になったときがありました。
満席になったときの、あの「多幸感」が今でも忘れられないですね。超幸せ!!って思いました。
なんか自分の懐にみんながいるような気持ちになるんです。
みんなの胃袋に私の生み出した食べ物が入っていく~じわじわってした嬉しさ。私キッチンの中で飛び跳ねて喜んでいたんですよ。
土橋:食べ物にはそんな喜びがあるんだね。自分が人に振る舞うことがないからよくわからなかった。
桃:それはすごい喜びでした。カレー屋さんは途中で終わっちゃったけど、今の夢も変わらずそこにあるんです。
土橋:ちょっと飲食店をする人の喜びがわかったような気がしました。自分が作った料理で他者のおなかをいっぱいにする喜びね。
やっぱり頭で考えていることと、実際に体験したり実感することって違うじゃないですか?
桃:そうですね。違いますね。
土橋:その実感するためには一歩踏み出さなければならないんだけども、そこを一歩踏み出せたっていうのは、何かきっかけがあったんですか?
今までできなかったのに、やるぞって思えたのには何かあったんですか?
桃:個人的な話になっちゃうんですが、離婚したことがすごく大きかったんです。
土橋:どういうことでしょうか?差し障りのない範囲で構いません、もしよろしければそのことを聞かせてもらえますか?
桃:はい。全然大丈夫です。
結婚しているときって将来のことを考えるじゃないですか。家族の行く末、夫婦の行く末を。
子どもが生まれてこういうところに住んで、こういう風に仕事して・・・それが離婚して、その先の「こうあるべきだろうスケジュール」がなくなったし、「家族とはこうあるべき」というのもなくなったから。
これは自分を軸にして生きていくタイミングなんだと思って。あとは環境に恵まれていたのが大きかったです。
土橋:自分らしく生きる、ということですか?
桃:そうですね。
土橋:「自分らしく生きる」ということを、言葉でわかるということと、実感として分かるというのは大きな違いですよね。
それはとても大切なことなんだと実感としてわかると、もしかしたらおこがましいことなのかもしれないけど、人にも「自分らしく生きてもらいたい」と思うのは自然な流れな気がします。
「自分らしく生きる」ことは強制できないから、自分で気づくしかない。
「自分らしく生きなさい」ってどんなに命令されても、指示されても「わかった!」といってできることじゃないですよね。
桃:あの当時、私はそれを実感としてわかったんだと思うんです。
それがカレー屋さんをやろうと一歩踏み出したきっかけになったんです。
◇
土橋:自分ごとになってしまうんですけど、先日国際電話がかかってきたんです。
出てみると10年前によく遊んでいた韓国人の友だちだったんですよ。どうしたの?って聞いたら、
「ソウルで友だちと飲んでたら、君の話になったから電話した」
って言ってくれて、それが滅茶苦茶嬉しかった。ソウルで自分のことを思い出してくれる人がいるんだと思って。
それですぐにソウル行こうかなと思った。金曜日の夜に出て、日曜日に帰ってくればいいんだし、今ならできるぞって気分でしたね。
桃:それは嬉しいですね。
土橋:よく若者は何でもできるって言う言葉を聞くけど、そんなことは全然なくて、私の場合、今の方ができる。若い頃はお金もなかったけど、世界も狭かった。
だから年齢は関係なくて、いつからでもやりたいことができるんです。
もちろん今、時間はないですよ。ない中で工夫して、最大限のやりたいことをやってます。
桃:私も30歳を超えてからでしか決断できなかったことばっかりなので、よくわかるんです。それは出産も含めて。
土橋:今が一番楽しいですか?
桃:20代のころって焦っているんですけど何も決められなくて、どれもこれも中途半端だし、あまり思い出せなくて。私は、今が一番楽しいし、自分らしい。
土橋:最高ですね。
◇
土橋:子育てについて聞いてもいいですか?
桃:子どもが生まれたことは、自分にとって本当にありがたい貴重な体験です。
子どもを育てていると、母のことがよくわかるようになったんです。そして、自分のこともなんとなく考えるんです。「育ちがもろに返ってくるな」って。
土橋:その「育ちがもろに返ってくる」についてもうちょっと詳しく聞きたい。
桃:今、とてもありがたいことに自分の母親に手伝いにきてもらって子育てをしているんですけれど、これまで母親のことってちょっとうるさいな・・・とかって思うこともあったんです。
それで喧嘩することも少なくはありませんでした。
そんな母がきてくれて、私の子どもに向き合っている姿を見ていると、母の子育てを自分がもう一回体験するような気がするんですね。
どうやって子育てされてきたのかは覚えていないので、はじめて母親の子育ての価値観に触れるんです。
―つづく―