『祭は不要不急ではない』2
わたしの
ー農耕社会を基盤にした祭たちー
前回までは、『祭は先人たちの発明』であることを書いてきました。
しかし、今、廃れゆく地域の祭が少なくないと聞きます。私の地元の祭のほとんどが規模を縮小しているか、廃止になっています。
それはなぜなのでしょうか。
それは、これまでの祭が農耕社会を基盤にして成り立ってきたものだからというのが一つの理由であるようです。
わかりやすく言うと祭のテーマが「農耕」なのです。そこが現代とフィットしなくなってきているのです。
私が子どもの頃過ごした地域のお祭りは、土日開催ではなく、古くからの習わしにちなんだ、古来の暦に沿った日に執り行われていました(例えば、立春から数えて○○日、など)。
ですので、土日ではなく、平日に行われることもありました。
子どもにとっては、学校がお休みになる嬉しい日でしたが、会社勤めの大人はたいへんです。
農業に従事している人は合わせられるかもしれませんが、会社勤めの人は会社を休んで参加することが求められます。
私の生まれた土地は、県庁所在地のベットタウンとして次から次へと田畑が新興住宅地へ変わっていった土地でした。クラスの友だちの親は農業に従事している人もいましたが、そうではない人の方が多かったです。
ここに農耕を基盤にして成り立った祭と、現代人のギャップがまずあります。
また、神楽の舞のモチーフが土を耕す動きであったり、苗を植える動きであったりするので、昔は生活のなかに当たり前にあった動きですが、現代では馴染みの薄いものになっています。
そしてテーマは「五穀豊穣」が多く、その願いもまた現代社会を生きる者の直接的な願いと重ならない部分も出てきました。
このように農耕を基盤にした祭は徐々に現代社会にフィットしなくなってきました。
◇
ー新しい祭よ、目覚めよー
祭によっては近年、参加者が減少し、廃止になったものや規模を縮小したものが少なくありません。
しかし、廃れるものがある一方で、祭の数が減ったかというとそんなことはありません。みなさんの周囲を見回して見てください。
「○○フェスタ」や「○○マルシェ」といった新しい形の祭が続々と生まれてきてはいませんか?
今を生きる人々が、自分たちの生活にあった「新しい祭」を創出しようとしているのです。
それは、人間の「地域社会」や「集団」をより豊かなものにしようという願いが昔も今も変わらない普遍的なものであるということの証拠なのかもしれません。
私はお祭り野郎といった目立った存在では決してなく、どちらかというと仄暗い日陰を選んで歩いてきたような人間なのですが、子どもの頃から近所の神社で執り行われる祭、縁日が大好きで、神楽のお囃子が遠くから聞こえてくると浮き足立ち、ふらふらとそちらに引かれて行ってしまうようなところがありました。
笛太鼓のお囃子と縁日の賑わい、遠い空と午後の光。
子どもの頃に体験したものが今でも胸に残っていてノスタルジックな光景としていつでも思い返されるのです。
さて、農耕を基盤にした古い祭が現代的な新しい祭(仮にフェスタと呼びます)に変わっていくときに、祭が持っていた機能も新しい形へ変わりました。
例えば縁日における露店はフェスタにおいて飲食や物販のテント(市)に変わりました。
子どもが夢中になって遊んだ型抜きやくじ引きなどの遊戯はワークショップに姿を変えました。
そして祭において神楽が担っていたものは生演奏やダンスなどのステージイベント・パフォーマンスへと変わっていったのです。
ここで今回のコラムの本題へとやっと戻ることができます。
祭の神楽がフェスタにおける生演奏だとしたら、私たちのバンド「わたしの」が新しい形の祭において果たす役割は「神楽的なもの」を行うことです。
これまでの祭で神楽が担っていたものをフェスタにおいて行うことなのだと感じました。
その役割を担う「わたしの」が古い祭の象徴であるような神楽殿の前から活動を出発させたことは果たして偶然なのか、必然なのか?
神社を会場にして行われたのはその一回限りのことで、そのイベントは年毎に会場を転々としています。
公園で開催されたこともあります。駅前の広場もありますし、図書館前の時もありました。神社で開催された年と初LIVE がたまたま重なったのは、偶然に過ぎないのでしょうか。
私はもともと祭や年中行事などが好きで先にも書かせてもらったとおり学生時代は休みがあると地方の無形文化財に指定されたような舞や儀礼を見に行っていました。
私の中で、祭や神楽と、音楽と、「社会」や「集団」について検証することがきっかけで生まれたバンド「わたしの」が、ここにきて緩やかになわれていくように一本の道筋となっていく気がして、それが偶然という言葉では片付けられないと感じていたのです。
神楽殿の前から活動をスタートすることができてとても光栄で、嬉しかったです。
◇
ー先人たちの祭を模倣するー
「わたしの」のLIVE は地域のイベントなどで行わせていただいています。
会場は、公園や駅前などの広場で行われることが多いのですが、どんな場所であっても「先人たちの祭を模倣する」ことを忘れずにいます。
私は廃れゆく古い祭りへのノスタルジーだけではなく、その美意識や品が大好きなのです。
目的のプロセスへの隠し方の美しさや巧妙さ、そして品の良さが格好いいと思ってます。
「わたしの」の楽曲は神楽とは程遠いものです。模倣すると言っても、祭囃子を再現するということではなく、神楽のエッセンス、先人たちの知恵にほんのちょっと触れたいのです。
初LIVE の次の年(2018年)の秋のことです。
あるイベントでの演奏が決まりまして、そこで披露するために私たちは新しい曲に挑戦していました。
その曲のタイトルは『名前のない幽霊たちのブルース』。
この続きはまた別のコラムで書かせていただくことにします。
おわり