新版『名前のない幽霊たちのブルース』LIVE当日
わたしの
LIVEの会場は、地域の小さな神社。
由緒正しい神社の「神楽殿」の前のスペースで演奏することになっていました。玉砂利。
ステージの前にはベンチが並び、そこに小さい子どもたちやパパママ、お年寄りたちなど、たくさんの人々が集まっていました。
11月の、秋も深まったスッキリと晴れた日。青々とした空の下。
私ははじめて人前で演奏する緊張で顔が強張り、ドキドキが止まらなかったのです。
「楽しみ」なんてまったく感じられないくらい、かたくなっていましたし、正直、憂鬱でした。
私にはLIVE のイメージがありました。
バンドを中心にして人々が集まり、曲にのせてお客さんは手拍子し、バンドとお客さんが一体となって、その場にひとつのグルーヴが生まれる。
そんなイメージを、今まで自分がお客さんとしてどこかで体験したことがあったのでしょう。
だから、それを望んでいました。
ところが「わたしの」の演奏がいざはじまると、それまで集まっていたお客さんたちが蜘蛛の子を散らすようにどこかに行ってしまったのです。
残ってくれていた人たちは、焼きそばやたこ焼きなど飲食をしている人たちで、その人たちも食事が終わったら一人消え、二人消えとだんだん減っていきました。
私は演奏しながら「また減った。また減った」と数えながら、落ち込んでいきました。
しかも演奏の途中で、遠くの方で歓声が上がりました。
声のする方を見ると、神社の入り口に町内会の「ゆるキャラ」が登場しているではありませんか。
追い打ちをかけるように、「○○くんがきたぞー!」と人々がそっちに駆けていきました。
黄色い声援に囲まれて、手厚くおもてなしされているVIP待遇の「ゆるキャラ」と、誰からも相手にされず隅っこで寂しく演奏する「わたしの」。
誰も見てくれない口惜しさと、怒りがこみ上げてきて、あのときはもう演奏をやめて、駆けていって本気で「ゆるキャラ」にドロップキックしたかった!
「わたしの」の演奏の前には、ステージで町の劇団が殺陣のパフォーマンスをしていました。
それに子どもたちは大興奮。演奏がはじまったときは、その興奮の余韻がまだステージに残っていたのですが、「わたしの」の演奏で徐々に冷え込んでいき、終わる頃にはすっかりクールダウン完了。
情けない。恥ずかしい。悔しい!
もちろん「アンコール」なんてありません。終わったら聞こえるか聞こえないか分からないくらいのまばらな拍手。
誰も拍手しないのもかわいそうだろうとイベントの関係者がお情けで送ってくれた拍手。
その拍手の弱々しい感じも情けなく、いたたまれなくなってそそくさと楽器を片付け、逃げるように会場を後にしたことを覚えています。
一時退却!
◇
それが初LIVE でした。
なじみのお好み焼き屋での打ち上げで、私は酔いも回りすっかりやさぐれていました。
刀折れ、矢が尽きた満身創痍の将軍を囲んで、みんなで酒を飲んでいる状態です。
「馬鹿にされた気分だね。誰も聞いちゃいない!」私は愚痴を言っていました。
「全然のらないじゃないか!」
「あのゆるキャラはなんだ!あのタイミングで登場させるってことは、我々をなんとも思っていないんだ。配慮がなさすぎる!」
「普通は、アンコールあるだろ?聞きたくなくてもさ、手拍子するだろ?それでアンコールに応えたら、わーい!って盛り上がるのがマナーだろ?」
最初は、他のメンバーは黙って聞いていました。
しかし、あまりにもねちねち私が管を巻くので、いい加減にしろと思ったんでしょう。
メンバーの一人、「わたしの」のフロントマン萌さんがここで口を開きました。
「違うんですよ」
私を見つめて言いました。
「何が違うっていうんだ!みんな逃げて行ったじゃないか」
「違うんです」
「何が?」
「そもそも、思い描いてるイメージが違うんです」
「えっ?」
「LIVE してこうなるといいな、という望みが、そもそも違うんですよ」
「………」
「自分たちははじめてのLIVE ですよ。誰も僕たちのことを知らないんです。さらに僕たちはオリジナル曲です。誰もその曲を知らないんですよ。客の立場に立ってください。どこの誰かも知らない人たちが、なんの曲かも分からない曲をやってるんです。それでグルーヴが生まれたら奇跡ですよ」
萌さんは続けました。
「プロならそれは技術でカバーできるかもしれません。だけど、僕たちは演奏技術も高くないじゃないですか。そもそもイメージに到達しようとするのが無理があるんです」
一番楽器が下手なのは私です。初LIVEで経験もありません。
自分が勝手に思い描いていた高望みと、現実のズレを「客のせい」にしていました。
「ゆるキャラのせい」にしていました。そのことに気づかされたのです。
本当は「他人のせい」なんかじゃないんです。
自分が思い描く「望み」や「希望」は、完全にエゴだなと痛感しました。
萌さんはしょんぼりする私に優しい声で語りかけました。
「徐々にでいいんですよ。少しずつ浸透していけばいいじゃないですか。そしたら5年後にはイメージ通りになるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、いいじゃないですか、それでも」
その通りだなと思って私は聞いていました。少しだけ涙ぐんでいました。
「まずはお祭のBGMくらいの存在でいいじゃないですか?」
「………」
「ちょっと耳に残って、なんだっけこの曲?くらいになれば万々歳ですよ!そうでしょ?」
その言葉によって、私は気分が楽になりました。どこかふっきることができました。
完全に慰められ、打ち上げがお開きになる頃には憑き物がとれたようになっていました。
「ありがとう」
右往左往しながら、失敗しながら、積み重ねていくそのプロセスの中に本当に大切なものがあるのかなー。
結果を急ぎすぎちゃ、いけないのかもな、そう思うようになりました。
そのあとも我々は細々とLIVEを重ねて、少しずつ知ってくれる人も増えていきましたし、バンドメンバーや「わたしの」に関わってくれる人たちも増えていきました。
初回に参加したイベントは3年連続で呼んでいただきました。
他のイベントからも声をかけてもらえるようにもなりました。
そういえば、はじめてのLIVEで感じたような口惜しさは、気づけばいつの間にか感じなくなっていました。
少しだけみんなから受け入れてもらえるようになったということでしょうか。
自分自身、ちょっと楽しめるようになってきましたし…。
「わたしの」の物語はまだまだつづくのですが…遠回りしていたら、ここでお時間となりました。
つづきはまた今度とさせていただきましょう。
つづく