新版『名前のない幽霊たちのブルース』LIVE前夜編1 / わたしの

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新版『名前のない幽霊たちのブルース』LIVE前夜編1
わたしの

「地域のお祭りでバンド演奏してみよう」

そんな発想が、急にどこから生まれたのか、今ではあまり覚えていません。

私は悩んだり、考え込むこと自体が好きで、それを肴に酒を飲んでいるような性格なので、積み木をひとつずつ積んでいくように考えて考えて導きだした結論だったかもしれません。

しかし、本当に覚えていなくて、やっぱり思いつきや直感のようなものに突き動かされて見切り発車したような気がします。

これまで人前で演奏した経験がなかったばかりか、楽器をやったことすらもない人間が、急にLIVEをする!と言い出したのです。

その数ヶ月後には、実際に地域の小さなお祭りではありますが、客前のステージで演奏することになるのですから「蛮勇」というのか、「向こう見ず」というのか、まわりにとってはよい迷惑だったかもしれません。

2017年、私が38歳のころの話です。

完全に、青春をこじらせていました。

バンドというのはひとりではできないので、協力してくれる人たちが周囲にいてくれたことが最大の幸運ですし、それに関しては感謝以外のなにものでもありません。

私はただ、やろう!と言いはじめただけです。私一人ではできませんでした。

幸いなことにメンバーの中に、才能に溢れたメロディーメーカーがいたこと、そしてとてもクリエイティブな心ある仲間たちがたくさんいたので成立したのだと思います。

私はとにかく詞を作りました。そしてその詞にメロディーを付けてもらい、出来上がった音楽をみんなで練習して地域のお祭りやイベントで演奏する、これがひとつの流れになりました。

さて、ここで大きな問題がありました。

言い出しっぺの当の本人が楽器をまったく演奏できないのです。

『楽器ができるからバンドを組むのではなくて、バンドを組むことが決まってるから楽器を習うのである』という寺山修司ばりの無茶苦茶なことを自分に言い聞かせて、まずは何をやるかを決めました。

あまり複雑なことは難しいので、叩く・振るといった単純な動きの打楽器がいいだろうと思いました(もちろん打楽器なら簡単だろうと思ったわけではなく、叩く=音が出るというシンプルなものがよく、指を細かく動かすという巧知性を求められるものは自分には難しいという判断をしたからです)。

多くの種類の打楽器の中から、持ち運びの容易さやシンプルでいながら表現の幅もある機能性を考えて、最終的には南米の「カホン」という箱形の楽器を選びました。

楽器が決まったら次は「カホン」を教えてくれる人を探しました。

そして「カホン」の先生を見つけて練習に通い詰めました。

イベントで演奏するのは5曲。

「先生、難しいことはできないのでこの5曲ができればいいです。」

「他の曲ができなくてもいいんですか?」

「はい、大丈夫です。とにかく短時間でギリギリでいいので演奏できるレベルにしてください」

と頼み込みました。

「基礎はいりません」と言うと、

先生は分かったと言いつつ「ただ、本当の基礎の基礎だけはやりましょう」と言いました。

ホワイトボードを持ってきてリズム符を書きながら、

「これが8ビートで、これが16ビートです」と教えてくれますが、これがさっぱり分かりません。

いや、頭では分かるのですが手がついていきません。先生も考えていたよりもハードルを下げないと駄目だということに気付いたようで、

「8ビートはドンタ、ドンタです。16ビートはドンタドンドンタですよ。さあ、やってみてください」

「ドンタドンタドンですか」

「違う、ドンタドンドンタです」伝統芸能の口伝のようになってきました。

言われたとおりやろうとするけれども体が動きません。

仕事の合間を縫って、家や公園や川原でも練習を続けました。

こうしてイベントで演奏する曲を先生がやるように丸暗記していき、なんとか様になってきたのですがその覚え方が新たな問題を生むことになるのです。

バンドというのは練習で実際に演奏しながら「ここは音数を減らそう」とか「徐々に盛り上げていこう」とかアレンジしてみんなで曲を作り上げていく、まさに生モノを扱う作業をするのですが(やってみて知りました)、私は教えられた通りにしかできないので「こうアレンジして」とオーダーされても「ごめん、できない」と断るしかないのです。

申し訳ないのですが、どうにもできないのでそういうものだと他のメンバーには納得してもらうしかありませんでした。

とにかくバンドのリーダーが一番楽器ができません。柔軟性がなく、足を引っ張る存在であり、まわりが気をつかってくれているのです。

だからこそかもしれませんが、私は「わたしの」に関わる人に関して、必ずしも楽器ができなくてもよいと思っています。

楽器が「できる―できない」は二の次です。

これは、音楽のクオリティーはなくてよいという意味では決してありません。

それなりに、イベントで聞いてもらえるものを演奏したいという気持ちはあります。

自分が一番へたくそなのに、その思いは誰よりも強いかもしれない。

お客さんにLIVEのその瞬間を楽しんでもらいたいし、また聞きたいと思ってもらえたら最高だとも思っています。

私が言いたいのは、音楽はどうでもいいというわけではなくて、楽器ができる人は、それを追及していきたいし、できない人も苦手な人も、ただ「演奏したいという気持ち」があるならば努力して、いい音楽を追及する方が楽しいと思っています。

だけど別に楽器をしない人がいてもいいと思ってますし、ただいるだけでもいいと思っています。

他の方に迷惑がかかったり、活動に支障をきたさなければ、眠っていたっていいです。

子どもの参加も大歓迎です。

その瞬間だけは、ほっとしたり、楽だったり、楽しかったと感じてもらえれば言うことありません。

参加しながら、自分の役割を見つけてもいいと思っています。

楽器ができないから…という人がいますが、安心してください。

リーダーである私が、一番楽器ができないのですから。

つづく

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