「初舞台がくれたもの」(前編) / 片岡亮太

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「初舞台がくれたもの」(前編)
片岡亮太

この4月で和太鼓と出会って26年、プロと名乗りだしてから15年が経ちます。

その間に立たせていただいた多くの舞台には、それぞれに様々な思い出があります。

中でも「初めて」の経験が含まれていた演奏は、思いもひとしお。

一瞬で当時の記憶がよみがえってくるほどに、深く心に刻まれています。

小学6年の時、初めて盲学校の仲間たちと立った、地元のコンサートホールのステージ。

2009年に、生まれて初めてアメリカに行った時、太鼓仲間たちと行った演奏など、挙げ始めたらきりがありません。

けれど、その中からあえて「一番の思い出」を挙げるとするなら、それは間違いなく「プロとしてのデビュー戦」です。

あの時に感じたこと、学んだことは、今の僕にとっても大切な軸の一つとなっています。

2007年のゴールデンウィーク。

舞台は、当時地元で営業していた「伊豆洋らんパーク」という、世界各国の蘭(らん)が常時展示されていた観光スポット。

大学を卒業した後、独奏を中心としたスタイルで演奏活動をしながら、障害や社会福祉を切り口にした講演をしていきたいという僕の思いを知って、家族ぐるみで親しくさせていただいていた経営者のご夫妻が、「卒業祝いとこれからへの応援を込めて」と、ゴールデンウィークの数日間、園内の一角を提供してくださることになり実現した、プロ奏者片岡亮太としての初舞台。

「まだ亮太君一人でどんな演奏ができるのか、どの程度の力があるのかもわからない状態なのに、出演料などを渡して演奏してもらうのは、亮太君にとってよいことではないと思うから、今回は場所だけを貸します。
力試しと思って存分に演奏してごらん。
その様子で、こちらも次回以降、出演料を渡せるかどうか考えます。
その代わり、あなたのことを多くの方に知ってもらえるように、新聞社には声をかけるから、もしも取材してもらえたら、今後への思いを伝えなさい。」

それがご提示いただいた条件でした。

こうやって今書いていても、どれだけ温かい愛情でこの機会をいただいていたのかが伝わってきて、胸がいっぱいになります。

それまでは仲間と組んでいた和太鼓グループの一員として、あるいは篠笛(しのぶえ)やピアニカなど、メロディを演奏できる楽器とのセッションで舞台に立つことがほとんどだった当時の僕。

「たった一人で何ができるか?」と不安を感じてはいたものの、学生の頃から、都心のコンサートやライブへの出演経験があり、数百名の聴衆を前に演奏を披露しては大きな拍手をいただいていたため、「きっとどうにかなる」と思い、現在でも使用している2台の桶太鼓(風呂桶のように、薄い板を張り合わせた胴にロープで皮を張った和太鼓)と、アフリカの太鼓であるジャンベを武器に、演奏開始。

ところが初日の結果は散々なものでした。

珍しい花々を見たくて来援している方々にとって、僕の音楽ははっきり言ってBGM以下。

曲が終わった時に拍手をしてくださる方はもちろん、音に立ち止まってくださる方さえほとんどいませんでした。

当時の僕にできる技を全て盛り込みながら即興で太鼓を打ち鳴らし、「どうだっ!」と言う気持ちで曲を終えても、目の前には誰一人おらず、音が聞こえそうなほどの静寂を目の当たりにした瞬間に感じたいたたまれない思いは、今でも忘れられません。

「このままではだめだ!」

そう痛感し、少しでも面白いと感じていただき、足を止めていただける演奏にしなければと必死に考えました。

その中で、自作のメロディや、「涙そうそう」、「もののけ姫」等、誰でも知っている歌を、自分なりにアレンジして太鼓を打ちながら歌ってみたり、独学で練習していた、モンゴルやトゥバ共和国で「ホーミー」や「ホーメイ」と呼ばれる、一人で二つの声を同時に出す、独特の歌唱法等を和太鼓のソロの中に取り入れてみたところ、状況は一変。

二日、三日と回を重ねるごとに足を止めてくださる方が増え、演奏が終われば拍手も聞こえてくる。

小休止をしていた時に、「お疲れさま、これでも飲んで」とお客様から声をかけられ、冷たい飲み物と500円玉を手渡された時には、しびれるほどの喜びを感じました。

それと同時に、「音楽を聞こう」という雰囲気が整った空間で演奏させていただけることや、コンサート会場にお客様が集まってくださるということが、どれだけ幸せなことであるのかを身をもって学びました。

予定していた全日程を終えた時、経営者ご夫妻からも、「一気に演奏の雰囲気が変わったね、面白かったよ。」と評価していただき、以来、数年後の閉園まで、伊豆洋らんパークでは折に触れて演奏の機会を多数いただきました。

また、いくつかの新聞社がその時の演奏の様子を、僕の思いと共に記事にしてくださり、それがきっかけとなって広がったご縁もたくさんあります。

様々な声を多用した、僕独自の演奏スタイルの中核も生まれた、伊豆洋らんパークでの演奏は、まさに和太鼓奏者・パーカッショニストとしての片岡亮太の原点。

あそこから始まったプロとしての歩みは、決して平たんな道のりではありませんでした。

何度となく自分の未熟さを突き付けられては、悩み、もがいてきたし、現在のコロナ禍のように、やむを得ない社会状況の影響によるものではなく、純粋に活動が振るわなくて、演奏依頼が激減し、先が見えない不安に心が折れかけたことだって一度や二度ではありません。

そんな日々を超えて、表現を続けてこられたからこそ、もしも今、当時と同じ環境で演奏することができたなら、あの時見つけたアイデアの種が、15年の月日と、国内外で経験したたくさんの舞台の中で芽吹き、根を張り、枝葉を伸ばした音楽で、蘭の美しさに、音という彩を加え、来援した方々はもちろん、スタッフの方々にも喜んでいただける時間を作ることができるだろうと時折夢想します。

伊豆洋らんパークの閉園により、残念ながらその夢が実現することはありませんが、かつて誰にも足を止めていただけなかった自分が、確信をもってそんな風に考えることができる現在にたどり着けたことは、僕にとって何よりの誇りです。

プロフィール
片岡亮太(和太鼓奏者/パーカッショニスト/社会福祉士)

静岡県三島市出身。 11歳の時に盲学校の授業で和太鼓と出会う。

2007年 上智大学文学部社会福祉学科首席卒業、社会福祉士の資格取得。

同年よりプロ奏者としての活動を開始。

2011年 ダスキン愛の輪基金「障害者リーダー育成海外研修派遣事業」第30期研修生として1年間単身ニューヨークで暮らし、ライブパフォーマンスや、コロンビア大学内の教育学専攻大学院ティーチャーズ・カレッジにて、障害学を学ぶなど研鑽を積む。

現在、国内外での演奏、講演、指導等、活動を展開。

第14回チャレンジ賞(社会福祉法人視覚障害者支援総合センター主催)、
第13回塙保己一(はなわ ほきいち)賞奨励賞(埼玉県主催)等受賞。

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