好き嫌いのその先へ。 / 鶴﨑彩乃

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好き嫌いのその先へ。
鶴﨑彩乃

「共依存」その言葉に出会ったのは、確か大学の心理学の講義。

私は、心理学専攻ではなかったけれど、社会福祉士・精神保健福祉士の受験科目だ。

つまりは、必須科目。講義で先生の話をBGMにして、「ある思い出」に記憶が引きずられていった。

ある思い出というのは、いつかのコラムに登場した「紫のライダースジャケット」の人との思い出である。

その人に出会っていなければ、障害受容だって、生きていく意味だって私は見出せずにいただろう。

つまり、彼女に出会えたことは、私のかけがえのない財産なのだ。

しかし、彼女は忽然と私の前からいなくなった。私は混乱し、動揺し体調を崩した。

そのことで私に突きつけられた事実があった。

「私は人に対する依存性が高い」ということ。

無論、自覚がなかったわけではない。

自分でも人に対して「好き嫌い」が激しいとは思っていたし、それがバレるのが怖くて嫌いな人には寄り付かない。

というところは今でもあるかもしれない。

しかし、いざ違う角度から何年も経って「私は人に対する依存性が高い」ということを改めて突きつけられた気がして、その講義では耳を塞ぎたくなった。

「共」という文字がつくかどうかは分からないが、間違いなく私が彼女に依存していたという事実は存在する。

そのため、私は一人暮らしを開始するときに「あのときみたいにはならないぞ。」と決意した。

その効果もあったのか、最初は苦手だなぁーと思ったアテンダントさんでもゆっくり色々なことを話したり、共有することでその人の良いところを見つけて明るく向き合っていくことができた。

しかし、最近それができない人がいた。

誤解のないように声を大にして言いたい。

その人が個人的に問題があるなんてことは決してない。

ただ単にその当時の私の頭と心に驚くほど余裕がなかっただけのこと。

しかし、その人のことをいつまで経っても好きになれない自分に驚きと怒りと不安が混ざったような感情が蓄積していった私は、違うアテンダントさんの前で嗚咽が出るほど号泣した。

そのときはただ背中をさすられ、「嫌いなら嫌いでいいし、苦手でいいと思うで。自分を責めすぎるのはやめとき。」と言われた。

私はしゃくり上げながらうなずくのが精一杯だったが、つきものが落ちた気分だった。

確かにその通りである。

自分で自分の気持ちを否定しすぎるとそれにとらわれすぎて、視野が狭くなる。

ところが、私はこの人に対して苦手意識を持っていると自分で認めてあげると、その気持ちはストンとどこかに落ちていく。

そして、前よりもフラットで落ち着いて色々な人と接することができるようになったと思う。

もちろん、この考え方が1番とか、絶対正しいとは思ってはいない。

色々な人がいて考え方もそれこそ十人十色だから。

ただ、私はこの考え方をすることで気持ちがすごく楽になった。

そして、色々な人と接することへの恐怖心が軽減されたと思う。

元々、すごく怖かったわけじゃないけど。

アテンダントとクライアントは、生活の共同経営者だと私は思っている。

長期的に関係性を保っていくためには、共依存になることを防いでいくことは重要だと考えている。

全てのクライアントとアテンダントが気が合えばいいけど、ぶっちゃけそういう人ばかりではないと思う。

しかし、好き嫌いを超えたからこそ見えてくる関係性もあると思うのだ。

これからもひとりひとりのアテンダントさんと真剣に向き合って自分らしく、ゆっくり「一人暮らし」という自分の城を守っていきたい。

なお、合戦の予定はありません。

プロフィール
鶴﨑 彩乃(つるさき あやの)

1991年7月28日生まれ

脳性麻痺のため、幼少期から電動車いすで生活しており、神戸学院大学総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科を卒業しています。

社会福祉士・精神保健福祉士の資格を持っています。

大学を卒業してから現在まで、ひとり暮らしを継続中です。

趣味は、日本史(戦国~明治初期)・漫画・アニメ。結構なガチオタです。

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