健康を追い求めるという病気・ビョーキ/ 牧之瀬雄亮

健康を追い求めるという病気・ビョーキ
牧之瀬雄亮

昨今、巷でもメディアでもネットでも、「〇〇は健康によい」という話題が上がらない日はありません。

病気によって今の生活ができなくなることへの不安というものは、なかなか大きなものがあるでしょう。

私も先日アキレス腱を切りましたが、それによってボケーっと惰性で送ることができていた日々の用事や生活も、相対的に不便を感じたり、優先度を意識したり、いわゆる手クセでは過ごせなくなりました。

私が自動車を運転してブ~ンとこなしていた日々のことも、運転が苦手な家内が時間と労力のリソースを割き、徒歩とバスを使っていかに効率よく消化できるかトライアンドエラーする日々です。

怪我をする前の「日常」を再構築しようとするだけで、かなりの負荷がかかります。

おそらく、慣用句として肝心要という意味の「〇〇は△△のアキレス腱」という言葉を初めに言った人は、私と同じようにアキレス腱が切れた人なんじゃないかと思います。(私の足は現在は快方に向かっています。)

そう、こんな具体例や、ご自身が当事者でなくても、親戚や知り合いに大病した方があったとか、そんな、言ってしまえば「恐怖」や「不安」、「苦労」の言い伝えはみなさんも脳裏にひとつやふたつ、お有りじゃないかないかなと思います。

また、遺伝なんて話も、自分が変わっていく、あるいは老いていく道筋において、そういったイベントとの遭遇を匂わせる強い因子となるでしょう(病院や検診で何度も何度も書かされますしね)。

道路で運転するとき、安全講習で口酸っぱく言われることとして、お聞き及びの「だろう運転じゃなくて、かもしれない運転をしてくださいね」というのがありますが、安全運転に越したことはないです。そら注意しましょう。

自動車はもちろんのこと、機械、道具というものは自分の発揮できる力を増幅することができるのだから、その力を使うのであればその分注意を払うことが必要、ないしは義務ということになってくるわけですよね。

はてさてはてさて。
「健康」って、なんですかね。健康。

心が波立たないことでしょうか。体のどっこも痛くないことでしょうか。
健康診断ですべての計測数値が正常範囲内に収まっていることでしょうか。

それとも平均年収よりちょっと多くもらうことでしょうか。

私はこう思うのです。「生きている間はまだ死んでない」と。

「健康」の字を一つ一つみていきましょう。

(https://okjiten.jp/kanji570.html https://okjiten.jp/kanji631.html から引用)

まずは「健」

  • 「すこやか(体が丈夫で元気な事)」(例:健康)
  • 「たけし(強く勇ましい、勇敢)」(例:雄健)
  • 「おごる(地位・権力・財産・才能などを誇って、思い上がった振る舞いをする)」
  • 「よく」、「非常に」(例:健忘)
  • 「したたか(しぶといさま、強くしっかりしているさま)」
  • 「難しく考える」

お次は「康」

  • 「やすい(悩みがない心の状態だ、心が穏やかだ)」
  • 「やすらか(穏やかで変わった事がない)」(例:安康)
  • 「やすんずる(やすらかになる、安心する)」
  • 「安楽(心身の苦痛や生活の苦労がなく、楽々としていること)」
  • 「すこやか(身体が丈夫で元気な事)」(例:健康)
  • 「和らぐ(穏やかになる)」、「仲が良い」
  • 「楽しい」、「楽しむ」
  • 「大きい」
  • 「五方に通ずる大きな道」(例:康衢-こうく)
  • 「むなしい(内容がない、無駄である、無益である)」、「からっぽ」

面白いですね~。
健①+康①の組み合わせでいわれるのが、一般的な「健康」のイメージですが、組み合わせいかんでは、必ずしもプラスのイメージだけではないですね。

例えば健③+康⑨の組み合わせなら「おごりが四方八方に伸長する」みたいな意味にも取れますね。

健⑥+康⑩なんか、「難しく考えて虚しい」と組むことだってできる。

昔の人が偉かったと手放しに言う気もありませんが、この2つの漢字にプラス要素とマイナス要素があることが凄いというより、

「健」も「康」も、「ある状態に過ぎない」という価値観がこれらの字が発生した時期には人間の感覚として広く認識されていた、ないしはそう考えるのに無理はなかったということが言えるのかなと思います。

「心気症」なんて言葉もあります。自分がなにかの病気なんではないかと心配してやまず、病気になって診断がつき始めて安心するようなことを指すものです。

どうでしょう。人間、悪くなったり怪我したり、こどもでもそうやって育っていきます。

徹底的に無病息災と願い気遣うのは殺虫剤をどこかしこに撒き散らすようなことなのかもしれません。

二三病息災、それぐらいで構えて、そう病と呼ばれるものを内包しながらも、今日、今確かに生きている自分を観察する、そんな感じでいいんじゃないかなと思います。

おお私を私たらしめん6~70兆の細胞よ、それでその、細胞壁とかそういう類の部位とかミトコンドリアとかのなんかそういうあつまりよ、腸内細菌関係の腸内会の皆さんよ、今日も私はあなたがたの頑張りとかもあってのことだと思いますけど、

あんまり仕組みとか正確なお仕事ぶりは、自分よくわかってないんですけど、実態として死んでませんのでなんやかんやで生きているってことだと思います、ありがとう。

という気持ちでおります。はい。

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮

1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。

思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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