介護の仕事
川邉会美(ホームケア土屋 大阪 アテンダント)
私にとって「介護の仕事」は「代替療法」でした。
私が介護の仕事を選択したのは、高校生のときでした。
理由は早く経済的な自立がしたくて、自分の手に職を付けるなら、福祉のお仕事がいいかな?
御年寄の方は好きだし、オムツ交換や入浴介助があり、大変なお仕事みたいだけど、体力と足腰の強さには自信があったので、この仕事なら私にもできそう!
資格の取得も、実務年数を積めばステップアップしていけるみたいだし、1人で暮らしていくにも十分な収入が確保できそうだ。
私は、とにかく経済的自立をしなければならないと焦るには、理由がありました。
「自分で収入を得て生きていけるまでは、お前の人権なんてない‼」高校生で言われた言葉でした。
私の母は、超が付くほどの過干渉でした。何から何まで、あーしなさい、こーしなさい。
何を話しても人の話に共感しない。私が選択した「介護の仕事」には、猛反対され、「なんでそんな仕事を選ぶの?公務員とか、秘書とかは?」
確かに今から22年前は、介護の仕事と言えばお給料もデイサービスだと、時給1000円を切る事業所も多かったですし、「キツい・汚い・危険」という3K労働。
給料に見合わない仕事であるという批評が飛び交っていました。
でも、人が嫌がる大変な仕事だからこそ、やる意義があるんじゃないの??
と思い、どうして、そんなに全否定されなければならないのか、納得できず、とにかく短大2年間の間にお金を貯めて、早く就職を決めて家を出てしまおう。
計画し実行しました。
結局、母からは介護の仕事を反対され、精神的な親子関係はこじれたままでした。
事の発端には、幼少期の頃暮らしていた住まいの真向かいに、祖父母の暮らす家があり、私は、じじばばっ子で育ったのですが、おじいちゃんとは血の繋がりがありませんでした。
でも、そのおじいちゃんに私が懐いてしまったことや、おばあちゃん(母方の)と母間にも、私が生まれた頃からひずみがあり、そんな関係性に挟まれて育ってしまったことなどもありました。
また祖母は一人っ子だったため、自身の離婚に至ってしまった経緯や、おじいちゃんとの出会い、娘(私の母)への思いなど、話す相手が私しかおらず、私は幼少期からおばあちゃんの聞き役でした。
おじいちゃんに懐いてしまった私に、母がものすごく敵対心を現す時期があり、それは長く続き精神的にも辛い期間でした。
何度思い返しても、人生の途中から、母は私に笑顔を見せることはありませんでした。
結婚して子供が生まれてからは、徐々に関係も修復されて行ったのですが、その後も色々と事件はあり、母の特性もあり仕方の無いところもあるので、お互いにある程度距離感を保ちつつ付き合っていくのが一番だとわかりました。
私には私の特性や個性があり、私が母にとっての理想の子になれなかったのも、不仲な原因のひとつなのかなと、割り切るしかないところもあります。
20歳から老人保健施設で働くことになり、当時たくさんの大正や、明治時代の文明開化や明治維新の時代で、日本や家族を築き上げてきた時代の母との出会いがありました。
行動抑制が利かず、ただただひたすら歩き回ったり、女性を見ると暴力行為を現す方や、悲惨な事態を数々経験しましたが、半身麻痺や、様々な理由があり身体に不自由がある為に、身体介助を必要とする方々の、ポータブルトイレの介助をしたり、オムツ交換をしたり、入浴の介助をする際に、
いつも「ありがとう」「ごめんな」「あんた可愛いなぁ」
と頭を撫でくれたり、
「こんな大変な仕事して偉いなぁ」
と労いの言葉をかけてくれたり、
そこには、お金を稼いだり、経営や資本の為だけに働くのではなく、生きる為に真の愛情や思いやりで人との交流をしてきた方々との交流があり、またスタッフ間とも和気あいあいとした関係があり、実の家族間では得られなかった関係性がそこにはあり、私の心の溝を埋めてくれたり補われることになりました。
現在は、高齢者介護だけでなく、難病や障がいを抱える方々の支援をしておりますが、そこでも同じく自然と「代替療法」となっている関係性がよくあります。
家族でも、こんな風に交流できたら良かったのになぁ~と思ったり、
先天性の難病疾患や二次障害や合併症の為、身体はほぼ自身では動かせないけど、身体がもっと自由に動かせていた時期は、障がいがあっても、旅行に行ったり、生涯スポーツをしたり、色んな仕事をしてきたよ。
とお話を伺ったりするとすごいなぁと感心することが沢山あります。
そんな時にも、あっ息子と同じスポーツをしてたんだ、身長も体重も子供と同じくらいで、子供が自立し徐々に親離れしていき寂しかった時期も、自然と「介護の仕事」が「代替療法」となっていました。
もし自分がこの先、病気や老化など様々な理由で、介護を受けなければならなくなったとしても、頑張って生きていかなければなぁと、少しずつ思えるようになりました。
どちらかの立場が上という訳ではなく、真の思いやりの気持ちで、真の自分の姿で支援関係が成り立っている時が一番良い関係性であると思います。
去年ようやく介護支援専門員の試験に受かり、もうすぐ実務研修が終わります。
この過程も、自身の生涯過程を振り返ったり、自身の生活課題(目標や生きがい)を見直したり、適応課題を見つける機会となりましたが、なかなか大変な過程であります。
これを機に、法令遵守や組織運営に関しては、組織の代表の方々に担って頂けるので、事業所間やクライアントとアテンダント間、また家族間での公正中立の確保、各サービス項目の資質向上や細かな留意点を改善してゆけるようスタッフ間で協力していきたいと思います。
また、スタッフ一人一人が、現場に入る時にはサービスをお届けするという意識をもつということ。
生活支援・身体介助・医療的ケアの一つ一つがサービスであり、コミュニケーションもサービスの1つであり、一つ一つの技術を磨いてゆく努力を継続して行きたいと思います。