石橋和美さん(美宙さんのお母様)インタビュー「医療的ケア児の生活のリアル~生まれてから、これまで~」
インタビューの後半では、美宙さんのお母さまである石橋和美さんに、医療的ケア児の親としてご経験されてきたこと、和美さんの現在の生活や医療的ケア児をとりまく環境についてお聞きします。
和美さんは元看護師。2009年に美宙さんを出産します。
美宙さんは622gという超低出生体重児で生まれ、半年ほどNICU等に入院していました。
その後、2歳になる前に、脳性麻痺の診断を受けます。まずは、現在の支援環境からお聞きしました。
美宙さんの現在の支援環境
*医療的ケア児専用車両とは…
「東京都では『医療的ケア児専用車両』というスクールバスが走っていて、都が福祉タクシーを借り上げて各校に配置をしてくださって、看護師さんも同乗する形で学校に通えるようになったんです。
それまでスクールバスを利用できるのは胃ろうの子に限られていて、吸引がある子は親が毎日、送迎をする必要があったんですが、平成30年から気管切開や人工呼吸器をつけていても乗れるようになりました。
都からは、『同乗する訪問看護師も、在宅看護にもしっかり入って子どもの観察をして欲しい』という通達があり、契約をしています。月に一回来ていただいて、立位台に乗る時に一緒に介助してもらっています」
お休みのすごしかた
▸週末の過ごし方
美宙は、そんなに出かけるのが好きでもなく、どっちかというとインドア派です。
家でゲームをしていたいタイプなので、「毎週末、出かける」となると怒ります(笑)。
土日は、できるだけゆっくり過ごしています。
本人は操作はできないんですが、Nintendo switchのYOU TUBEのゲーム実況動画を見て「こういうゲームが欲しい」と言ったり、美宙が「あの技を出して、この技を出して」と指示を出して、親の私たちがリモコンを操作して、ゲームを一緒に見ている――といった感じで過ごしていることが多いです。
ゲームは、今は「ポケモン」とか「ピクミン」とか、いろいろやっています。
―外出はどんなところに行っていますか?
公園に行ったり、あとは買い物をしにショッピングモールに行ったり。
飲食店にもよく出かけています。
美宙はポケモンが大好きなのでポケモンセンターにも行ってます。
それから、年に一回キャンプに行って、バーベキューしたり。
普通にテントを張って泊まってるんですよ(笑)。
キャンプ場のトイレや設備も全部調べて、「段差があります」と言われたら、主人と2人で持ち上げて。
広いトイレがあれば、2人いれば主人が担ぎ上げて私が下ろして――ということができるので。
テントスペースはなるべくトイレに近いところを選んで、楽しんでいます。
*他にも…
「身体が小さいうちは海水浴、潮干狩り、登山、BBQ、牧場、ディズニーランド、USJ、富士急ハイランド、サンリオピューロランド、温泉など色々な場所へ行きました。
気管切開があり、身体が大きくなったので最近は入浴が難しく、旅行先では大浴場にも連れて行けない……かといって狭い居室のお風呂も使えない。
トイレも同様です。
脱衣所やお風呂場で寝かせるバスマットやシャワーチェアが置いてあるホテルがあると嬉しいですね」
「優先エレベーターは、商業施設では最近増えてきたんですが、たまに、ずーっと乗れないことがあります。
もう少し周知してもらえるといいです」
▸地域での関わり
うちは兄弟もいないので、兄弟の学校や保護者や地域の関わりが広い方ではないんです。
療育から一緒だったお子さんとたまに一緒に遊んだり、障害児のイベントに時々参加するようなこともあって、音楽フェスやスポーツフェス、プールをスケート場にした車椅子スケートに参加することもあります。
近所の保育園に行っていた頃は、なんだかんだ一緒に喋ったり、おもちゃでちょっと遊んだり、公園を車椅子で押してくれる子もいたり、小さい頃は良かったんですよね。
でも年齢が上がるにつれて、ついていけないというか……そういうところはありますね。
―外出先での不便さはありますか?
ユニバーサルシートがまだまだ普及していないことですね。
イオン等の大きな商業施設では『誰でもトイレ』といわれるトイレに、引き出し式のユニバーサルシートがついているんですが、『障害者用トイレ』と言っても、ただ場所が広いだけで(シートが)ないところも多いです。
赤ちゃん用のオムツ交換ベッドだと体が大きくなった子どもたちは全く乗れません。
美宙はトイレに座れるんですが、自分で立つことはできないので、一度シートに移動して、衣類の着脱をしてから便座まで私が移すんです。
中学1年生くらいまでは私が娘を車椅子から肩に抱えて、着脱をして、トイレの後はまた肩に抱えて、車椅子に乗せていたんですが、今は体が大きくなり、体重も30kgを超えて、私が腰を壊してしまい、できなくなってしまって。
毎回、外出先にユニバーサルシートがあるか調べてから行かないといけないところには不便さを感じていますね。
あと、ユニバーサルシートがあったとしても、トイレスペース自体が狭くて、ユニバーサルシートからトイレに移るという想定がされていないトイレもあります。
娘を抱えたまま車椅子を飛び越える――となると、とても体に負担がかかります。
もうちょっと使いやすいトイレが増えてくれるといいなと思いますね。
*他にも…
「車椅子で入りやすい飲食店が増えたらいいなと思います。
比較的色々なお店には行っていますが、テーブルに足が当たる(下に入らない)、通路が狭い、車椅子のせいで配膳ロボットが停止することがありました。
他にも、吸引が頻繁だった時はまわりにも気を遣うので、家族個室があったら助かりましたし、ペースト食に対応してくれるお店が増えたら嬉しいですね」
美宙さんが生まれたときのこと
▸美宙さんを出産したとき
実は私は出産が2回目なんです。1人目は、美宙が生まれる2年前に、同じ病院で26週3日の228gで生まれたんですが、残念ながら2週間後に亡くなってしまいました。
その後、美宙も622gの超低出生体重児として生まれ、状況は同じだったので、率直なところ、「またなんだ」とは思いました。
ただ、低体重はもちろんですが、子どもの生育にとって一番大事なのは「お腹の中にどれだけいられるか」なんです。
お腹の中にいる時間が長いほど、体の機能が育つので、「一日でも長くお腹の中にいてほしい」という思いだったんですが、美宙の状態があまり良くなく――。
主治医からは「休日にお医者さんが少ない状況で緊急オペになるよりは、お医者さんが揃っている状況で出産した方がいい」という説明を受けたんですが、私も1人目のことがあったのでその場で同意書には同意しませんでした(笑)。
「ひとまず、主人と相談させてください」と伝えたんですが、その時に限って主人と連絡が取れなくて。
その間に主治医の先生も困ってしまって、義理の母に連絡して手術の同意を取って戻ってきました。
そうなったらもう仕方ないので(笑)、“まな板の上の鯉”――じゃないですけれど、覚悟を決めて手術し、出産しました。
妊娠23週と1日という早産だったので、美宙は生まれた時、目も開いてなかったんです。
「猫の赤ちゃんは産まれて数日してから目が開くって聞くけど、人間の赤ちゃんも同じなんだな」と思ったのを覚えています。
―生まれてすぐの美宙さんはどんな様子でしたか?
お医者さんからも「無事に育つかどうかは五分五分です」と言われて、生まれてすぐに人工呼吸器をつけて、チューブをいっぱいつけて保育器の中に入っていました。
生まれてすぐに左の肺が気胸(肺に穴が開いてしまい、萎んでしまう状態)をおこし、右肺も気胸を起こしてしまったんです。
私はもともと看護師だったので大人の同じ状況はよく見ていました。
娘の場合は、チューブは赤ちゃん用の細いものなのに、ついてる機械そのものは大人と大きさが同じだったので、「うわっ!」と驚いた覚えがあります。
そんな状況で生後一ヶ月近く経って動脈管開存症(*)になりました。
手術が必要だったけれど、「手術中は横向きになるので下方の肺が使えない。でも上方の肺は気胸を長く起こしていたので、手術中にまた気胸を起こしたら助からない」という説明を受けて、「ええー!」と思ったんですが、無事に手術は成功しまして、そこからはみるみるよくなっていきました。
障害という形では残りましたが、まぁとにかく「生きててくれてよかった」という思いが強いです。
IMARUさんの名前のように「生きてるだけで丸儲け」と思っています。
*動脈管開存症とは…
体内で母親の胎盤から直接、酸素や栄養をもらう動脈が、生まれても閉じずに開いている状況
▸「美宙」さんの名前にこめた思い
字から決まったわけではなくて、とにかく「字画がいいものをつけてあげたい」と思ったことと、響きからいろいろ調べました。それで、「みそらっていう響きがいいね」と主人と話をして。
字画を調べた時に、「人に優しくて、心の美しい人になってほしいな」という思いと、美空ひばりさんの空には“から”っていう意味もあると載っていたので、「空っぽは嫌だなぁ」と。
宇宙のように無限大に可能性がある“宙”という漢字で、「そら」と読むのであれば、「美宙っていいんじゃないか」と思ってこの名前にしました。
医療的ケア児の親として
―医療的ケア児の親として、これまでで負担が大きかった時期はいつですか?
3歳の時に、気道が狭くなっているところに絡んだ痰が詰まって、夜中に心肺停止するという大きな事故があったんですが、心肺蘇生で戻ってこられて後遺症も残らずに来ているので、そこの問題よりは……「一番、私自身の負担が大きかったな」と思うのは美宙が小学校1年生から小学校5年生ぐらいの時です。
気管切開をしてから小学校に上がるまではスピーチバルブという声を出す道具をつけていて、吸引も一日3回ほどと回数が少なかったんですね。
でも小1の頃、牛乳が好きで、お茶代わりに飲んでいたら、飲み過ぎちゃったようでアレルギー症状が出て、肩で呼吸したり、蕁麻疹が出たりが続きました。
最初は原因がわからず、何度か症状を繰り返して、その後から気道の通りが悪くなって食事中に酸素飽和度が下がるようになってしまったんです。
そこからスピーチバルブではなく人工鼻を使用することになったんですが、人工鼻を使用してご飯を食べると、水分や食べ物が気管に流れやすくなってしまって。
本人は咳で戻せる体力はあったので、誤嚥性肺炎こそ起こさないんですが、とにかく痰の量が増えて、吸引回数が1日30~50回と増えました。
食事も、形のあるものが食べられていたのがペースト食に落ち、ペースト食を作り、毎日毎日、ご飯を食べさせながら何十回と吸引する時期があって。
食事は1か月くらいで元に戻せましたが、吸引が多いのは5年ほど続きました。
―当時〜今も、和美さんは睡眠を取れていますか?
美宙自身は夜、ずっと寝ないというタイプではないんですが、その時も、今も夜中に「喉が渇いた」と言って飲み物を飲んだり、寝返りは自分で打てないので寝返りを打ったり……で起こされます。
今も私の睡眠時間は平均が4時間半〜5時間くらいなので、「眠いー」っていつも思ってますね(笑)。
「ケアを代わってほしい」「休みたい」「吸引を代わってほしい」という思いはやはりあります。
―他にも、「こんなサポートが欲しかった」ということはありましたか?
私の同居の父親が要介護状態になった時は、ダブル介護になり大変でした。
ショートステイは2か月前からの予約で緊急では入れないんです。
父が肺炎を起こして緊急で受診したい時に、車いす2台は福祉車両に乗らないし、車いす2台を同時に押せないし・・・。
状態が悪かったので救急搬送になりましたが、最初は途方にくれました。
緊急時に駆けつけて、家で美宙を看ていてくれる人が欲しかったですね。
美宙さんが楽しんで過ごせるもうひとつの場所
▸医療的ケア児のショートステイについて
医療的ケア児のショートステイって、数が絶対的に少ないんです。
あっても希望通りになかなか取れなかったり。
東京の国立成育医療研究センター(以下、成育)の中に『もみじの家』という医療的ケア専門のショートステイがあって、そこはボランティアさんがいたり、保育があったり、日中活動がとても充実してるんですが、そういうところってなかなかなくて。
ショートステイに預けると病院と同じように大体はベッドの上で過ごすか、車椅子に座って持ち込んだDVDを見るぐらいで、スタッフの方からも「DVDがなくなると退屈だろうから、そんなに長くはいられないかも」なんて言われちゃう。
その面で、『もみじの家』はとても過ごしやすいんですが、成育の受診にかかっている子はすぐショートステイに移行できるんですが、かかっていない子は初診が3年待ちでした。
利用したいと思ってもなかなかできない状況です。
本人は「入院もショートステイも嫌だ」と言ってるぐらいなので、私も「預けられればどこでもいい」というわけではなく、もし美宙がひとりで、ぼーっとして過ごすだけであれば、「預けたくないな」っていう気持ちの方が強くなってしまいます。
本人が楽しめて――もちろん、家にいるのが一番好きなので、どこも家よりは嫌になってしまうのかもしれませんが(笑)――“家と同じ”とは言わないまでも、「どうしても嫌、二度と行きたくない」って思わないくらいの環境が整ったショートステイがもっと増えてくれたらいいな、と思ってますね。
―ご家族以外の方がケアに入られる際、お母様や美宙さんに心配はありましたか?
美宙の場合は医療的ケアが必要なので、「医療的ケアに関する知識がしっかりあること」が大前提としてありました。
ヘルパーさんの場合は看護師がついているので、また話が別ですが、気管切開は呼吸と命に直結するものなので、結構トラブルが多いんです。
気管切開をしてからは、心肺停止を起こしたり、チューブが抜けてしまうことも多かったので、その点は丁寧にやってほしい――そこは譲れないところだと思っています。
本人は「ママにやってもらいたい」っていつも言ってます(笑)。
私自身は人に任せることに抵抗がある方ではないんですが、本人は今でも「ショートステイは絶対に行きたくない」って言いますし。
先日入院したときも、翌日、熱が下がったら勝手に先生と話して、「もう帰ります」と決めて、朝一で病院から「迎えにきてください」と電話がかかってくるなんてこともありました(笑)。
でも、本人は「家族以外の人にケアに入ってもらうことが嫌」なわけではないんです。
私も「どんどん慣れてってね」と言っていますが、「家族がいい」という思いは変わらずあるみたいですね。
看護師さんについては、私は元看護師、主人は現役の看護師ということもあって、「必要ないよね」という話をしています。
代わりに在宅レスパイト事業の方に来てもらってもいいのかな、とも思うんですが――結局、主人も私も、人が家に入るのがそんなに好きな方ではないので、今のところは利用していません。
―制度を利用する時、ハードルになったのはどんなところですか?
最初は私も、家族以外の人が家に入ることには若干、抵抗感があったんです。
私は片付けが上手じゃないので「部屋が汚いから、ちょっとなぁ……」と(笑)。
ただ、一回受け入れてしまえば慣れますし、「こんな感じなんだな」とはなります。
あとは、支援時間がしっかり決まっていると使いづらさを感じる時もあります。
自分たちでケアをする場合は、時間のやりくりができるんですが、サービスを依頼するとなると臨機応変にいかない部分もあるので……。
ただ、来ていただいた方がとても楽なので、そこを言ったらわがままというか、きりがないんですが。
「入浴介助を◯曜日に入れたいけど、往診と被っちゃうからずらさないと」「学校で過ごす時間はできるだけ確保したい」というやりくりが、今、ちょっとハードルですね。
―放課後等デイサービスに行きはじめた時、美宙さんはどんな様子でしたか?
放課後等デイサービス(以下、放デイ)は場所によってもカラーがすごく違うんです。
うちの子が行っているところは重度心身障害者対応で、医療的ケアはもちろん対応してくれる上に、専門家が多くて、日中活動がすごく充実してます。
壁画を作ったり、夏は大きいビニールプールで室内プールをやったり。
日替わりで計画を立てて、毎日毎日、違うことをやってくれるので、ものすごく安心して行かせてます。
当初は本人も「ええーっ」なんて言ってましたが、今は楽しんで行ってます。
ただ、家にいるのが基本好きなので、今も「しょうがない。じゃ、お仕事だから行くか」なんて言いながら行くんですけれど(笑)。
ただ、放デイのスタッフの方からは「大盛り上がりで喜んでましたよ」といつも言われるので、行ってしまえばきっと楽しいんですが、行くまでが億劫というところがあるんでしょうね。
これから
▸これからの社会に願うこと
基本は、「本人が楽しく生きられれば、それが一番いいな」と思っています。
卒業後については、うちの場合は身辺自立ができないことと、一人では通勤ができないので、就職や就労支援の事業所に行くのはちょっと難しいのかなと思っています。
多分、生活介護事業所に行くことになるんだろうと思うんですが、生活介護事業所でも、大好きなものづくりをしたり、絵を描いたり、とにかく「本人が楽しく過ごせる場所があって欲しいな」と思っています。
生活介護事業所は民間のところも増えてきているので、医療的ケアがあっても活動ができるところも多少あるんですが――小学校低学年の頃に、区立の生活介護事業所に見学に行ったことがあって、そこでは“活動をするグループ”と“医療的ケアがあるグループ”に完全に分かれていたんです。
部屋自体も分かれていて、活動内容も全く違いました。
美宙の場合は医療的ケアが必要だけれど、やりたいこともたくさんある。
――そうなった時に、“医療的ケアがある人のグループ”の活動内容が、美宙にとって楽しいか、と言ったら楽しめないんです。
「“活動をするグループ”に混ぜてもらうことはできないんですか?」と聞いたら、「看護師がいないのでダメです」というようなことを言われました。
将来的に親はどんどん年老いていくので、その子、その子に合わせた活動内容という面はきちんと見ていってほしいなと思ってます。
日中は、生活介護等の事業所等に通いつつ、自宅に帰ってきてからそばにいてくれる人がいるのであれば、自宅で過ごす、もしくはグループホームに入って一緒に過ごすという未来を予想したいなぁと思ってはいます。
でも、現実的にはグループホームはまだまだ少ないし、施設も足りていない。
在宅で、ご両親が超高齢で、ギリギリのところで介護しながら過ごしている人はとてもたくさんいるので――「障害児の成人後に過ごす環境の整備がどんどん進んでいってほしいな」というところと、「障害がある人もない人も一緒」ということが当たり前の社会になってほしいと思います。
▸“インクルーシブ教育”について
学校でも今、インクルーシブ教育って言われていますが、「じゃあ、普通学校に自分の子どもを通わせたいと思いますか?」と聞かれたら、私は絶対嫌なんですね。
復籍交流制度という制度があって、就学前から近隣の保育園に月に1回行って、一緒に遊ぶんです。
小学校に入ってからも、お便りを送り合う間接交流とか、直接学校に行く関わりはあるんですが、結局、行ったとしても、娘の存在はまだまだ“お客様”なんですよね。
小学校1年生からコロナが始まる4年生ぐらいまで通ったんですが、年に数回しか行かないので、エレベーターもなく、4階まで本人と車椅子を持ち上げていくところから始まり、娘のための先生がいるわけではないので、先生も授業をしながら私たちの対応もして。
「先生も負担なんだろうな」ととても感じました。
そういう環境にポンと飛び込んだところで、「自分の娘が学べるか?楽しく過ごせるか?」と言ったら、全くそんなことがなくて、やっぱりみんなが特別支援学校に行きたがるそれなりの理由があるんだと思うんです。
特別支援学校は本当に手厚く、支援する側の人数もしっかり揃っていますし、一人一人細かく見ていただいて、いろんなことをやっていただいているので。
「同じようにしてほしい」とは言わないにしても、ただそこで、ぼーっとわからないまま授業の時間を過ごすのは美宙にとって苦痛でしかないんですよね。
図工と音楽の時間に参加しましたが、とても楽しく過ごせた時もありましたが、親として思うところもすごくあって、本人もあくびばかりしていて(笑)。
あまり行きたくない感じになっちゃったので、途中から行くのをやめてしまいました。
最近の美宙さん、ご家族でのこと
―最近、楽しかった時間はどんなときですか?
私が思う“楽しい時間”と美宙が思う“楽しい時間”って合わないんです(笑)。
私はキャンプに行ってすごく楽しんでいるんですが、本人はそんなにいいとは思ってないみたいですね(笑)。
嫌ではないみたいですが、キャンプに何度も行きたいというよりは、「ポケモンセンターに行きたい」とか、そんな感じです。
―和美さんにとっての“幸せな時間”ってどんな時ですか?
そう考えたときに、「ああ、こうやって家族で一緒に家でゆっくりしたり、ゲームしたりもとても幸せだな」と思う時もあります。
でも一緒にお出かけしたり、遊びに行ったり、美味しいものを食べに行ったりしながら、子どもがとても喜んでいる姿を見ていると、やっぱり「いいなぁ」と思いますね。
―最近の美宙さんのエピソード
先日、家族で<ファッションセンター・しまむら>に買い物に行った時に、本人が欲しかったレースのカーディガンがあって、ジュニアコーナーでも探してみたんですが見つからなかったんです。
大人の服ではサイズが大きくて。
美宙は大人の洋服を一緒に見ていた時に、「いいな、いいな。私も(レースの)あんな服が欲しいな」って言ってたんですが、本人の洋服をたくさん買い物カゴに入れていたので、「こんなに買うんだから、今回は諦めてね」なんて言ってたんですよ。
私も「店員さんに聞いてみようね」なんて言いつつも、「あぁ、そうねー」なんてごまかしていたんですが(笑)。
その後、レジに並んでいる時に、セールコーナーが見えて、「見てくるからちょっと待ってて」と私が離れた時に、本人が「あのー、あのーー」って店員さんを呼んで(笑)。
「レースのこういう服が欲しい」って説明をしていたんです。
私が戻ったら、店員さんが探しに行ってくれて、美宙に合うサイズを出してきてくれたんですよ。
それでさすがに私も「買いません」と言えなかった……ということがありました(苦笑)。
最近は、本人がそんな“技”を使ったりして、地域の人に自分から声をかけてます。
「知らない人にも声をかけられるようになったんだなぁ」「これも一つの成長だな」と。
とはいえ、娘が買いたかった服を結局は全部買うことになったので、親としては「やられた!」と思いましたけどね(笑)。
マンションで会うお子さんや、エレベーターで一緒に乗った人には自分から「ありがとうございます」って言ったり、その時々なんですが、気分が乗ってる時は自分から「あのー、あのー」って声をかけたりはしてます。
ただ、言葉がちょっと不明瞭なので、初対面の人は聞き取りがうまくいかなかいこともあって通訳は必要なんですが。
あと、言わないで欲しいことを美宙が話してることもあるので、その時は私も聞かなかったことにしてます(笑)。
<ホームケア土屋関東・佐藤あい子さんからのメッセージ>
石橋美宙さんとの出会いが、医療ケア児を考えるきっかけになりました。
まだまだ手の届かない所にいらっしゃる、小さな声に耳を傾けていかなければいけないと思いました。
最近の石橋美宙さんは、身長がみるみる伸びていき、ビックリしました。
毎回の支援では、ポケモンのお話しや食べ物の話しなどで、時間を忘れるくらい盛り上がってます。
これからも成長を見守りながら、楽しく支援に入らせていただきたいと思ってます。
今後ともよろしくお願いします。
<医療的ケア児地域生活推進委員会委員長・澤田由香さんからのメッセージ>
とても素敵な美宙さんの笑顔などを垣間見る事ができました。
ありがとうございます。
お母様の大変な時期のお話を伺えて改めて、医療的ケア児を取り巻く環境や課題について、土屋グループにできることは多くあると思っており、今後も当委員会が医療的ケア児、そしてご家族の生活を社会全体で支える事ができるような取り組みを引き続きおこなっていきたいと思っております。
<インタビュー協力>
ホームケア土屋関東 コーディネーター・佐藤あい子