『母親たちの地域福祉』【前編】
わたしの
その人が子どもを育ててきた「母親」だからなのだろうか…。
これまで地域の福祉で活躍されてきた女性をお招きし、お話を伺う会を開催した。
二時間に及ぶその人の話の中には、幾人かの「母親」が登場した。
地域福祉の第一人者であるAさん。
知的障害のある子どもを持ちPTA会長をつとめたBさん。
同じく知的障害のある子どもの母親であり地域のボランティア運動の中心的役割を担うCさん。
知的障害のある子どもを普通の幼稚園に通わせ悪戦苦闘してきたDさんなどなど。
逆を言えば、その人のお話の中に「父親」の名前はまったく出てこなかったのである。
話の中に登場してきたのは、みんな「いい街をつくりたい」と頑張っている「母親」たちだった。
ここで冒頭の問にもう一度戻ろう。
その理由は、話をしてくれたその人本人が「母親」だからというだけのことなのだろうか?
◇
私が話を聞かせてもらった中で、心に浮かんだ問いはそれだった。
そこで私は彼女に一つ質問をした。
『「いい街をつくりたい」ということと「母親」であるということは関係していますか?』
「子どものためにいい街にしたい」という動機が活動家である母親たちの原初にはあるのではないか、と私はどこかで短絡的に考えていたのかもしれない。
その人から返ってきた答えは少し違った。
もちろん、子どものために安全な街にしたいという気持ちはあったと前置きしたうえで、子どもがいたからつながっていったとその人は言った。
自分が楽しみを求めたり、居場所を求めたりした結果だ…。
そんなニュアンスのことを話されたのであった。
予想していたものと少し違ったのでちょっぴり驚いたが、私はすぐに納得もした。
◇
話を聞きながら、私は自分がこれまで子育てしてきた中で感じてきたものをふりかえっていた。
三年間、娘を育てながら私が感じてきたのは、一言でいうと、やはり「子育てはたいへんだ」ということに尽きるのかもしれない。
(その一言のあとに「たいへんだけど楽しい」とか「たいへんだけど大切な時間だ」と続くのだけれど…。)
子どもを外に連れ出す場合、もちろん買い物や外食に遠出することもあるにせよ、それ以外の日常では近くの公園や、児童館、子育て施設に行くことが多い。
公園でゴミ拾いのボランティアを募集していれば娘と一緒に参加してみたり、近隣の児童館や自治会が運営する餅つきなどのイベントがあれば積極的に顔を出すこともあった。
それはなぜなのかというと、「公園をきれいにしよう」とか「地域のイベントを盛り上げよう」といった高邁なボランティア精神からの行動では、残念ながらない。
「街をよくしたい」というのは二の次だ。
そうではなく「子育てのたいへんさ」を少しでもやわらげたいという気持ちが自分の中にはある。
それが足を運ぶ理由である。
参加することでどうしてやわらぐのかというと、例え家族ではなくても、たくさんの人の中にいると子どもが向き合う人の数が増える。
そして、自分が向き合う人の数も増える。
自分と子どもの一対一の向き合いから、力を逃し、分散できるのである。
核家族化が進み切った現在では、子育ては親と子どもの一対一の関係で煮詰まってしまいがちである。
それによって母親、あるいは父親など、誰か一人へ非常に重い負荷がかかることになる。
多くの人の目や手がある中で育てるということは、それだけ一人の負荷が少なくなり、ほんのひとときかもしれないが楽になるのである。
私は地域の活動に参加していく中で、子育ての緊張感を緩めて束の間ほっとできるのを自分の実感として肌身に感じてきた。
そしてさらに、その「ほっと」できる「楽さ」は「楽しさ」に変化することも知っている。
子どもの名前を憶えてもらい、自分の存在も知ってもらえるようになるとだんだんと活動を楽しむこともできたり、そこにいる人に話しかけられるのが「楽しい」と感じたりする場面もある。
来るのを待っていてもらえると、そこに確かに自分の「居場所」ができたような気持にもなるのであった。
子どもが一緒だと、これまで楽しみにしてきた外食も行ける場所が限られたり、泣いたり声を出すから観劇にはいけないし、ライブもいけないし…、居酒屋もね…、キャンプだって結構ハードル高いものだと気付く。
どちらかというと自分は子どもを引き連れまわしてがんがん行くタイプだとは思うけど、それでも限定的にならざるを得ない。
子育てに加えて仕事と、介護を同時にしていると時間的な余裕もない。
場所も時間も限られてしまう。
そんなときに子どもを連れていける「楽しい」場所が近くにあると本当に助かる。
日頃のストレスの発散の場にもなるのである。
すごい救われるという表現は決して大げさなものではない。追い詰められた中で、地域のお祭りにどれだけ救われたことか。
もちろん面倒くさいことが増えるということも知っている。
人と関わるスキルというのか、距離感への意識というのか、ほどほどさをわきまえる力は必須だとは思うが。
後編につづく
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