変容を味わって~成果を得るために~/ 伊藤一孝

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変容を味わって~成果を得るために~
伊藤一孝(アクティブプレイス土屋 三重)

■「触媒」「変容」「成果」の相関

私には、「ささやかな楽しみ」がある。

とはいえ、一般的に「ささやかな楽しみ」という言葉から想起される「酒」とはどうにも縁がない。

生来、アルコールが私の体には合わないようだ。

酒をあおり、大声でくだを巻き、道端にひっくり返って、中島みゆきの古いうたのように「狼になりたい」と叫びたくなる衝動にかられることもあるが、残念なことに私は、そんな楽しみを享受できるだけの勇気も体質も持ち合わせてはいない。

その分、仕事が一段落したあと、深煎り豆でコーヒーを淹れカフェオレを用意する。

気分を見極めながら音楽のプレイリストをつくってみる。

あるいは、積み上げたかたまりから本を選ぶ。

映画を探してみる。テレビを観る。ラジオを聴く。煙草に火をつける……。

己の姿を客観視してしまうと、還暦手前の孤独なジジイの寂しい後姿を見せつけられているようで、いささか恥ずかしくもあるが。

と、上記は、あくまでも私の日常のよくあるヒトコマである。

だが、どのような人にだって日常の「ささやかな楽しみ」はある。

「人と話をする」「子供と遊ぶ」「ペットと触れ合う」「酒を飲む」「食べたいものを食べる」「スポーツで汗を流す」「ゲームに没頭する」

……何だっていいのだ。犯罪に加担するものでさえなければ。

「ワーク・ライフバランス」といった大げさな言葉を持ち出すまでもなく、人は日々、体感的に社会とのオンとオフをうまく切り替えている。

ここが正しく機能していないと、いずれは心身に悪影響を及ぼすことも知っている。

機能不全に陥れば、何らかの形で仕事にも反映されてしまう。

多くの人は仕事とともに生きている。そして、仕事終わりの「ささやかな楽しみ」を通じて「リフレッシュ」をする。

では、「ささやかな楽しみ」は、私たちの日常生活にとって、いったいどんな「意味」があるのだろうか。

「ささやかな楽しみ」。それは私たちに「化学変化」をもたらす「触媒」だ。

人は、「ささやかな楽しみ」という「触媒」を得て「リフレッシュ」をする。

仕事の疲れが癒され「気分が変わる」「元気になる」。

このことを「変容」と呼ぶ。

「変容」を広辞苑であたると「姿や形が変わること」とある。

また、慣用的に「意識」や「行動」もそれに含まれる。

つまり「変容」とは、それまでの自分から、心身ともに「もっと良く」なることだ。

「さっきまでとは違う自分」「昨日よりもバージョンアップした自分」になる。

これが「変容」の肝であり、私たちが日々「ささやかな楽しみ」を通じて「リフレッシュ」をする「意味」だ。

そして、このことこそが、人々が日常生活の中で無意識に積み上げている「成果」である。

「成果」は「結果」とは違い、最終的に「良い結末」となったことを指す。

「良い結果」「悪い結果」とは言うが、「良い成果」「悪い成果」とは言わない。

前日に酒を飲みすぎ、翌朝は二日酔いでフラフラ。仕事も手につかず…。

私は下戸なので、そこまでの経験はないが、ヨノナカにはよくある話。

これは、残念ながら「変容」の「悪い結果」と呼ぶしかない。

「リフレッシュ」という「化学反応」がうまくいかなかったということだ。

そしてこれは、決して「成果」ではない。

構造を整理すると、こういうことだ。

「ささやかな楽しみ」が「リフレッシュ」のための「触媒」となり、「化学反応」が起きる。

「変容」がもたらされる。

そして、そのことを通じて「新しい自分」という「成果」を味わうことができるというわけだ。

それだけに「触媒」とは、うまく付き合っていきたい。

人は、それぞれに「自分に合った」、あるいは「良い刺激になる」と感じる心地よい「触媒」を生活の中で選び取っている。

身体を動かすことが好きではない人にとって、バッティングセンターは、心躍る対象ではないだろう。

動物を苦手とする人が「猫カフェ」に行っても苦行なだけだ。

私の場合、冒頭に記したとおり、音楽、書物、映画、テレビ等で展開される「表現」で心を揺さぶられることが、「変容」のための何よりの「触媒」となる。

このことが、私の日常では、「翌日の成果を出すため」の「定番」である。

誰しもが心あたりのあることと思うが、心身ともに疲れ果て、「もうダメ、今日はとにかく寝てしまおう。

……明日はきっと天才だ!」と開き直る夜も、実は少なくないが。

「触媒」「変容」「成果」。

この関係性について、きわめて理屈っぽく長々と説いてきたが、これらは人々の日常生活だけではなく、ビジネスの世界においてもまったく同様の構造を示している。

ビジネスでの「触媒」とは、例えば、こういうものだ。

真っ先に思い浮かぶものは、ドラッカーやポーターをはじめとした経営学レジェンド、あるいはアドラーなどの心理学レジェンドの著作であろう。

こうした人たちの考え方に精通している人が、社内にどれだけいるのかはわからない。

だが、どこかで名前くらい聞いたことはあるはずだ。

10年ほど前になるが「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が話題になったこともある。

こうしたレジェンドの著作物や関連書籍も「触媒」の一つといえる。

日本人であれば松下幸之助、稲盛和夫、本田宗一郎といった諸氏がレジェンドとして浮かぶ。

彼らは学者ではないが、経営者としての経験知や経営への想いを著作で体系化している。

あまたある書籍、ビジネス誌、経済紙・誌、セミナー…、経営や事業運営では、こうしたものの全てが「触媒」となり得る。

もちろん新聞や文芸作品など、直接ビジネスとは関係のない情報が、新しい気づきへとつながることもある。

古今東西の経営学、心理学レジェンドの著作で披露されていること、あるいは世にあふれるビジネス書の全てには、共通した通奏低音がある。

それは企業や組織、そこに集う人が「成果」をあげていくために、どのように「変容」していくかということだ。

あらゆる「経営指南書」は、「成果をあげるための変容」について、複合的な視点から論が展開されている。

この構造を理解しておくと、実際にレジェンドの著作やビジネス書を読み解くうえで理解が深まる。

インターネットの普及による出版不況が叫ばれて久しいが、それでも日本では1年に7万点もの書籍が出版されている。

そのうちビジネス書がどれくらいの比重を占めているのか。

確たるデータはないが、10%と見積もっても7000点だ。

仮に7000点のビジネス書があったとしよう。

論点の違いはあるにせよ、それらの全ては、企業、組織、人の「成果をあげるための変容」について論が展開されている。

「変容など、もってのほか」「現状維持こそが経営の要諦」を論の基軸とする書物は、一冊たりとも存在しない。

誤解なきよう補足を加えるが、「現状維持=悪」では断じてない。

その時々のタイミング、市場環境、中長期戦略の中で、経営や事業運営はクルマの運転と同じで「ゴー」「ストップ」「バック」を適切に判断しなければならないからだ。

「勇気ある撤退」もまた、「成果をあげるための変容」のバリエーションであるといえる。

プロフィール
伊藤一孝 アクティブプレイス土屋 三重

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