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『よりエッセンシャルな方向へ~ひとまずAI(人工知能)の話をしよう4~』 / わたしの

『よりエッセンシャルな方向へ~ひとまずAI(人工知能)の話をしよう4~』
わたしの

土橋:前回の最後の部分で子どもたちが学校の宿題をAIにやらせる時代が来ているという話になりました(もし前回を読んでいなければ是非お読みください!)。例えば読書感想文をAIが書く時代なんだ、と。偉人伝などのタイトルを伝えて、小学校3年生が書くくらいの文章力で、4000文字で書いてと入力すればAIはものの数秒で書いてきますし、3パターン書いてと言えば書いてくれます。学校の宿題を子どものかわりにAIが行うということについて、どう考えていけばいいでしょうか?

守本:むしろ子どもの方が賢くそこを立ち振る舞うと言いますか、AIを上手に使っていき、こちらは見破れないとは思います。もしかしたら打算的にやった子の方が実は社会でうまく生き残るってことはあるのかもしれないですよね。

土橋:そうすると、宿題を受け取った側の、大人の側の「あり方」が問われるというか、変わる気がするんですよね。「あれ?この子AIを使ってきているだろうな?」と気付いて、さてどうするのか?AIを使ったからどうなんだということが問われると思うんですよね。

守本:そこを一番考えなければいけないですよね、教育現場としては。

土橋:どういうマインドを持っている必要があるでしょうかね。子どものために。

守本:色々な考えはあるでしょうけれど、ひとつはそもそも宿題をAIなんかで片付くようなものにしないってことですよね。

土橋:なるほど、それは面白いですね。

守本:自分で体験してきなさい。とか。

土橋:生々しいものになるわけですね。

守本:そうです。例えば自分のおじいちゃんに話を聞いてきなさい、とか。ネットに転がっていない生の人間の声を聞くってことです。

土橋:う?!それって、本来教育が目指したいことであり、現在の教育に欠けている部分ですよね。そこに戻っていくっていうのか、進んでいくってことですね。

守本:ググってすむことをやっているのがまずおかしいっていう考え方もあります。電卓で解ける計算ドリルをしているのと同じですけど。

土橋:あれ?この話にどこか希望を感じているのは私だけでしょうか?

守本:希望はあるんですよ。

土橋:先日、ある福祉施設が作っているDVDを見たんです。そのDVDはある知的障害のある方の生活をストーリー仕立てで20分間の動画にしているとても面白いものだったんですけど、その中である利用者さんのヘルパーさんが登場して語る場面があったんです。ヘルパーさんは年配の女性の方なんですけどね。言葉もなく、体も表情も動かない利用者さんが姪っ子さんとは目で語り合っているって、そのヘルパーさんは東北のなまりで、少しはすっぱな口調で言うんです。それを聞いたときに、根拠はないし証明はできないけどこの人が言うんだからあるだろうなっていう妙な説得力があったんですね。その人の言葉を文章で書いてしまったら平面的なつまらないものになってしまうとは思うんですけど、実際に話す場面を見ることでその人のなまり、話す速度、トーン、言葉のチョイス、仕草それらがすごく魅力的だったんです。それを感じることができるのはやはり話している姿を見ることができたからなんだと思ったんです。
先ほどの宿題の話に戻りますと、やはりそのような生の体験がより重要視されるということになってくればこれはひとつの希望だと私は思うんです。よりエッセンシャルなものが重要視されるということですから。

守本:なるほど。

土橋:実感とか、体験とかね。これはとても重要な局面ですよ。

守本:そうだと思うんです。みんな同じ格好して、同じ仕事してというのがおかしかったことをAIが暴くというのか、その人にしかできないことに価値が向くのではないかと思うんですよね。もちろんそれで経済を回す方法は設計しないといけないとは思うのですが。コロナが無駄な出勤とか出社を気付かせてくれたように、AIがそこを教えてくれるということはあるかもしれません。

土橋:そこの無駄か、無駄ではないか、の線引きって難しくないですか?『わたしの』では「遠回り」「無駄」に価値を置いていますし、ここはとても大事な部分だと思うのでもう少し深く聞きたいのですが。

守本:アイデアを考えている時間って無駄だなって思っている面もあって、ここは多くの人に反対されるかもしれないですけど、みんなで部屋に集まって「ブレーンストーミングだ!」って言ってお菓子食べながら2時間くらいやってポストイットが100枚くらい並んで、「いや~仕事したな~」みたいな…でももしかしてそれってAIに聞いたら10秒で100案は出るかもしれない。それをたたき台にして少し話をすれば多分「もの」としてはいいものがきっとできるんです。

土橋:はい。

守本:ただ、そこで悩むのはそれをやっていると例えばメンバー同士の関係性やチーム力は育たなくなると思うんです。アイデアという名の成果と、チーム力が向上するという成果を分けなくてはいけないんです。

土橋:その通りですね。

守本:ブレストがいいかどうかは分かりませんが、チームで集まってみんなで同じことに取り組んでいる中でAさんはこういうアイデアを出すんだなとか、Bさんてこういうことを考えているんだとかお互いを知った後で作業に入るのと、AIを使ったりオンライン会議で一回会っただけの人と作業に入るのとではきっと質が変わってくるだろうなと思います。だからそこはすごく丁寧に設計をしないといけなくて、それも含めてディレクション力ですよね。AIをどこでどう使うか、それで欠けたものをどう補うか、理論上では仕事が浮くんですけどね、完全に人間の仕事がなくなるわけではないですよね。

―次回へつづく―

プロフィール
わたしの

1979年、山梨県生まれ。

バンド「わたしの」

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「わたしの」のコラム

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