HOME CARE TSUCHIYA

緑か青か、はたまた赤か。 / 鶴﨑彩乃

緑か青か、はたまた赤か。
鶴﨑彩乃

私は、平成1桁台の生まれである。

私が4〜5歳の頃、携帯型のゲーム機が発売され、それと同じタイミングで今も続く超人気シリーズソフトの第一弾がお目見えとなった。

なぜ買ってくれることになったか覚えてはいないのだが、母が件のゲーム機とソフトをセットで買ってくれることになった。

恐らく理由は「ゲームをするときに両手を使うから、訓練の一環になるのでは。」ということだったような気がする。

しかし、そんな母の作戦など微塵も感じなかった幼い私はテンションMAXでゲーム屋さんに向かうのだった。

不確かな記憶だし、「思い出補正」的なところも多分にあると思うが…意気揚々と入った店内はすごくキラキラして眩しかった気がする。

さて、家に帰ってバクバクする心臓の音を少し落ち着かせ、ゲーム機を袋から取り出して、箱をぐちゃぐちゃに開ける。

後で分かるんですよ。

箱を置いておくと、ゲーム機やソフトが高く売れるなんてことはね…これを忘れて、ゲーム屋さんで安くソフトを買い叩かれて何度頭を抱えたことか…。

なんてね。そして、緊張しながらゲーム機にソフトを挿して電源を入れた。

「ボォォン」という音がして画面が立ち上がる。

その瞬間、なんとも言えない高揚感に心が満たされた。

そこから、近所の友達やら、ゲームの上手いお兄ちゃん達と「あいつはここで捕まえる。」とか「ボスを倒すにはあのタイプが必要で、あーやって倒せ。」とか、毎日ギャーギャ言いながら、過ごしていた。

そんなとき、私はとあることに気づく。

ゲームの中では、「特別ルール」が存在しないのだ。

特別ルールって何?と思っているみなさんにその一例を挙げよう。

私と友達がドッジボールをする場合、私がボールを手にしたら相手チームは全員その場で停止するといったものだ。

それは言ってしまえば、「優しさのかたまり」なのだが、適用される当事者としてはありがたいやら、申し訳ないやら複雑な気持ちだった。

だからこそ、みんなと同じフィールドで戦えたり、楽しめることがすごくうれしかった。

そして、いつしかゲームは私の趣味の1つになった。

といっても中学生のときに一旦離脱して、最近復帰したため、画面の綺麗さやスムーズな動きに驚愕した。

交換・対戦の際はゲーム機を有線で繋いでいたのがすごく過去のことのようで、ひどく懐かしい。

しかし、そんなとこ今の学生さんに見られたら、鼻で笑われるんだろうなぁと予想する。月日って怖い。

月日が進んだからインターネットやゲームが進歩したという側面は確かに存在すると思う。

そして、バーチャル空間の方がバリアフリーやノーマライゼーションが進みやすいと感じる。

また、それぞれの得手不得手に合わせて使用できる周辺機器がもっと増えることが、本当の意味でのバーチャル空間のノーマライゼーションにつながるのかなと感じる。

視線や聞き手など、それぞれの「武器」を最大限に使って正々堂々、フェアに楽しめたら障害者と健常者の壁なんてワンクリックで超えられると私は思うのだ。

だって、友達とポテチ食いながら、わーきゃーするゲームっておもしろいのはもちろんだけど、ちょっと時間経って振り返ったら、なかなか尊い思い出に進化してたりするのは割と不思議。

さて、皆さん。次の御三家どれにするか決まってる?

私は、まだ決めかねてる。

プロフィール
鶴﨑 彩乃(つるさき あやの)

1991年7月28日生まれ

脳性麻痺のため、幼少期から電動車いすで生活しており、神戸学院大学総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科を卒業しています。

社会福祉士・精神保健福祉士の資格を持っています。

大学を卒業してから現在まで、ひとり暮らしを継続中です。

趣味は、日本史(戦国~明治初期)・漫画・アニメ。結構なガチオタです。

050-3733-3443