『つながりを実感できる仕事』【前編】
わたしの
土橋:今日は栗橋水江さんをお招きして、お話を伺っていこうと思います。
水江さん、どうぞよろしくお願いします。
さっそくですが、現在どのようなお仕事をされているんですか?
水江:利用者のお宅に行って、その人が求めるものはそれぞれ違うでしょ、だからそれぞれの家庭によって仕事内容も違うんですけど…。
土橋:例えば、どういう内容なんですか?
水江:その地域は特に高齢者が多い地域ですので、高齢者の買い物の同行や代行。
買い物はだいたい一時間で終わらせるんですけど、あとはお掃除をしたり、食事介助をしたり、デイサービスに行くための送り出しをしたりしてますね。あとは入浴の介助もします。
視覚障害のある方の買い物の手伝いもしています。一時間半と一時間の週二回やっています。
いずれも朝の時間帯ですね。
買い物ではあるんですが、その方にとっては大切な朝のお散歩の時間にもなっているようなんです。
本当に一人ひとりによって仕事内容も違います。
人の数だけ仕事も違うし、その日の状況によっても変化していくんで、同じことを繰り返すということはないですね。
土橋:何歳からその仕事をはじめたんですか?
水江:58歳です。
土橋:その仕事をはじめたきっかけを教えてくれますか?
水江:それはもう本当に単純なことで、今までやっていた「印鑑を彫る内職」が終わっちゃったんです。
依頼数が減ってきて、このまま続けてもなと思っていて、一緒にやっていた仲間もやめることになったので、それを機にやめました。
ちょうど同居していた義理の母が亡くなって、仕事はないし、介護はないし、家で何もやることがなくてずっといるようになったんです。
何かしなくちゃなとは思っていたんですが、全然何をやればいいのか、何をやりたいのか思いつかなかったんです。
そんなとき、友人が「ホームヘルパーの2級を受けてみない?」って誘ってくれました。
土橋:現在の「介護職員初任者研修」ですね。
水江:そうです。当時、隣の市のシルバー人材センターで無料で講座が受けられたんです。
それを利用して一カ月通って資格を取りました。資格を取ったら、せっかくだからそれを生かしてどこか就職してみたらどうですかと後押しされました。
郊外にある大きな結婚式場でいくつかの事業所合同の説明会があって、そこに市で運営している事業所がブースを出していたので話だけ聞いて帰ってきました。
その日はそれで終わりだったんですけど、年明けに電話がかかってきて、働いてみませんかと言われました。
どうしようか迷ったんですけど、とりあえずもう一度話だけ聞きに行こうと思ったらそのまま流れで働くことに決まっちゃいました。
土橋:最初働いたときの印象はどうだったんですか?
水江:自分の仕事が精一杯で、あんまり人を見ていなかったです。何がなんだか分からないうちに一時間が経ったという感じでした。
土橋:最初はどんなお仕事だったんですか?
水江:仕事内容の詳細は守秘義務があるので言えないのですが…とにかく怒鳴られっぱなしでした。
土橋:怒鳴られた?
水江:そうです。ずっと怒鳴りっぱなしの方でしたので、ヘルパーさんの入り手がいないので、それで新人の私が行かされたというのがどうやら真相だったらしいんです。
土橋:それは…ひどいですね。
水江:その事業所は特殊でした。他のところははじめから一人で行かせたりしないので安心してくださいね。
事業所が特殊というか、上司が特殊だったんです。
何にも知らない人の方が「できる」って言われたんですけど、全然そんなことはなかった。
土橋:そうですよね。
水江:もうすぐにやめようと思ったんです。
土橋:でも踏みとどまったのはなぜですか?
水江:一緒にヘルパーで働いていた仲間が、その件で事業所の、市から来ていた何も分かっていないような課長と大喧嘩になったんです。
それに巻き込まれて、私ももうやってられないなと思いました。
そしたらその人が「ご飯でも食べに行こうよ!」って誘ってくれて、二人でファミリーレストランに行ったんです。
そこで愚痴をとにかく言いまくって、ガーガー言い合っていたら、不思議と気持ちが晴れちゃいました。
その人とは今でも一緒に働いていて、コロナの状況が落ち着いたらまたご飯食べに行こうと話しています。
そのすぐあとに上司が変わりました。新しい課長がやってきたんです。
そしたら風通しがよくなりました。
土橋:どういうことですか?
水江:前の課長はうまくいかない私に「もう少しやりようがある」とか「何ができないでいるの?」とか責めるように言うだけで、助けてくれない感じがしていました。話を聞いてくれないような…。
土橋:最初から新人を送り込むような状態ですものね。
水江:ヘルパーの味方になってくれないと感じました。
新しい課長は話を聞いてくれる人でしたし、何かトラブルがあると前に出て解決しようとしてくれました。
それでヘルパーたちが安心したんですかね。
ほっとした雰囲気が感じられて、それで風通しがよくなったとみんな思ったのかもしれません。
土橋:続けていくうちにやりがいは感じたんですか?
水江:怒鳴る人もいましたけど、他にはそれはそれはたくさんのいい人に巡り合えました。
長く通っていると自分の心の中を話してくれるようになった人もいます。
土橋:最初は話してくれないけれど…。
水江:そう。最初は話してくれなくて、二時間黙ったままでしたけれど、ぽつりぽつりと心を見せてくれたり、本音を言ってくれるようになるんです。
そうすると自分の姉妹じゃないけれど、援助してあげているとかではなくて、同じような気持ちに寄り添えるってこういうことを言うのかなって思えたんです。
お互いに意思疎通ができるようになりました。
自分が行くのを楽しみに待っていてくれる人もいたんです。それが嬉しかったです。
そう思えるようになったのは三年くらい働いたときです。時間がかかるんですね。
後編へつづきます。
プロフィール
わたしの╱watashino
1979年、山梨県生まれ。
バンド「わたしの」
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