サークル仲間のTさん〜SDGsはどこまで可能か〜 / 牧之瀬雄亮

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サークル仲間のTさん〜SDGsはどこまで可能か〜
牧之瀬雄亮

先日大学時代の先生についての記事を書いたが、大学時代は自分の人生において一番だらけた人格のままで、出会い、知り合い、仲が深まるので、社会に出てからはあっているのかもしれないが、見えていないような人々の顔に出会っていたのだろうと思う。

私が所属したバンドサークルの、当時の顔と言ってもいい人物Tさんの顔が、娘と昼寝をしていた夢の最後に滑り込んできた。

Tさんは大学時代のサークルの先輩で、一つ年上の、近隣から通うつもりが、サークルの飲み会が頻回なのと、本人のズバ抜けた人懐っこさで、あまり実家に帰らなくても暮らしていけている人だった。

サークルとは如何なるものかと試しに歓迎会に参加した私が書いたアンケートの『好きな音楽』という欄に「Jeff Beck」と書いてあったのが嬉しかったそうで、同じ座で飲んでいる時は口でフレーズを誦じながら、身振りでギターを弾くフリをして、それら全ての抑揚・声色の選び、高校時代までに出会った人にはいなかったレベルで、私自身嬉しかったし驚いていただろうと、今思う。

そして何よりロナウジーニョみたいな大きな口が、笑うとき大きく歯を見せて、体もくねらせて全身が笑うものだから、心地よかった。

Tさんはエレキギターを弾く人で、自分で買ったストラトキャスターと、YAMAHAの80年代のSGを使っていた。

彼の演奏はというと、ディストーションが効いてよく歪んでいながらも、音の芯は消さず、バンドの全体を捉えている間合いの取れた弾き方だった。

特筆すべきは、既存の曲を演奏するにあたって、よくあるバンド編成でドラムギターベース歌、というパートでは賄いきれないバイオリンや門外漢にはどの管楽器かわからない音というのがあるもので、しかもその音が曲の中で印象的な場合、その音をいかに出すかor諦めるかはコピーバンドをやる上でよくぶつかる問題なのだが、そういった音を、Tさんは彼なりの解釈でギターで出していたのだ。

人が無意識にどこをその曲のツボと感じているかというセンスはものすごいものがあった。

はっきり言ってギターの才能があった。

Tさんは兄貴肌で、誰とでも砕けて話す天才であったし、私ともよく縁が重なるようで、一緒に飲んだりコピーバンドをいくつもやった。

色々な相談事にも乗ってもらった。私の音楽のセンス、というより取り組む姿勢を買ってくれて、Tさんの好みでない音楽をやった時も、真摯な感想をくれたものだった。

彼が学生時代の最後にかけて、「すわメジャーデビューか!?」という気配もあった。

しかしそのバンドも東京進出しながら諸問題の絡みで空中分解して、その後Tさんはパチンコに凝っていたようだった。

私も宇都宮の音楽好き界隈で「変な音楽をやる人」という認識ができ始めた頃、そんな場に甘えているのではないかという気持ちが大きくなり東京に出た。

私が栃木を離れた後、一度だけ学園祭のサークルのステージを訪れたことがあった。

日雇い村など、就職氷河期・ロストジェネレーションと呼ばれるその頃に、まんまとおまんま食い上げて家賃の支払いに困っていた私は気分がふさぎ込んでおり、ワイワイ気分に乗れずに、わたしの在籍時のメンバーには心配をかけた。

しかし、Tさんは相変わらずの当時と変わらぬ調子で私に声をかけて酒の席に誘ってくれたのだった。

それきり会っていない。

言論サイトをやったりすると、淡くなる縁もあるし、私も遠慮をする程度の社会性はあった。

さて表題だが、SDGsのいろいろな項目を見て、芸術に関しての記述がないことに最近気づいた。

命が危険から遠ざけられるのはいいが、Tさんのあの輝きを価値として世が捉え、その積み重ねに対価を払うという社会が私は嬉しい。

今どうしているだろうか。彼のやや品のない緑色のストラトキャスターは、まだあの私を興奮させる鈍色の旋律を奏でているだろうか。

あの音が鳴るとき、場の誰もが何か何か郷愁を感じたものである。

皆、そこに帰りたいのではないだろうか。

プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)

1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。

思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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