自分の中のバカと仲良くしよう
牧之瀬雄亮
皆さん!愚かですか(「元気ですか?」のテンションで)!!?
偶然こう書きましたが、そういえばアントニオ猪木も『バカになれ!!』って言いますね。
これは天啓だと受け止めて書かせていただきますけども。
皆さん、ご自身がかつてはなたれ小僧、はなたれ小娘であったことを覚えていらっしゃいますでしょうか。
黙っていても日は経つもので、私もはや40代としてもう中堅のクラス、結構後輩もできてきた44歳の身なので、40歳の後輩には、「君知ってるかね。40になるとね、次は41歳になれるんだよ」なんて言える立場になっております。
小学生の頃、友達と盛り上がったノリで普段ならやらないであろう厳しめの許してくれないタイプの先生にまでカンチョーをして叱られ、しこたま怒られて泣いた事もあったでしょう。
今のおとなになったバランス感覚なら、確実にやらない選択をしたことでしょう。
さて、あなたの中にかつて確実にいたそんな「バカな自分」は、どこへ行ったのでしょうか。
四の五の言わずに結論いいますよ。
あなたの中に「あの頃のバカな自分」は今も生きてます!!!(ドドド~~~ン!!)
それを証拠に、あるとき急にふざけたくなったりしませんか?ならないですか?本当はなるんじゃないんですか?認めましょうよ愛でましょうよ、あなたのバカを、あなたのゲラを。
もしかしたらこう思うかもしれません。
「あの頃みたいなことやったら社会的信用がぐらつく…」などなど。
わかります、わかりますよ~!しかし皆さん、安心してくださいよ。
我々は好む好まざるを問わず、こうやって「おとな」になったのです。「おとな」もやれるんです。
あの頃のただのトンチキ鼻垂れ坊主以外の自我を、きちんとお持ちじゃないですか!!
私は隙あらば余計なことを考えている人間ですが、と同時に、礼儀も一応心得ています(昔と比べればそりゃ…)。
大人の自分がこどもの自分にやってあげられること、それは「出ていいときには出してあげる」ことです。
土屋創業の折、初代役員が決まり集まったときに全員の「できないこと」を共有し認めあったという話がありますが、自分に言わせるともう二、三歩踏み入ってほしいですよね。
「最近何で笑ったか」とかやっぱ仕事仲間でも自分は話したいんですよ。
笑う動物って人間だけだなんていわれることもあるように、人間にとって笑いって医学的にどうとか置いといてもすごく重要じゃないですか。
なんでだろうなって考えると、笑いって、思わず出てしまうものだからなんだと思います。
その無防備さ、建前の鎧を一瞬に脱いでしまうとき、相手も「ああ、この人も人間なんだな」と安心できるというか。
「笑顔が大事」とよくいわれますが、その根っこにはそういうことがあるんじゃないかと思うんですよね。
そういう無防備さを単に攻撃するような集まり、友人関係で考えてみても、長く続かないですよね。
自分がクライアントを笑わせることができたってのもすごくいいんですが、自慢って寒いなと思うんで言わないですけど、自分が嬉しかったのは、あるALSの方のお宅に夜勤でお邪魔してるときコールがあって、文字盤を抱えて行くじゃないすか。
その方がいつものように眉間にしわ寄せた目でたどる文字を拾っていくと、「さっきのおなら、きこえた?」とわざわざ伝えてくださって、「長かったっす」とお答えしたら「お~」なんて仰って、ご家族は近くでお休みのしんとしたド真夜中、声殺しながら笑ったということがありました。
嬉しかったですよね。
そんな余裕を共有できたことが。マズローはなぜ欲求の三角形の中に「ふざける」を入れ忘れたのか。
余裕は上に乗ってるんじゃないと思います。
みんな絶対笑うの好きじゃないですか。
介護の仕事って、なんか笑っちゃいけないって思ってやると切実になりすぎるきらいがあるんで。
笑いのツボが違って冷たい風が吹いたとしても、まあ、また人生は続きますから(慰めになってない)。
でもそういうところをクライアントや仕事仲間に見せるってことも、人間らしくていいじゃないですか。
「信頼をまず自ら提示しよう」って会社のバリューにもありますが、笑いのセンスを丸出しにして無防備になるってのも信頼の、ある一つの形だとおもうんすよね~。
しかもなかなか根深い自己覚知、他者理解、そんなきっかけにもなりますし。
何よりね、ふざけたい自分を叱らないであげてくださいよ。たとえウケなくても柔らかい空間を作ろうとしたんでしょ?それは敵をバッタバッタ倒すタイプより、よっぽどヒーロー、ヒロインだと、この44歳は思うわけで。
◆プロフィール
牧之瀬 雄亮
1981年、鹿児島生まれ
宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。
思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。






