目の前の人の「あきらめ」は自分の「あきらめ」でもあった~介護と私~
関口隆宏(ホームケア土屋 札幌)
先日、介護福祉士の試験に無事合格をして、先ずはほっと胸をなでおろしております。
介護経験も3年を過ぎました。
最初は施設での高齢者介護を経験いたしました。
当時の主な仕事は、施設内での排泄介助と食事介助でした。
決められた時間になったら各居室に順番に入室してパット交換や更衣介助をし、準備が整ったら食堂に誘導します。
対応する人数が多く、一人に使える時間は限られていますので、手早く介助しながらも出来るだけコミュニケーションをとりながら出来るだけ丁寧に、又出来るだけ見落としがないように心がけて介助をしていました。
当時は出来るだけの事を真摯に取り組んでいるという自負があり、充実感も感じて仕事をしていました。
でも書いていて気づきましたが、すべてに「出来るだけ」と言う前置きが付くのです。
他業種の転職を経て重度訪問介護の分野に飛び込み、そこで初めて同じ介護の仕事でもその違いに衝撃を受けました。
一人のクライアントにじっくりと向き合い長い時間支援する事。ゆったりした時間の流れに驚きました。
今でもその時に感じた気持ちを大切にしています。
重度訪問介護を経験しなければわからなかった事ですが、施設の介護をしている時には決まった時間の中でコミュニケーションをとりながら介助していましたが、利用者側からすると十分ではなく、もっと訴えたい事や要望が沢山あったのではなかったかと思います。
今思えば、要望を訴えても対応してもらえないなどの「あきらめ」の気持ちがあり、訴えをしなかった事も多くあったのかな・・・と思います。
施設が決めたスケジュールに従って行動していただくことを「当たり前」としていましたが、ご本人にとっては我慢して従っていただいていた事も沢山あったのではないかと思います。
訪問介護を経験しなければ、今も施設で働いていれば「当たり前」と思い、気付かなかった事かもしれません。
重度訪問介護の場合は、医療的ケアが必要なクライアントや自分で発語できないクライアントやコミュニケーションをとるのが難しい方も沢山おられます。
そういう状況の中で、いかに訴えを見落とさず感じて、少しの合図も見逃さない、そういう洞察力。
自分から能動的に読み取る力みたいなものは自然と身についたのではないかと思います。
自分からより良い支援方法を「読み取り」、探りながら試行錯誤して支援していく。クライアントに「支援と共に気持ちも伝わっていく」。
そういう考え方になれたのは重度訪問介護に従事したお陰かなと考えています。
今後も介護従事者として「出来るだけ」の前置きは付かない「支援と共に気持ちも伝わる」、クライアントにとっての良きパートナーとなっていく事を目指していきます。