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『すごい人たち』〜さらば、わたしの2〜 / わたしの

『すごい人たち』〜さらば、わたしの2〜
わたしの

バンド「わたしの」が始動するにあたって、私はノートの見開きのページにこれから実践することを適当に15個くらい描き出しました。

例えば、自分の努力だけでできることであれば「カホン(打楽器)を練習し、ステージで演奏する」というものがありましたが、これは既にLIVEの日だけ勝手に決めてしまっていたのでやるしかなく、自分を追い込み達成しました(というかバンドなのだからこれが達成できなければ話にならない)。

私ひとりだけでは到達できないものもたくさんあって「自分たちの曲を最低5曲作る」「年内中にLIVEを地域のイベント3か所まで広げる」などがありました。

そのときにノートに書いたものは、振り返ってみるとほとんど達成しました。

唯一できなかったのは都外でLIVEをするという奴でした。

頭の中ではいくつか候補があって、バンドで旅するのも楽しいだろうなと思っていましたし、仕事と結びつけて(かこつけて)研修しながら夜はLIVEするのもいいなと夢想していましたが、これだけは実現できませんでした。

「出演できる地域のイベントを増やす」という目標のためには、そのイベントを主催している中心人物や周囲で盛り上げている熱量が高い方々とお話をする必要があるのですが、私は彼らを訪ねて保育園や環境啓発施設や、コミュニティセンターで開かれていた定例総会に出向きました。

それがどれだけ私にとって刺激的であったことか。彼らには常に「住みやすい街づくりを行う」という明確な目標がありながら、それを「楽しむ」という姿勢がありました。

同時に厳しい目も持ち合わせていて「運営」する立場の冷静な判断力も学ばせてもらいました。

それぞれが特有の武器(自分の強み)を持っていて、その人らしいアプローチで目標に到達しようとしていました。

バンドを組むきっかけとなった「津久井やまゆり園」の事件の犯人は、人を排除することで「暮らしやすい社会」が実現するというメッセージを発信しました。

ところが、地域のイベントを立ち上げようとしている有志たちは「排除しない」と宣言していました。

「誰も爪弾きにしないことで、誰もが暮らしやすい社会が実現する」

すごい人たちです。

「わたしの」はその社会活動家たちと共同し、「集団(社会)はどうあることがよいのか」ということを肌身に感じながら(学びながら)、直接的なメッセージは何も言わず(何も言えず)、ただただLIVEを行う存在。「ただ歌って在る」。

キリギリスのように歌って遊んでいるだけというポジションにいました。

メッセージは音楽の中で言いたい…いや違います、言葉のメッセージではなく、単純に「音楽を楽しむ」という行為の中に希望が見い出せないかと考えていました。

とにかくまず自分たちが楽しみたい。そしてもしそれがイベントで集まる子どもたち(大人たち)に伝わってくれたらなおよし。

「見せる」「姿勢を示す」それだけ。そう思っていました。

最初3人ではじめた「わたしの」でしたが、翌年の2018年には、メンバーは10人くらい(?)に増えていました。

ありがたいことに私が命じたわけでは全然なく、そもそもメンバーそれぞれが自分たちがまず「楽しむ」力を備えている人たちでした。

私はもともと職場の中ではトップからもキリギリス代表と呼ばれていましたので、組織の周縁部をウロウロしている者であることは間違いないのですが、そのもとに集まってくれたのは「指示でも命令でもなく主体的にものごとを考え、楽しむ力を有している」人たちでした。

ですから彼らは発想力が並外れていて、既成概念の網目など簡単に破っていける突破力もあるので、反面トリックスター的な暴れん坊たちでもあるのです。すごい人たちです。

エントロピーの増大を抑えようとするリーダーとしての私は「ルールを示し、統一しなければならない」と思ったこともあったのですが、それをしたら「わたしの」ではないとも思い、踏みとどまることが何度もありました。

「仕事だったらすぐに命令している」「仕事だったら話が早い」と地団太踏んだことも数知れません。

「わたしの」は仕事ではなく「遊び」でやっていましたから、「遊びってなんて難しいんだ!」「遊びこそ真剣勝負だ!」と痛感させられました。

だって本当に人を引き付けるようなメッセージやあり方が問われます。また、楽しい!と思えてないと駄目です。それがないとばらばらになってしまいます。

報酬があるわけではありません。キャリアが保証されているわけでもない。それでもみんな貴重な休みの日にLIVEのために集まってきてくれるのです。

『わたしの』
『だるまのかぞえうた』
『ぼくはえらい』
『明日の風景』
『名前のない幽霊たちのブルース』
『こいのぼり』
『かっぱかわいや』
『ロストボーイズ~ピーターパンが青ざめてちょっと揺れた夜~』
『Pinocchio』

これが最終的に「わたしの」のオリジナル曲です。全ての歌詞を私が作り、萌さんが曲を付けました。

それ以外に演奏した曲は以下。
『兵隊と僕』(Junnos)
『新しい町』(カンザスシティバンド)
『共生賛歌』(Republic賛歌の替え歌)
『STAND BY ME』(Ben E King)

演奏したのはLIVEハウスではなくて、地域のイベントが中心でした。公園や駅前の広場や公共施設のホール、デビューは地域の神社の神楽殿の前でした。

新築のマンションのエントランスホールでやったこともありました。

原っぱでLIVEしたときは、炎天下での演奏だったので途中でギターの弦が暑さで伸びきってしまうトラブルもありました。

練習場所が消防団の詰所だったこともありました。消防車が格納されている車庫でみんなで最終リハーサルをしたのですが、比較的新しい建物で、使い勝手はばっちり。

コンクリートの打ちっぱなしだったので音響も悪くなくて練習していて気分がよくなっていくのを感じていました。

自分だけのことに限って言えば、人前で演奏するレベルにはまったく到達していないのに、いっぱしにスタジオで練習して、楽器を担いでイベントに乗り込み、みんなに交じって演奏して(完全に青春をこじらせ)、居酒屋で打ち上げし、仲間とともに過ごし、地域のエネルギーに溢れた人々と交流することができて、それらはかけがえのない日々でした。

つくづく思います。本当にかけがえのない日々でした。

すごい人たちと一緒の時間を過ごすことができて、嬉しかったです。

―つづく―

プロフィール
わたしの╱watashino

1979年、山梨県生まれ。

バンド「わたしの」
▷https://www.youtube.com/channel/UC-cGxWvSdwfbGCzCFnK0DPg

Twitter
▷https://twitter.com/wtsn_tweet?t=q52PSiMxPVoUT7axCQXihQ&s=09

アーカイブス
▷watashino╱わたしの | https://note.com/wata_shino

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