関わって気づく人の輝き
野村義稀(ホームケア土屋 九州/営業推進室)
私が重度訪問介護の世界に入ったのは2020年6月3日。
新型コロナウイルスが2019年12月に世界的な流行をはじめて、半年後のこと。
はじめての介護、はじめての人の家でする仕事、はじめての直行直帰・・・
どんな生活になるのか、ここで一生やっていけるのか。
そんな不安を抱えながらも重度訪問介護従業者養成研修統合課程の資格を取得しました。
口では虚勢を張り続けていましたが、内心はずっとヒヤヒヤしていたことを覚えています。
資格を取ってはじめて行ったクライアント(利用者)宅はALS(筋萎縮性側索硬化症)の方でした。
恐る恐る入った現場。はじめて見る視線入力で言われたのは『黒い、思ってたより大きい』。
「え、そんなこと??」緊張の糸が切れたというのか、気持ちが楽になったことを覚えています。
私と重度訪問介護の出会いはこんな始まりでした。
手の震えと汗が止まらない初めての実地研修。
自分自身には付いていない気管カニューレにカテーテルを入れて吸引をする。
自分自身には付いていない胃ろうにラコール(栄養)を入れる。
実際は1時間程度の手技がすごく長く感じました。
この時は『(お子さんの名前)、野村さんを拭いてあげて』とクライアント。
『のむらさんがんばってーーーー』とお子さん。
何とかクリアすることが出来て、初めての独り立ち。
吸引や経管栄養、体位交換。
12時間の支援が目まぐるしく過ぎていき、クライアントからの感想は、
『ありがとうございました。初めてにしては安心できました。』
もうすこし上手に褒めてよ(笑)と思いながらも、この仕事に就いてよかった、と心底感じる瞬間でした。
次第に気持ちに余裕が出てきて、クライアントとも日常の話から踏み込んだ話まで。
時にはぶつかることもお説教されることもありながら、喜怒哀楽を分かち合う日々。
話せば話すほど楽しく、気づけば重度訪問介護の世界の虜に。
挫けそうになることも、辞めようと思うことも全て忘れさせるほどのクライアントの輝き。
そんなことを感じていた自分が馬鹿らしくなるほどの仲間の輝き。
この光を絶つようなことは何があってもしてはいけない、と強く感じた。
だからこそ、自分も暗くなってはいけないし輝いていないといけない、とも。
そんな自分の姿を見て興味を持った私の母も、アテンダントとして働いています。
58歳無資格未経験で入った母親を支えてくれる同僚、コーディネーター、マネージャー。
いい意味でお節介な仲間たちが全員で互いを支えあいながら、日々を過ごしています。
この資格を取れて良かった、この仕事に携わることが出来てよかった、苦しい時に逃げなくてよかった。と思っています。
今、私は土屋の様々な活動を知っていただく営業推進室というポジションで仕事をさせていただいています。
重度訪問介護とは一体何なのか、どういう仕事なのか、どんな支援なのかはあまり世の中では知られていません。
知らないということが、働く側にも支援される側にもないように努めていきたいです。
これから在宅生活を目指す方、介護を志す方、様々な将来を描いている人と関わっていくと思います。
その中で、ほんの少しでも自分自身が関わったことによって光を見出していただけることがあればとても嬉しいことです。
私自身まだまだ介護も社会人としての経験も、皆さんの足元にも及ばないですし、我儘も多い未熟者です。
自分のできる範囲であまり背伸びをし過ぎることなく、経験を積みながら一歩一歩新たな挑戦をしていきたいです。
プロフィール
野村義稀 ホームケア土屋 九州/営業推進室
大学4年生の12月に脳挫傷、外傷性くも膜下出血、急性硬膜下血腫を受傷し入院。
意識不明の状態から回復し、約2ヵ月間の車椅子生活をする。
大学卒業後は、小学生から高校生まで対象の学習塾の営業や管理運営、授業など全く別の分野で働いてきた。
2020年6月に重度訪問介護に出会い介護未経験の中、業界に飛び込む。
趣味はソフトテニスとアウトドア全般。
特にソフトテニスは16年間続けており、今でも大会に出場している。